幕間

第16話 幕間 作戦起動

 夕闇が迫る廃墟の街並みを、赤い銃火が照らし出す。


 削岩機が岩を砕くような轟音を立て、大口径の機銃が鉄の嵐を吐き出していく。

 数発に一発挟まれる曳光弾えいこうだんが、赤い光の尾を引いて獲物の周囲に降りしきる。

 断末魔のような駆動音を立て、獲物は廃墟の中を逃げ惑っている。

 本来ならば敵のトーチカを破壊し、装甲車を踏み潰し、敵兵を薙ぎ払うための六本の脚は、被弾した箇所からオイルを血のように滴らせ、必死に、ただ逃げるためだけに動かされていた。


 脚の生えた戦車。それがこのオルクの外見を言い表すに相応しい言葉だろう。

 二十年前の災厄を生き残った人々からは「トビグモ」と呼ばれ、陸戦型のオルクの中でも特に恐れられている機体だ。

 だが、いまトビグモの中央演算装置は混乱し、目的を見失い、無計画に逃走を続けていた。

 彼の現状を人間風に言い換えるのなら、間違いなく、このトビグモは恐怖していた。


 機銃弾の雨が止んだ。

 トビグモは崩れかけた建造物の影に身を潜めていた。かつてこの場所が海辺の小さな街だった頃、町役場として使われていた建物だった。

 鉄筋コンクリートの建造物は、「敵」の火力の前にはいささか頼りない遮蔽物だった。それでもトビグモはいっときの安心を求めて、傷ついた脚を折り曲げその場にうずくまった。

 町役場が位置していることから分かるように、ここはかつての街の中心部だ。

 ゆえに、周囲には建造物が多く、トビグモに搭載されたレーダーだけで「敵」を発見することは難しかった。

 本来ならば飛行型のオルクが上空から情報を提供してくれるはずなのだが、なぜか今日に限ってその支援がない。

 トビグモはうずくまったまま、周辺に展開している友軍に救援を求めた。

 アイリスリットを経由して、半径数十キロ圏内に発せられたその信号に、応える声はなかった。

 中央演算装置が弾き出す危機レベルは、先程から上昇を続けていた。

 今まで一度としてこのような状況に陥ったことはなかった。

 トビグモは救援を求める信号を停止し、この戦場からの即時撤退を決めた。

 次の瞬間だった。


 トビグモのレーダーが再び「敵」を捕らえた。

 近い。

逃げるか、迎え撃つか。残された時間で選べる選択肢は一つしかない

 待機状態から即座に復帰、残弾のわずかな機銃で迎撃を試みる。

 しかし、


 ————発砲不可。


 トビグモの中央演算装置を覗くことができれば、「敵」の姿がグリーンの枠で囲まれ「友軍」と表示されているのが確認できただろう。

 迎撃は失敗した。

 「敵」の一撃は、既に回避不可能な距離に迫っていた。

 最期の一瞬、トビグモは自己が機能停止したことを知らせる信号を、広範囲に発報した。

 信号が発せられると同時に、鋼鉄の爪による一撃がトビグモの中央演算装置を貫き、彼の兵器としての役目を強制終了させた。


          ◇     ◇     ◇


 トビグモの重装甲が貫かれる、教会の鐘の音にも似た残響を遠くに聞く人影があった。


「ふむ、見事なものだ。リナリア特務少尉」


 暗視装置越しにトビグモの戦闘を見つめていた男が、満足そうに言う。鍛え上げた身体を野戦服で包んだ、中年の男だった。その声は傍らに佇む小柄な人影に向けられていた。


「……私は軍人ではありません」


 リナリア特務少尉と呼ばれた小柄な人影が、フードを被ったレインコートの下から冷たい声で応える。


「私はあくまで、あなたがた軍に協力しているだけの、魔女ですので」


 リナリアの声にはなれ合いを拒む気配があった。野戦服の男は小さく肩をすくめ、ふたたび暗視装置で破壊されたトビグモと、その傍らに佇む「それ」を見やった。


は、君が操っているのか?」

「……ええ」

「同じことを、私も可能かね?」


 男の質問に、リナリアは一瞬口をつぐんだ。フードの中から、探るような視線で男を見る。だが、暗視装置を覗き込み続ける男の横顔からは、どのような感情も読み取ることができなかった。


「アイリスリットを操れるのは魔女だけです」


 突き放すようなリナリアの口調に、男は「ふむ」と頷き、ひとり言のようにつぶやき始める。


「二十年前、「何者か」がケートスを暴走させた。その結果が、月の破壊とオルクの出現。莫大な量のアイリスリット臨界放射線と共に、ケートスを暴走させた「何者か」の命令が無秩序に拡散されたせいだ。それによってアイリスリット搭載兵器は人に牙を剥くようになった」

「……」

「問題は、この「何者か」。正体は依然として不明だが、ただひとつだけ確かなことがある。分かるかね?」


 男の質問に、リナリアは内心舌打ちする。この男、私のことをまるで信頼していない。いや、私というより、私「たち」と言うべきか。

 男に聞こえないよう小さくため息をついて、リナリアは答える。


「「何者か」は魔女である」

「そのとおり」


 男は暗視装置を外し、暗闇の中からリナリアを見つめた。


「ときに、君は有名な魔女の愛弟子だとか」

「……ええ」

「なんと言ったかな、ええと、カレン?」

「シオンです。シオン・フウセンカズラ。オルクに家族を殺された私を拾い、魔女として育ててくれました。私の師匠であり、大切な……家族です」


 意図せずに、リナリアの声に力が込められる。その様子に、男は唇の端をかすかに動かした。


「そうそう。そんな名前だった。ずいぶん前に失踪したとか。後を追ってその娘までどこかへ消えたと聞いたが……さぞ心配だろう?」

「当然です。ですが、私は私の成すべきことを果たすまでです」

「すばらしい心がけだ。軍人向きだな」


 褒めているつもりなのだろうが、リナリアにしてみれば嬉しくもなんともない言葉だった。


「君のおかげで本作戦はようやく本格稼働することができた」


 リナリアの肩に手を置いて、男が厳かな口調で言う。


「あの巨鳥を我々の支配下に取り戻し、世界再建のいしずえを築く。それが君の成すべきことだ。期待している、リナリア特務少尉」

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