第20話 依頼

「お願いがあるのですが」


 島での生活が二週間を過ぎたある日、アセビは真剣な面持ちのピエリスに話しかけられた。


「島外でアイリスリット反応が消失したオルクが出ました」

「はあ」


 何の話? とアセビは曖昧に頷く。


「その様子を確認しに行きたいのです」


 自分を見つめて言ったピエリスの言葉の意味を、アセビはようやく理解する。


「それって、島の外に出るってこと!?」


 こくん、と頷くピエリスにアセビは飛びつく。


「あたしも行く! あ、でも……」


 目を輝かせたアセビだったが、現実問題に直面して言い淀む。アセビがこの島を出ることを、オルクとしてのピエリスは許さないはずなのだ。


「いえ。あなたも一緒です。アセビ」

「は?」

「アセビを残してわたしが島を出ることは、任務の放棄につながります。ですが、一緒に行けば問題はないと解釈しました」

「いいの、それ?」

「いいんです」


 呆れながらも、アセビはピエリスの変化を愉快に思っていた。出会ったばかりのピエリスだったら、命令の勝手な解釈など絶対にしなかっただろう。


「それに、これはアセビへの依頼でもあります」

「依頼? 依頼って。魔女としての?」

「はい。わたしを移送してください。そのためには、魔女であるアセビの力が必要です」

「……ひょっとして、気ぃ遣ってくれてる?」


 任務上必要なら、島外へアセビを連れ出す口実が成立する。空を飛びたがっているアセビのことを、ピエリスなりに想っての申し出なのかもしれない。


「……いえ、任務上必要性が生じただけです」


 ふ、とアセビは小さく笑う。そう言うと思った。ピエリスはそういう奴だ。


「空飛べるならなんでもいいわ! で、目的地ってどこ?

沿岸環状えんがんかんじょう地帯です」


          ◇     ◇     ◇


 沿岸環状えんがんかんじょう地帯というのは、オルクが跋扈ばっこする最も危険な地域として魔女に恐れられている地域の名称だった。

 二十年前の月の破壊によって、アイリスリットを埋蔵する内陸部は大陸プレートから剥ぎ取られ、浮島になってしまった。

 その結果として、海岸線だけが地上に残り上空から見ると長い帯状になって見える。幅は所によって異なるが、一キロから数十キロ程度。かつてそこに大陸があったことを、ドーナツ状の大地が物語っている。

 沿岸環状地帯はオルクの数が多い。浮島同士を人々が行き来するだけでも攻撃してくるオルクだが、人が大陸の外に出ようとするのをことさら拒むように、強固な防衛線が築かれている。

 アセビはつい二週間ほど前、このリーゼクルス島に辿り着く前に沿岸環状地帯を切り抜けている。だがそれは強運とアセビの操縦技術があったから為し得たことで、それでも最後はオルクに追尾されて島に墜落してしまった。


 そして今、アセビはピエリスと二人乗りをした上に、テントや食糧などの荷物を搭載した状態で環状地帯に入ろうとしていた。

 もしこの状態でオルクに発見追撃されようものなら……。操縦に絶対の自信のあるアセビでも、脳内シミュレーション結果は被撃墜に次ぐ被撃墜だった。

 ハンドルを握る手が強張り周辺空域の警戒を怠らないアセビとは正反対に、ピエリスは落ち着き払っていた。

 ビルから転落したアセビを助けた後そうしたように、今回もピエリスはアセビの前に座り抱き込まれるような形でシートに収まっている。原付を浮かせ動力を提供するピエリスのアイリスリットからは、彼女が飛行を楽しんでいることがアセビには解った。


