暗雲
「うん。当たり前だけどおばあちゃんもすごく落ち込んでて。だからもう少しだけこっちに居ようかなって」
『そっか……でも……』
「うん? 何か用事あった?」
『そうじゃないけど……』
「寂しいとか?」
『……うん』
「だったらカレシでも作ればいいじゃん」
『……』
「ん? 理亜?」
『……万里、もう帰ってこなくていいよ』
「いや冗談だって」
『――・――・――・――』
「理亜?」
受話口から発せられるビジートーンにスマホの画面を確認すると、そこには通話の終了を知らせるメッセージが表示されていた。
どうやら軽い冗談のつもりで言ったセリフが彼女の機嫌を損ねてしまったようだ。
謝罪をするために再び通話ボタンを押し受話口に耳を押し当てると、普段よりも長い呼び出し音のあとに通話が開始された。
『……』
「ごめん。今のは俺が悪かった」
『……うん。今のは万里が悪い』
「ほんの冗談のつもりだったんだよ。帰ったらすぐに連絡するから、ね?」
『……甘いもの食べにいきたい』
「調べとくよ。冷たいのでいい?」
『……ケーキがいい』
「ケーキね、了解。じゃあ今からネットで――」
「万里くん、お電話ですか?」
「あ」
『……え』
「……理亜……もしかして……今の聞こえた?」
『――・――・――・――』
即座にリダイヤルのボタンを押す。
『申し訳ございませんが、お掛けになった電話番号への通話は、お客さまのご希望によりお繋ぎ出来ません』
(着拒否されてるし……)
用の無くなったスマホを机の上に置いて肩を落としていると、背後から再び声が聞こえたのでゆっくりと振り返った。
「あの。お電話もういいんですか?」
「……うん」
「あ、おはようございます」
「……おはよう」
「もしかして疲れてます? 少し寝ますか? 起こしますよ?」
「……ありがとう、大丈夫だよ」
口から魂を吐き出しながら椅子から立ち上がると、窓枠に肘を突いて夏の午後の空を仰ぎ見た。
(流石に『あれは従妹の幽霊で』とか……言えないよなぁ……)
やる必要のなかった宿題を一つ増やしてしまったが、今更くよくよしても仕方がないのだった。
「あ、千尋ちゃん。あそこに飛行機雲が、ほら」
「……万里くん、やっぱり疲れてませんか?」
「もう大丈夫だから。ちょっとこっちにおいでよ」
彼女はゆっくりと立ち上がると俺の横に並び、少しだけ背伸びをしながら窓から顔を出す。
「あ! ほんとだ!」
「……あ」
「なんですか?」
「前もこうやって一緒にさ、飛行機雲を見たような気がする」
「……そう言われれば」
俺の頭の中からは彼女と最後に会ったであろう九歳以前の記憶が殆ど欠落していた。
それは別に俺が鳥頭だからというわけではない。
丁度その頃生死に関わる出来事があり、それが原因なのではないかと中学の頃に父に言われたことがある。
そんな俺だったが彼女と”思い出探し”を始めてまだたったの半日で、思いの外に多くピースを拾い集めていた。
彼女のためにと思って始めたことだったが、もしかしたらこれは俺にとっても重要なことなのかもしれない。
「千尋ちゃん。日が暮れたらもう一度お父さんとお母さんのところに行って、ついでに夜の散歩もしよっか?」
「はい!」
彼女はまるで散歩に連れて行ってもらえることを悟った仔犬のように、その場で小さくピョンピョンと飛び跳ねた。
それは自体は見ていてとても可愛らしかったのだが、
「千尋ちゃん。そろそろ乾いてるかもしれないから見てくるね、パンツ」
「えっ? ……あああああ!」
すっかり乾いていた洗濯物を回収して戻ると、部屋の隅で肩までタオルケットに包まり壁の方を向いている彼女に声を掛ける。
「もう全部乾いてたよ」
「……ありがとうございます……置いといてください」
「俺、下でおばあちゃんの夕食の手伝いしてるから、何かあったらおいで」
「……わかりました」
がっつり落ち込んでいる様子の彼女を部屋に残し、俺は買い物から戻ってきた祖母の元に向かった。
「万里あんた、恵美さんがすごく喜んでくれてたよ」
台所に立ちジャガイモやニンジンの皮を剥いていると唐突にそんなことを言われる。
「おばさん、少しは落ち着いたみたいだった?」
「昨日よりは良いように見えたけど、どうだかねぇ……」
「あとで、夜になっておじさんが帰ってきたら、もう一度行ってみようと思うんだけど」
「そうしてやんな。玄関に懐中電灯があるで、それ持ってきなね」
「うん」
野菜の皮剥きを終えて部屋に戻ると、セーラー服に着替え終わった千尋ちゃんが机に向かっている姿が目に入った。
まさか夏休みの宿題をしているということはないだろうが、余程集中しているのか俺が入室したことに気づいていないようだった。
そっと後ろに回り込んで彼女の肩越しに覗き込む。
どうやら俺のスマホを使って何かを必死に調べているようだった。
「千尋ちゃん。なに調べてるの?」
「――あ! ごめんなさい勝手に!」
「いいよ、別に。で、何してたの?」
「……笑わないですか?」
「うん」
彼女は少しだけ
そこには『幽霊 成仏 やりかた』というあまり見たことのない検索ワードが表示されており、その下には検索結果として怪しげなサイトが羅列されていた。
「うーん……。笑おうと思ったけど切実すぎて……ごめん」
「……笑い事じゃないです」
「だからごめんって……でもさ」
「はい?」
「別にこっちにいて苦しいとかそういうわけじゃないんでしょ?」
「それは、はい」
「じゃあ、別に急いであっちに行く必要もないんじゃない?」
「……でも。自分の家に帰ることも出来ないし、万里くんが帰っちゃったら私……」
「うちに来れば?」
「……えっ?」
「うちの親、海外出張中で一人暮らしだし。日中はちょっと人の出入りがあるかもしれないけど、部屋が一つ余ってるから千尋ちゃんの部屋にしてくれればいいよ」
「本当に言ってくれてるんですか?」
「うん。もし君が良ければだけ――」
俺が全ての言葉を言い終わる前に彼女が猪突の勢いで胸に飛び込んでくる。
「ぐぉふっ!」
通夜の席でそうだったように、圧迫された肺から漏れる空気によって素っ頓狂な声が出てしまった。
「ちょっと千尋ちゃん! 突っ込んで来る時は一声掛け……」
彼女は俺の胸の中で震えていた。
いや、正確に言えば泣いていた。
「……お世話になります」
「うん。おいでよ」
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