母娘

 僧侶の長い読経が終わるといよいよ出棺の時間となった。

 千尋ちゃんの亡骸を乗せたリムジンが真っ黒なボディーに夏の青空を映しながらクラクションを鳴らし走り去って行く。

 それを見届けた後、俺も他の参列者に紛れてマイクロバスで斎場へと向かった。


 運転手のすぐ後ろの席に陣取った俺の隣には例によって千尋ちゃんが座っており、車窓を流れる長閑としか言いようのない景色を眺めていた。

 彼女にしてみれば、今から赴く場所で自らの身体が荼毘に付されるのだ。

 もしかしたら、俺も死んだら今回と同じプロセスを辿り黄泉路へと至るのだろうか?

 それは本当に恐ろしい想像で、みるみるうちに鳥肌が立ってくる。

「千尋ちゃん」

「……なんですか?」

「ずっと一緒に居てあげるから。心配しないでいいよ」

「……はい。ありがとうございます」


 去年の暮れに稼働を始めたばかりだという市営の斎場は、その外観からは人の死にまつわる施設といった雰囲気は一切感じられない。

 お洒落なレリーフで飾られた壁に囲まれたそこは、近代アートを展示する美術館のようですらあった。

 車寄せの下に止められたマイクロバスから降りるとすぐ目の前にあるホールへと向かう。

 床も壁も大理石でこしらえられたテニスコート程の広さのホールのその奥には、荘厳な雰囲気の装飾が施された銀色の扉が横に十枚も並んでいる。

 これが火葬炉とこよへの入り口なのだと思うと、酷く滑稽であり不似合いにも思えた。

 棺を開けることが出来ないからだろうか。

 その時はすぐにやってきた。

 礼服に白い手袋をした斎場職員は俺達遺族に一礼すると、神妙な面持ちで「最後のお別れです」と儀礼的に言葉を発する。

 その瞬間だった。

 叔母が棺に取りすがると大声で娘の名前を叫ぶ。

 俺の後ろにいた千尋ちゃんが叔母の元に駆け出し、急いで俺も彼女の後ろ姿を追う。

「お母さん! お母さん! 私ここにいるよ!」

 そんな彼女の悲痛な叫びも母親の耳に届くことはなかった。

 俺は千尋ちゃんのすぐ後ろに立ち、叔母に聞こえないように小さな声で彼女に声を掛ける。

「(俺の前に立って、それでお母さんの方を見て)」

 幼い顔を涙でビショビショに濡らした彼女はコクリと頷くと、言われた通りに母親の正面に向き直る。


 俺は千尋ちゃんの目線に合うように少しだけ腰を屈めると、悲しみの淵に堕ちている叔母にそっと声を掛けた。

「おばさん、こっち見て」

 叔母の目が俺、そしてちひろの方に向けられる。

「昨夜、千尋ちゃんの夢を見たんだ。彼女、お父さんとお母さんに申し訳ないって言って悲しんでた」

「……千尋」

「だから俺、彼女に言ったんです。君のせいじゃないよって。そうしたら千尋ちゃん、安心したような顔をしてくれて。だから」

 その話は勿論作り話だった。

 だが嘘かと言えばそうでもない。

「お母さん」

 笑顔に涙を湛えた千尋が口を開く。

「私、お母さんとお父さんの子供に生まれてこれて……幸せだったよ。生んでくれて、愛してくれて……本当にありがとう。生まれ変わったらまた必ず二人のところに……戻ってくるから……」

「……千尋。私達のところに生まれてきてくれて、本当にありがとうね……」

 千尋ちゃんの言葉が叔母の耳に届いたわけではないのだろうが、その想いは母親の心へと届いたようだ。


 千尋ちゃんの棺が天国への扉の中へと運び込まれたあとも叔父と叔母はその場から離れようとはしなかった。

「千尋ちゃん。君はどうする?」

 俺の背に取りすがっている小さな存在に声を掛ける。

「ここにいます。万里くんは?」

「じゃあ、俺もここにいる」

「……ありがとう」



 彼女の身体は一時間もせずに小さな白い破片へと変貌した。

 叔母はまるで生まれて間もない赤ん坊を胸に抱くように、小さな白い壺の入った箱を大切に抱き締めるとゆっくりと俺の方へと歩いてくる。

 千尋ちゃんは俺の背中から離れて母親の傍らに寄り添い、その横顔を悲しそうに眺めていた。

「万里ちゃん。本当にありがとうね」

「……俺も。俺もお母さんを早くに亡くしたけど。でも、お母さんが今でもずっと見守ってくれているって、そんな気がします。だからきっと千尋ちゃんも」

「……ええ。私も千尋がすぐ目の前にいるような気がするの」

 それは間違いない。

 ただ眼の前ではなく横だけれど。


 そのあと別室で初七日まで終え、太陽がもうすぐ火を消そうかという時間になり祖母の家に着くと、ようやく葬儀の全ての日程が終了する。

 名前と顔の一致しない親戚達も一人また一人と帰って行き、気がつけば昨日の夕方以来に叔父夫婦と俺と祖母、それに千尋ちゃんの五人という小所帯へと戻っていた。


 帰り支度をしている叔父らから少し離れた場所にいた千尋ちゃんがゆっくりとこちらに近づいてくると、小さな手でスカートの裾を揃えながら俺の正面に立ち口を開く。

「万里くん」

「うん?」

「本当にありがとうございました。もし万里くんが居てくれなかったら、私、どうなっていたかわからないです」

「役に立てたのなら俺も嬉しいよ」

「それで、あの。四十九日ってまた来てくれるんですか?」

 故人に四十九日の出席の可否を尋ねられる経験というのは、もしかしなくても俺が人類史上初だろう。

「うん。一周忌も初盆も出席させてもらうよ」

「よかった。もしその時まで私がこっちにいたら……またお話して下さい」

「うん。でも本当はそうならないのがいいんだけどね」

「……はい」


 そうこうしているうちに叔父達が荷物を持って玄関から出てくる。

 千尋ちゃんは既に二〇メートルも離れた庭先で二人が来るのを待っているようだった。

「母さん、万里。お世話になりました」

 叔父と叔母が深く頭を下げる。

「正も恵美さんもきっとこれからが正念場だから、しっかりとね」

 祖母の言葉はまさにその通りだと思った。

 母の葬儀の後、俺と父がまさにそうだった。

「万里、すまなかったね。千尋を嫁にやれなくなってしまって」

「……え?」

「おじさんもおばさんも楽しみにしてたんだけどな……」

「なに? その話」

「それじゃ私達は家に戻ります。また四十九日の法要、お願いします」

 叔父夫婦は最後にもう一度丁寧に挨拶をすると意外にもしっかりとした足取りで去って行く。

 その少し向こうで千尋ちゃんが手を振っていたので、俺も祖母に気付かれないようにそっと振り返す。


 三人の背中が見えなくなるのを待ってから祖母に今し方のやり取りについて質問してみた。

「おばあちゃん。おじさんが何か言ってたけど、あれってなに?」

 祖母はぽかんとした表情を浮かべる俺をみて、心底呆れたといった風に目を丸くした。

「万里、忘れたんか? 随分とまぁ……薄情だねぇ」

「いや……え?」

「あんたら両方の親に散々言ってたじゃないか。『僕たち大きくなったら結婚するから』って」

「まじで?」

「まじでだよ」

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