黄昏

「うん。それじゃおばあちゃん、今から出るから」

『おじさんちもきっと喜ぶに。気をつけておいでよ』


 叔父と叔母と、それに祖母が気落ちしていないか心配になって、というもっともらしい理由を付けて、俺は今お盆前の田舎の町に戻ろうとしていた。

 その嘘の申し出を思いの外に祖母が喜んでくれたことが若干心苦しかったが、本当に申し訳ないことに今の俺にはそんなことを気にしている余裕などなかった。


 彼女が俺の前から――いや、この世界から居なくなってしまってからというもの、俺は毎日朝から夜中までその姿を探し続けた。

 一緒に花火をやった河原や遊園地にも何度も足を運んだがその全ては無駄に終わり、もはや残されたのは彼女の地元たる田舎の町以外なかったのだ。


 祖母や叔父叔母を騙すことへのせめてもの贖罪しょくざいにと、目的地より三つ前の停留所でバスを降り道の駅でこれでもかというくらいに食材や土産物を購入すると、そこからはタクシーで祖母の家へと向かった。


 道の駅を出る時に連絡を入れていたからか、祖母は家の前で俺の到着を待ってくれていたようだった。

「おばあちゃん、本当に急でごめんね」

「……あんた、どうかしただか?」

「え? なにが?」

「ちょっと見んうちにまた随分と日焼けして。それに痩せたら?」

「ああ、うん。部活やめちゃったから、その代わりにと思って朝と夕方にランニングを始めたんだ」

 ”嘘をつくならもう少しマシなものにしろよ”と、頭の中で俺が俺に毒づいた。

「じゃあ今晩は美味しいもの、いっぱい作ってやるでね」

(おばあちゃん……ごめん)


 山のような食材を祖母に受け渡して大分軽くなったバッグを持ち、前に来た時に使っていた二階の部屋へと上がる。

 たったニ週間かそこら振りだったその部屋は何だかとても懐かしくて、急に肩の力が抜けたような気がした。

 荷物の中からスマホと土産物の洋菓子を取り出し、今し方上ってきたばかりの階段を勢いよく駆け下りる。

 恐らくはまだ台所にいるであろう祖母に向かい「おじさんち行ってくるよ」と声を掛けて家を飛び出した。


 やはりこの田舎の町は俺の地元に比べると、随分と過ごしやすい気候のように感じる。

 それはすぐ南にある海であったり、背後にそびえる山であったりの影響が大きいのだろうが、今日から何日かを走り回って過ごすことになるであろう俺にしてみれば理由が何であれ、それはとてもありがたいことだった。


「おばさんこんにちは。急にすいません」

「いらっしゃ――万里ちゃん……どこか悪いの?」

 叔母にもまた祖母に指摘されたのと同じことを言われ、やはり同じように下手な嘘で返す。

 叔父と叔母の家の中は以前来た時よりも随分と明るいように感じたが、それは完全にこの家の住人がもたらしているものだろう。

 実際、叔母はその表情を見る限り一番辛く苦しい時期は既に乗り越えていたように見えた。

「お義母さんから万里ちゃんがまた来てくれるって聞いて、おじさんもおばさんもすごく喜んでいたのよ。それにきっと、千尋もね」

 俺には叔母が本当に心からそう言ってくれているように思えた。

 だからだろうか、俺も少しだけ本心を彼女に打ち明けることにした。

「叔母さん、あのね。俺、本当は千尋ちゃんに会いたくて来たんだ」

「……そうなのね。あなた達、本当に仲良しだったものね……」

「うん。この夏、彼女に思い出したんです。俺、千尋ちゃんのことが本当に大好きだったって」

「……ありがとう、万里ちゃん。あなたのその言葉、千尋の母親として本当に、本当に嬉しい……」


 涙を浮かべる叔母の姿をみて、少し度が過ぎたことを言ってしまったのではないかと後悔したが、彼女は俺が帰るまでずっと笑顔を絶やさないでいてくれた。

 こんな両親の元で育った千尋ちゃんだったから、俺は彼女のことをこんなにも好きになったのかもしれない。


 叔母の家を出た俺は直様目の前にある通りを渡り、以前彼女に聞いていたように県道から山の中に入る道を見つけて上っていった。

 山道を歩くよりも大分早く頂上へと到着すると、丸太で組まれた展望台に彼女の姿を求めた。

 結果から言えば、その場所で彼女を見つけることは出来なかった。

 だが俺には、今日の昼過ぎにこの町に来た時から、何か確信めいた予感があった。

 彼女はきっと、この町のどこかにいる。

 そして、俺のことを待ってくれている。

(千尋ちゃん。絶対に君のことを見つけ出すからね。だからもう少しだけ待ってて)


 日没の前に祖母の家に戻ってくると、日中予告されていた通りに居間の座卓の上には所狭しと大量の料理が山積みにされていた。

「……おばあちゃんさ。ちょっとやり過ぎじゃない?」

「だよなぁ……。でもおばあちゃん、万里が来てくれたもんでうれしくって」

 祖母の手料理はどれもこれもがとても美味ではあったのだが、そのあまりの物量に抗うことは育ち盛りの俺でさえ難しく、結局のところ半分以上は明日の朝食及び昼食へと回されることとなった。


 食後しばらくして。

「おばあちゃん。俺、ちょっと走ってくるね」

 パンク寸前となった腹を両手で撫でながら、やはり腹を押さえてお茶を飲んでいる祖母に声を掛けた。

「あんまり遅くならんようにしんよ」

「うん。また懐中電灯借りてくよ」


 玄関から外に出ると辺りが妙に明るいことに気がついた。

 それもそのはずで雲ひとつない空にはほぼ満月に近いような月齢の月が浮かんでおり、これなら懐中電灯の出番はないかもしれない。

 海に出るには真っ直ぐ南へと進めばいいだけなのだが、俺にはその前に寄っていきたい場所があった。

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