怪談

 幽霊の女の子が腕に抱きついた状態で幽霊屋敷に入場する。

 もしかしたら、この今のシチュエーションは満腹時に食べ放題の飲食店に入るようなものなのかもしれない。

 それはそうと、丁度去年の今時分に佐久間家りあのいえの家族旅行に同行して行った関東にある有名テーマパークのことを俺は思い出していた。

 そこのホラーハウスはこことは違って徒歩で館内を回るタイプではなく、大きな椅子のようなゴンドラに座っているだけでよかったのだが、理亜はスタートからゴールまでずっと俺の腕に、まるで漁師に捕らえられたタコがそうするかのように強力に絡みついていた。

 そうなると、必然的に彼女の豊満な胸がこれでもかと俺の腕に押し当てられたわけだが、それはその柔らかさ故に形を自在に変え、当時中学三年だった俺にとっては天国でありまた地獄でもあった。

 一方、本日の同行者たる千尋ちゃんもその時と変わらないレベルで俺の腕に絡みついていたのだったが、理亜の時と比べてその接触面から得られる感触というのは――適当な喩えではないかもしれないが――マグロの大トロと赤身ほどの違いがあるような気がする。

 ともあれ俺は「千尋ちゃん。俺、赤身も好きだよ。あっさりしてて美味しいし」と、フォローを入れた。

「え? なんですか急に?」

「いや、おっ……お寿司の話だけど」

「……私はトロの方が好きです。あと、サーモンと赤貝も」

「あ、俺もサーモンは好き」

 ん?

 なんの話をしてたんだっけ?


 実際の心霊スポットよろしく人気ひとけの全くないこのお化け屋敷は、来訪者を脅かすのもセンサー等を使用した全自動の仕掛けのようだった。

 入場してすぐ闇の中に着物を着た化け猫が闇の中に浮かび上がる。

 そして彼?(彼女?)は、ここから先での注意事項を懇切丁寧に教えてくれる。

 最後に「暗くて足元が見えにくかったらスマートフォンのライトを使ってくれてもいいニャ」と、如何にも現代的なアドバイスと共に巨大な肉球が付いた前足を大きく振って見送ってくれた。

「千尋ちゃんってネコ派? イヌ派?」

「ネコですけど……今の子はちょっとムリです」

「そう? かわいかったじゃん」

「……」

 沈黙を以て否定されてしまう。


 化け猫に言われた通りスマホで足元を照らしながら真っ暗な通路を進んで行くと、すぐに少しだけ拓けた場所に出た。

 どうやらそこは墓地のようで(旅館の中に墓地?)稲光を模した閃光がうらぶれた墓石や卒塔婆を白く照らし出す。

 少し音質に難のあるスピーカーからは雷鳴も轟いていた。

「千尋ちゃん。目開けて進まないと面白くなくない? ここは多分、そんなに恐くないよ」

「……ほんとですか?」

「うん。古いお墓とか破れた提灯とか……あ、あと奥のほうに晒し首がある」

「――あやうく万里くんに騙されて目、開けちゃうところでした……」

 彼女は目を閉じたままで俺のことを睨むという荒業をやってのける。

「大丈夫だって。それにまだ入ってすぐだから、この辺りで慣れておいた方がいいって」

「……じゃあ、はい」

 不承不承ふしょうぶしょうといった風ではあったが、入場してから初めて彼女は俺の腕から顔を離すと、実にゆっくりと瞳を開いて周囲の状況を確認した。

「どう?」

「……あの首、万里くんにちょっと似てませんか?」

 言われてみれば確かに俺にそっくりなその生首は、無惨にもカラスについばまれて憐れにも眼球が飛び出していた。

「イタタタタ……」

 擬似的な痛みに片目を押さえる俺の姿を見て、彼女は「ふふっ」と小さく笑い声をあげる。

 そんな出来事があったお陰か、彼女は少しだけ余裕が出たらしく――相変わらず俺の腕に掴まったままではあったが――ちゃんと顔を上げて機械仕掛けの幽霊達と対面し、悲鳴をあげつつもアトラクションを楽しんでくれているようだった。


 恐らくは一〇〇メートルくらい、時間にすれば五分とせずに出口と思しき明かりが見えてくる。

 誰に聞かれるわけでもないので言わせてもらえば、距離も内容も物足りない気がする。

 どうやらこのお化け屋敷は外観にその予算の多くを割り当てたのだろう。

 もしくは小さい子供を連れたファミリー向けに、敢えてソフトな内容にしてあるのかもしれない。

「なんか拍子抜けって感じだったね」

「私は普通に恐かったですけど……。でも、万里くんがずっと腰に手を回してくれていたからすごく心強かったです」

「……え?」

「ありがとうございました」

「……あ、うん……」

 俺は右手に懐中電灯代わりのスマホを持ち、左腕には彼女が子猿のように抱きついていたのだから、更に腰に手を回すなどという器用な真似など出来るはずがなかった。

(……まじかよ)


 彼女からの衝撃告白を聞いた俺は、最後の数メートルは競歩ばりのスピードで出口を目指した。

 ようやく入口の正面に位置する出口から外に出たのだ、が。

 本当の恐怖はといえば、ここからだった。

「あれ? 係のおじさんがいないね」

「え? 誰ですか?」

「なんか妙に陽気なおじさんがいたじゃん、そこに」

 旅館でいうところの玄関前の三和土たたきを指差す。

「入る時、人なんていませんでしたよ?」

「……え?」

「だってほら、そこ」

 俺が指し示した方向より三十度程左に顔を向けた彼女の視線を追うと、喫茶店の入り口を思わせるような黒板のボードに『本日係員不在の為、ご自由にお入り下さい』との案内が書かれていた。

 そういえば、あのおじさんは「ニ名様ですね」と言っていたような……気がする。

「え? 万里くん、なんですか?」

「えっと、暗くなる前にオルゴール館行ってみない? 急ぎで」

「あ、はい! ロープウェイで行くんですよね?」

「うん、多分……行こう、急ぎで」

「え、急ぎで? って、あ! 万里くん待って下さい!」

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