「ピエリス、あんた飛ぶの好きだったの?」


 ふと訊ねられたピエリスは、キョトンとした顔で振り返ると、すぐに視線を戻してしまった。


「いえ……」


 否定の言葉を呟き、ややあってピエリスは首を振る。


「そうですね。今まではなんとも思わなかったのですが……」

「今まではって、最近楽しくなったの?」

「あのとき、」

「?」

「初めてアセビと「繋がった」とき、わたしの中に流れ込んできたんです。アセビの、空を飛ぶことの喜びのようなものが。それはなんだか、わたしには新鮮で……」


 言葉を手探るように話すピエリスに、アセビはなんだか面はゆくなってくる。


「ふ、ふ~ん……あ、見て、陸地だよ!」


 得体の知れない小っ恥ずかしさを吹き飛ばすように、アセビは針路上に見えてきた茶色と緑の帯を指さす。

 周囲に目を凝らし、少しでも異変があれば最悪荷物を捨てて低空に逃げる算段をしていたアセビは、陸地が近づいてもまったくオルクが現れないことに、目を見開く。


「ほんとに、襲ってこない……」


 幼い頃は絶対に近づいてはいけないとしつこく教えられた沿岸帯状地帯上空を悠々と飛行してしまっていることに、アセビは世界が何倍にも広くなった気分になった。


「すごい! これならどこにでも行けるわ!」


 アセビの感激に、ピエリスのアイリスリットから誇らしげな気配がかすかに伝わってきた。


          ◇     ◇     ◇


 原付は海岸沿いにある街の跡に着陸させた。装備を整え二人はアイリスリット反応が消失したオルクの捜索を始める。

 こんなときでもピエリスはいつもの制服姿だった。一方アセビは綺麗に洗濯した魔女の装備で身を固めている。

 魔女の正式装備であるブーツに、動きやすくポケットの多いズボンとジャケット。流石にジャケットは暑いので、今は脱いで腰に縛り付けている。


 初めて降り立った沿岸環状地帯は、アセビの予想に反して普通の土地だった。内陸部にもよくある遺棄された街と光景はさして変わらない。けれど、振り返ると見える海原や潮風の匂いは、内陸の浮島では感じられないものに違いなかった。

 街は山と海が出会う場所の、僅かな平地に家々が密集するように成り立っていた。二人は海から山へと続く街のメインストリートを上り、手掛かりを探す。

 この辺りの地域は放浪者などによって探索された形跡がほとんどない。ひょっとすると普段は攻撃的なオルクの多い地域なのかもしれない。建物は風雨に晒されながら自然と朽ちていき、道端に乗り捨てられた自動車も窓ガラスを残したまま錆びて傾いている。

 自然に風化しつつある街並みに、突然色濃い破壊の痕跡が現れた。


「これ、虫の足跡だよね?」

「ムシ?」

「足のいっぱい付いたオルクのこと」

「ああ、多脚戦車のことですか」


 二人の目の前では、アスファルトが等間隔で抉られた跡が点々と続いていた。路面の下の土が剥き出しになっているが、土の表面はまだ綺麗で、雑草は一本も生えていない。


「うわ、これトビグモじゃない? あれデカいくせに速いからヤなんだよね……」


 うぇ、と舌を出してアセビが足跡を辿っていく。交差点を曲がり大通りを外れると、もとは役場だったとおぼしき建造物が大きく損壊しているのが視界に飛び込んできた。

 鉄筋コンクリート三階建ての建物が、乱暴に切り崩したように崩れている。そこに、緑と茶色が織り交ぜられた迷彩色の機械の脚が突き出している。


「うわでた」


 思わずアセビは物陰に隠れる。しかし、瓦礫に押し潰された多脚戦車が動き出す気配はない。


「死んでる?」

「そのようですね」


 物怖じすることなく崩落現場に近づいていくピエリスを追って、アセビも小走りで機能停止したオルクへと歩み寄った。

 瓦礫の山を回り込むようにして多脚戦車──トビグモの姿を間近で見つめたアセビは、思わず声を上げた。


「うわ、なにこれエグ……」


 トビグモの上部装甲に、深い傷が付けられていた。幅、長さともに一メートルほどに渡って、装甲板が叩き割られて「内側」に陥没している。陥没している様子や、傷の周りに焼け焦げた痕跡がないところを見ると、火器や誘導弾による損傷ではなさそうだ。

 まるで巨大な斧……いや、ツルハシの一撃を叩きつけられたかのような傷。突き入れられた何かがのか、内部は激しく損壊しているのが見える。頭を叩き割られ、内部をかき混ぜられて死んだトビグモの残骸に、グロテスクな不気味さをアセビは感じる。


「かなり強い力が加わったようですね……」


 ピエリスはトビグモの上に飛び乗ると、破壊を免れたハッチをこじ開けている。端末からのばしたケーブルを繋いでなにやら操作を始めたピエリスを横目に、アセビはトビグモからできるだけ距離を取る。

 倒壊した建物の脇の木陰に移動して、座り込もうとしたアセビはふと足元に違和感を覚えた。

 日陰で少し湿り気のある地面に、足跡が刻まれていた。トビグモやほかのオルクではない、人間が履く靴の足跡だった。アセビは自分の足を上げて、そこに残った足跡と目の前の物を見比べる。大きさが明らかに違う。それに、目の前のこれは明らかに古い。


「んん〜?」


 目を細めて、足跡を凝視したアセビは、「それ」に気づいてハッとする。


「アセビ」

「な、なにっ?」


 ピエリスの声に振り返りながら、アセビはとっさに足元の足跡を踏み消した。


「データの回収は終わりました。キャンプ地に戻りましょう」

「あ、うん。そうだね」

「どうかしましたか?」

「ううん、なんでもない」


 首を振って、アセビは木陰から飛び出る。その場を去りながら、アセビはちらりと崩れた建物と息絶えたトビグモを見つめる。

 トビグモの死体を見つめるような位置に残されていた足跡。靴底の模様は、アセビが使っているブーツと同じものだった。

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