あの夏の日に交わした幼い約束。それは潮の香りを乗せた南風の記憶と共に僕たちを永遠に結びつける。

 翌日になって再びやって来た叔父家族と祖母それに父の五人は、俺の快復を心から喜んでくれた。

 皆に心配を掛けてしまったことを改めて侘び、そして感謝の気持ちを伝える。


「なんだ万里。お前少し見ないうちに大人になったな」

「……色々あったからね、この夏は」

「色々も何もお前、まだ夏休みが始まったところだろうが」

 ああ、そういえばそうか。

 今ここにいる俺は親戚の訃報を受けて田舎に戻ってもいなければ、従妹の少女との同棲生活も送っていないのだった。

 そんな中、先程から叔母と腕を組んで赤い目をこちらに向けている少女――千尋ちゃんと目が合った。

「みんなちょっとごめん。ひとつお願いがあるんだけど」



「万里くん。本当によかったです」

「……夢じゃなかったんだね」

「ええ」


 父や叔父達に頼んで二人で話す時間を与えて貰った俺と彼女は、改めて今日までに起った不思議な出来事について確認し合っていた。


「スマホのブックマークでわかったんだ」

 ブラウザに保存されていた最新のブックマークは、あの日に俺と彼女が訪れたテーマパークのそれだった。

「あの日、遊園地のロープウェイの中で万里くんとお話をしていた時に急に眠くなってきて、それで意識がなくなって」

 それは恐らく彼女が俺の前から消えた時のことだろう。

「その後また、すごく長い夢を見ました」

「また恐い夢だったの?」

「いいえ。大学を出た万里くんと私がケッコンして、それで……子供も授かって、ずっと幸せに暮らす。そんな夢でした」

「……そっか」

「ちなみに子供は女の子で、名前は千里ちさとでした」

「…………そっか」

「それで目が覚めたら自分の部屋のベッドの上にいて、すぐにスマホで日付を確認したら事故に遭った日の朝だったんです」

 彼女は廊下のほうをチラッと見ると、椅子から立ち上がりベッドの端に腰を下ろした。

 そして俺の手の甲の上に自身の小さな手をそっと重ね、少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。

「……何がなんだかわからなくて。でも、あれは絶対に夢じゃないってことだけはわかって。だから私、お母さんに番号を聞いて万里くんのところに電話を掛けてみようと思ったんです」

 彼女の手に力が入ったのがわかった。

「お母さんを探しにリビングに行こうと思ったその時でした。やっぱりなぜかはわからないけど『万里くんが海にいる!』って、そう感じたんです。だから急いで海に向かって」

「……もしかして」

「はい。そしたら万里くんの声がどこかから聞こえて私は返事をしました。『万里くん! 私はここにいます!』って」

「……」

「それで家に帰ったら、お母さんが血相を変えて玄関のドアを開けた私のところに走ってきて『万里ちゃんが家で倒れた!』って」

「……そうだったんだ」


 俺と彼女の見ていた夢は、どちらかが真実だったのか。

 それともどちらも幻だったのか。

 それを知る術は存在しないが、俺達はこの夏に再会を果たし、幼き日の思い出を一緒に探して歩き、そして恋に落ちた。

 これだけは紛れもない事実だ。

 俺は手首をそっと返すと、自分の指と彼女の細い指とを絡ませる。

 やっとだ。

 やっと彼女を捕まえることが出来た。


「あ! あとこれ、覚えてますか?」

 そう言って彼女がセーラー服のポケットから取り出したのは、あの日二人で交換したシーグラスだった。

「君のと交換した俺のもほら、そこに」

 それは貴重品と共にキャビネットの中に仕舞われていたもので、父曰く俺が倒れた時に着ていた服から出てきたのだそうだ。

「万里くん。本当にありがとうございました」

「俺の方こそだよ。ありがとう……ちいちゃん」

「はい!」

 彼女は真夏の向日葵のような笑顔を咲かせて見せてくれる。

「えっと……。それでさ、ちいちゃん」

「はい。なんでしょうか?」

「あの日した、約束のことなんだけど」

「それは――」




「えっと、万里に千尋。そろそろいいかな?」

 叔父と叔母、それに父と祖母がバツの悪そうな顔をして再入場してきた。

 それも仕方がないことだろう。

 何故なら俺と千尋ちゃんは、互いの手を”恋人つなぎ”で固く結んでいたのだから。


「おじさん、おばさん、おばあちゃん、あとついでにお父さん」

「お父さん、お母さん、おばあちゃん、それにおじさん」

 俺と千尋ちゃんは顔を合わせてから再び家族たちの方に向き直る。

「俺達、結婚します」

「もうちょっとだけ大人になったら、ですけど」


 父や祖母、それに叔父夫婦にしてみれば、俺と彼女の突然の婚約宣言は青天の霹靂以外の何ものでもなかっただろう。

 だけど俺達ふたりにしてみればそれは当然の帰結であり、ともに手を取り海を目指したあの日からの約束でもあった。


 病室の開け放たれた窓から南風が優しく吹き込んでくる。

 それは幼かった夏の日に凪いで光を反射し輝いていた、あの海の上を渡ってきた風と同じ匂いがした。


 Fin

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