結婚

 彼女と触れ合っていた時間は、まるで永遠とも思える程に長く感じた。

 しかし、その永遠は無限ではなく有限であり、ほんの一瞬の出来事でもあった。

 どちらからともなく離した唇と唇がゆっくりと遠ざかり、彼女はその長いまつげを静かに開くとこう言った。

「ありがとうございました」

 キスをしたあとの第一声としてはいささか可笑しいような気もしたが、気持ちとしては俺も全く同じようなものだった。


 再び横並びになって座ると、彼女は俺の肩に小さな頭をちょこんと乗せた。

「千尋ちゃん。もう一つの叶えたいことっていうのは?」

「……最後のは、”したい”じゃなくって”したかった”なので、叶えられるようなものじゃないんです。だから私のしたかったことはもう、これで全部です」

「言ってみてよ。俺が叶えてあげるから」

 彼女がもし『一緒にあっちの世界に行きませんか?』とでも言うのであれば、俺はそれを叶えてあげるつもりでいた。

 ただ、千尋ちゃんの口から出た最後の”したかったこと”は、そんな生易しいものではなく、彼女が言った通りで俺にはどうすることも出来ない内容だった。

「……もっと。もっと生きたかった。……ううん。ずっとあなたと一緒に生きていきたかった。万里くんと”ケッコン”して、子供も作って、それで……それ……で……」


 膝の上に置いていた俺の手を彼女が強く握ってくる。

 俺は同じだけの力でそれを握り返し、先程途中までしか言えなかった言葉を彼女に伝えた。

「子供を作るっていうのは……あれだけど。でも、ずっと一緒にいることは出来るよ。それに結婚だって。俺と君の場合、別に誰に許可を取る必要なんてないんだし、十八歳になるまで待つ必要すらないんだから」

「……」

「結婚しよう。今、ここで」

「……万里くん、ありがとう」

「俺の方こそ――って、千尋ちゃん! 外!」


 ゴンドラの床近くまであるガラスの外にあった漆黒の闇が一瞬にして白色とオレンジ色の光で満たされた。

 それはまるで一面に咲き誇る花畑のようでもあり、俺と彼女の門出を祝福してくれているようにすら感じられた。

 そして次の瞬間にはゴンドラ内にも光が戻ってくる。

 暗闇に完全に順応していた目にLEDの光が刺さり、反射的に瞳を閉じるとその上から更に腕で光を遮る。


「万里くん」


 先程までとは違い意図的に作り出した闇の中で、愛しい人の声だけが凛と響いて耳の奥に届いた。

「万里くん。今まで本当にありがとうございました。大好きでした」

「千尋ちゃん……俺もだよ。大好きだよ」


 眼の前を覆っていた腕を下ろすと瞼越しに相変わらず強い光を感じたが、先程までのように痛みを覚える程ではなかった。

 多分もう大丈夫だと思うが、念の為にゆっくりと瞼を開く。

 目の前にあるガラスには鏡のようにゴンドラ内の様子が映っており、その正面には少し目を細めた俺――俺ひとりだけの姿が映し出されていた。

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