ずっと一緒に

馬鹿

 いつもより少しだけ長めの風呂から出ると、リビングのソファーの上で彼女が事切れて――もとい寝息を立てている姿が目に入る。

 寝る子はよく育つとはいうが、今日の彼女の活動時間は実質六時間といったところだった。

 もっとも起こす理由があるわけでもなかったので、二階から持ってきたタオルケットをその華奢な身体に掛けて放置することにした。


 寝た子を起こさぬよう静かに冷蔵庫のドアを開け、500ミリリットルの炭酸水のペットボトルを手にぶら下げながら部屋に戻る。

 彼女が惰眠を貪るのであれば、その分俺が働いてやろうと思ってのことだった。

 通学カバンからテキストを取り出しいざ机に向かおうとしたその時、ポケットに入れてあったスマホが着信を報せる。

 それは地球の裏側にいる父からのもので、スピーカーモードのボタンを押すと電話に出る。


「もしもし」

『おはよう万里』

「おはよう。こっちは今から夜だけどね」

『知ってて言った。で、いきなりであれなんだけど、あっちはどうだった?』

「うん。まあ……大体想像していた通りだったよ。おじさんもおばさんも辛そうだった」

『……だろうな。本当に気の毒としか言いようがないよ』

「そうだね。でも、式が終わってからおじさんちに行ったんだけど、その時には少しだけ気持ちも落ち着いてきたみたいだったよ。……うちのお母さんの時に比べればだけどね」

 六年前に母が亡くなった時のことは、今でも昨日のように思い出すことが出来た。

 そして、一生涯忘れることもないだろう。

『あの時は万里に大変な思いをさせちゃったな。すまんかったと思ってるよ』

「いいじゃん、もう。あれからちゃんとやってるんだし。俺もお父さんも」

『ああ、そうだな』

「で、用事はそれだけ?」

『ああ。お父さん、お前が元気にやってるかどうか心配だったんだった』

「大丈夫だよ。お父さんも知ってるでしょ? 俺が意外としっかり――」

「万里くん、またお電話ですか?」


 ああ、またこんなタイミングで……。

 即座に彼女の口を手のひらで押さえるも、よもや手遅れの予感しかしなかった。

『なあ万里。今のって理亜ちゃん――じゃ、ないよな?』

「え? なに? なんか聞こえたけ? 気のせいだら?」

『お前今嘘ついただろ。方言出てるぞ』

「……友達が来てるだけだよ」

『――そうか。それならいいんだけどな』

「うんそれじゃそういうことでお父さんお仕事がんばってね!」

『あ! ちょっと待て!』

「まだ何か?」

『子供だけは作るなよ。いくらなんでもまだ早い』

「あ、ごめん電波が」


 通話終了ボタンを力強くタップしてからスマホをベッドの上に放り投げてから、手足をバタつかせ抗議の視線を送っている彼女を開放する。

「ぷはっ! ちょっと万里くん! 口はいいですけど鼻も一緒にふさぐのはダメですって!」

「ああごめん。死活問題だったからつい」

「今のお電話ってお父さんからですよね?」

「うん。俺の安否を気遣って電話してきたみたいだけど、多分放蕩ほうとう息子だって思われた」

「ホウトウ? 信州名物の?」

「それ餺飥ほうとうね」

「で、リアちゃんってどなたですか?」

「あ。ごめん電波が」


 電波障害に陥った俺は頭から布団の中に逃げ込むと、子供の頃に得意としていたモノマネをして難を逃れることにした。

「お掛けになった番号は電波の届かないところにいるか電源が入っていない為お繋ぎ出来ません」

「……万里くん」

「圏外なので話し掛けないでください」

「じゃあこっちから行きます」

 そう言うや否や、彼女は布団の端から身体を潜り込ませると俺の背中におぶさるように抱きついてくる。

「もしもし万里くん、聞こえますか?」

「聞こえません」

「そうですか。今日はもうこのまま寝ちゃいませんか?」

「別にいいけど、まだ八時前だよ?」

「圏外なら返事しちゃダメですって」

「……」

「……じゃあ、寝なくてもいいのでこうしていたいです」

「ん。わかった。でもちょっと、ごめん」

 俺は彼女の細い腕をそっと解くと体を反転させ向き直る。

「はいおまたせ。おいで」

「……おじゃまします」

 胸の中に小さな頭が収まるのを確認すると、やはり小さなその背中に腕を回して強く引き寄せる。

「暑くない?」

「……平気です」


 誰もいない家で、女の子とベッドの上で抱き合う。

 そんなシチュエーションにもかかわらず、不思議と俺の心はただただ穏やかだった。

 それはとにかく静かで、風速で言えば〇メートル。

 だからというわけではなかったが、彼女の質問にはしっかりと答えておこうと思った。


「理亜はさ」

「……はい」

「理亜はうちの隣に住んでいる幼馴染で同級生の女の子で、物心が付いた頃からずっと兄妹みたいな関係だったの」

「……」

「あれは確か中学に上がった頃だったかな? 自分でも気づかないうちに彼女のことをひとりの女の子として意識し始めていたんだ。それは彼女の方も多分、同じだったと思う」

「………」

 俺の背中に回されていた手の力が少しだけ緩んだ気がした。

「今年の夏までは、その気持にお互い気づかない振りをしてやりくりしていたんだけど。でも、やっぱりいつまでもそのままってわけにはいかなかったみたいで」

「それを知ってたら、私。さっきの話はしなかったのに」

 さっきのというのは、俺と彼女が恋人同士になるというあれのことだろう。

 ほんの十数センチしか離れていない場所にいる彼女の声は、そのうちに殆ど聞き取ることが出来ない程に弱々しくなった。

 もしかしたらそれは独り言であり、俺に話し掛けたわけですらなかったのかもしれない。


「万里くんは」

 静かに顔を上げた彼女はその幼い顔を少し曇らせながら言葉を続ける。

「万里くんは私みたいな”死んじゃった子”じゃなくて、ちゃんと”普通の子”とお付き合いしたほうがいいと思います」

 学級会で意見を述べる時のようなその言い方が少しだけ可笑しくて頬が緩みかけてしまうが、当の彼女はといえば真剣そのものといった表情だった。

 ここで笑ってしまっては失礼なことこの上ない。

 それに真剣度でいえばこちらとしても同じだ。

「俺ね、思い出しちゃったんだ。まだ幼かった頃の夏の日に”ケッコン”の約束をする程好きだった女の子がいたってことを」

「……」

「だから昨日、理亜に会いに行ってきた。それで彼女はこれからも俺のお隣さんで幼馴染だけど、お互いの関係性にはもう迷うことはないって。そう確信したんだ」

「……イヤです」

「千尋ちゃんが嫌って言っても、これは俺と理亜の問題なんだから。だから――」

 だから、そう。

「今年の夏はあの夏の日と同じように、俺は君とずっと一緒にいることに決めたから。これはもう覆すつもりはありません」

「いっこ……いいですか?」

「どうぞ」

「万里くんの……ばか」

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