満天
「どうだね?」
「めっちゃ美味しい」
祖母の作った肉じゃがに舌鼓を打ちならが、俺は今後の予定について考えていた。
もっともそれはそんなに複雑なものではなく、いつまでこっちにいていつ向こうに帰るかというだけのことなのだが、俺がここを去るということイコール、祖母が一人きりの生活に戻るということで、たったひとりだけになってしまった孫としては、出来るだけ長く滞留したいという気持ちもあった。
ただ、昼間発生した
千尋ちゃんと肩を並べて玄関から外へと出ると、いつの間にかすっかり夜の帳が下りていた。
行き先は昼間決めていたように彼女の実家のマンションであり、そのあとは少しだけ夜の散歩をして戻る予定だ。
足元を丸く照らす明かりはオレンジ味掛かっており、祖母に借り受けた懐中電灯の電球は恐らく昔ながらのクリプトン球なのだろう。
LEDの青白い光に慣れていたせいか、その若干の薄暗さと少し歪な照射形状にまるで肝試しでもしているような気分になってくる。
どうやらそれは彼女も同じだったようで、先程から俺の腕にピッタリと抱きついており、何故だか辺りをキョロキョロと見回している。
「千尋ちゃん、恐いの?」
「……ちょっとだけ」
昼間『夜は散歩にでも行こうか』と言った時には仔犬のように喜んでいたのに、あれは一体何だったというのだろうか。
それに千尋ちゃんがこの様では、
答えのない自問に明け暮れているうちに、いつの間にか五階建てのマンションの正面に立っていた。
「千尋ちゃん。もしだけど、家に入ることが出来たらどうする?」
「え。どうするもなにも、うれしいですけど……」
「じゃなくて、そのまま家にいる? それとも俺の家についてくる?」
「……万里くんが、迷惑じゃないのなら」
「そっか、うん。行こっか」
妙に声が上ずってしまったのは彼女の回答が嬉しかったからかもしれない。
結果から言えば、叔父には千尋ちゃんの姿や気配を感じることは出来なかったようだ。
それに、彼女が実家に入ることもやはり叶わなかった。
「夜分にすいませんでした。それじゃおじさんおばさん、また」
「ありがとう、万里。気を使わせてしまってすまないね」
叔父と叔母に見送られながら廊下を突き当たりまで進み五階で待っていたエレベーターに乗り込む。
「残念だったね」
そう声を掛けながら、すぐ目の前にいる少女の顔を覗き込む。
彼女は「はい。でも、お父さんもお母さんも昨日よりずっと元気そうだったからよかったです」と笑顔を浮かべて見せた。
「あとはもう、時間が解決してくれるのを待つしかないのかもしれないね……」
「そうかもしれないですけど。でも、やっぱりよかったです」
「そう?」
「はい。それもこれも、ぜんぶ万里くんのお陰です。ありがとうございました」
俺は何もしていないのだが、彼女がそう言ってくれるのであれば敢えてそれを否定する必要もない気がした。
「それに」
「うん?」
「万里くんには、もうひとつお礼をしなければいけないことがあるんです」
「え? なんだろう? 昼間パンツを干してあげたこととか?」
「それは……ありがとうございました。でも、ぜんぜん違います」
「教えてよ」
「まだダメです。でも、その時が来たら言いますから」
「気になる! けど、まあいっか。じゃあ、少し遠回りして帰ろう」
「はい!」
日没とともに昼間の暑さとセミの鳴き声は鳴りを潜め、代わりに夏の虫達の大合唱が夜道の至るところから聞こえてくる。
夜空には大量の星が浮かんではいたが、そこに月の姿を見つけることは出来ない。
この村のメインストリートたる県道には、俺と彼女以外に動くものの気配はなく、まだ八時前だというのに深夜に散歩をしているような気分になってくる。
「そういえば、明後日の午後にあっちに帰ろうと思ってるんだ」
「いつでもいいです。私はついて行くだけですから」
「もし帰りたくなったら、その時はまた送るから」
「それは私の四十九日の時で大丈夫です」
「……」
「どうかしましたか?」
「いや……。なんかすごい会話してるなって思って」
「言われてみれば確かにそうですね」
彼女は口を手で抑えながら小さく笑った。
いつの間にか祖母の家から一キロも離れた場所まで歩いて来ていた。
そろそろ戻ろうと考えたのだがどうせなら往路とは違う道で帰ろうと思い、ポケットからスマホを取り出すと地図アプリを開いてみる。
画面の眩しさに目を細めながらルートを確認する。
丁度すぐ目の前にある脇道から南に入ると、昼間海に行った時の耕作地を通り戻ることが出来そうだった。
「千尋ちゃん、こっちの道から帰るよ」
俺の腕に
トンネル状になった上り坂の暗がりを二〇メートル程進む。
すぐに畑が広がる台地へと辿り着き、それと同時に俺は大きく息を呑んだ。
人工の光が一切ないそこは、視界の上半分が幾千もの星で埋め尽くされていた。
プラネタリウムにも勝るとも劣らない今にも降ってきそうなその星空の前に、口をぽかんと開いたままその場に立ち尽くしてしまう。
「……すごい」
それは『すごい』の三文字で片付けてしまうには申し訳ないような、でも、本当にすごいとしか言いようのない光景であった。
「綺麗ですよね、ここの星たち。私の部屋からも見えたんですよ」
自宅から毎晩のようにこんな星空を眺めることが出来るなんて、彼女――いや、この町の人達が少しだけ羨ましく思えた。
いつの間にか俺の正面に立っていた彼女は、星空ではなく俺の顔を見上げていた。
「万里くんは覚えていないかもしれないですけど、昔一緒にこの空を見たことがあったんです」
「……そうだ。そうだよ! 思い出した! 駄菓子屋に寄ってから海に行って、帰りが遅くなっちゃって……」
「帰ったらお父さんたちがすごく心配していて、私はただ泣いちゃって……」
「そうそう、うん」
「万里くんがうちのお父さんに『ぼくが勝手にちいちゃんを
「……それ、本当に? ちょっとだけ盛ってない?」
「ほんとですって!」
「うっわ。それはガキの頃の自分に引くわ……」
「でも」
「うん?」
「私、それで万里くんのこと……好きになったんです」
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