宝石

(そうだ。俺達はあの日確かにここに来て、今と同じように二人で綺麗な貝殻を探したんだった)


 ふいに足元を波にさらわれて我に返る。

 彼女の姿を眺めているうちに、いつの間にか海が近づいてきていたらしい。

 足元に目を落とすと、白く泡立った波が砂の上を滑りながら海へと還っていく。

 僅かに取り残されてしまった泡達が徐々に消えると、その場所からまるで海を固めてこしらえたようなマリンブルーの小さなシーグラスが現れた。


「千尋ちゃーん!」

 浜風に負けないように声を張り上げて彼女の名前を口にする。

「は~い! なんですか~!」

「見つけたよ! シーグラス!」

 手にした小さな青い破片を少しだけ自慢気にかざして見せる。

「えっ! もしかして万里くんもプロだったんですか!」

「ごめん! そうだったみたい!」

「えー! じゃあ! もう五分だけください!」


 再びうつむきながらトレジャーハンティングに精を出し始めた彼女の姿を目で追いながら、先程見つけた天然のベンチに腰を下ろして水平線の彼方へと目を向ける。

 そこには天空に浮かぶ城を思わせるような巨大な積乱雲が浮かんでいた。

 当時九歳だった俺も、この場所で同じような風景を目にしながら彼女と同じ時間を過ごしていたのだろうか。

 しかし今、三〇メートル向こうで必死になって宝物を探している少女は、本来はもうこの世にいないはずの存在だった。

 たった十四年の短い人生の中で、彼女は一体どれだけの宝物を手に入れることが出来たのだろう?

 もし叶うのであれば、俺の寿命の半分を彼女に分け与えてあげたい。

 そんなあり得ない願いを”もし”などといっている自分に嫌気が差した。

 俺にはこれからも数十年の人生がある。

 彼女にはもう、未来の可能性なんて一寸も残されていない。

 それが現実なのだ。


「万里くん! ありました!」

 軒先の風鈴のように澄んだ声を張り上げながら彼女が戻ってくる。

「あ! 千尋ちゃん! 足元!」

 俺の方を見たまま全力で女の子走りをしていた彼女の足元には、マナーの悪い四駆乗りが付けたであろう大きな轍があった。

「えっ……きゃっ」

 彼女の小さな身体が一瞬宙に浮き、次の瞬間にはビーチフラッグよろしく砂の中に頭から突っ込む。

 急いで立ち上がり彼女の元に駆け寄ると、哀れにも砂にまみれた少女を後ろから抱きかかえて一気に持ち上げた。

「大丈夫?」

「死ぬかと思いました」

「……うん」

「笑って大丈夫なとこです」

「はっはっはっはっはっ」

「……ありがとうございます」


 流木のベンチまで戻り砂を一生懸命に払ったあと、彼女は右掌の上に乗せたシーグラスを得意げに見せつけてきた。

「ほらこれ! 海とおんなじ色でしょ!」

「お? 俺の見つけたのと同じ色だ」

 ポケットの中に仕舞ってあったシーグラスを取り出して彼女に見せる。

「あ、ほんとだ。この子たち、元はひとつだったのかもしれないですね」

 その可能性は限りなくゼロに近いだろうが、彼女の素敵な想像に乗ってみることにした。

「きっとそうだよ。こうすれば、ほら」

 千尋ちゃんの掌にある青色の横に俺の青色を並べて見せる。

「またひとつになった」

「……」

「ん? 千尋ちゃん?」

「私と万里くんも……また会えましたね」

「……そうだね」


 元々叔父夫婦の家に行くだけの予定が、随分と遠くまで来てしまっていた。

 そろそろ戻らないと祖母に心配を掛けてしまうだろう。

 まだ若干砂っぽい彼女の手を取ると、海風に優しく背を押されながら畑の農道を通って家路を急いだ。

 来た時よりも足取りが軽く感じるのは、浜辺で得た二人だけの宝物の効果だろうか。

「万里くん」

「なに?」

「これ、あげます」

 彼女はスカートのポケットから先程拾ったシーグラスを取り出し、俺のズボンのポケットの中にコロンと放り込んだ。

「じゃあこっちは千尋ちゃんに」

 俺も自分のシーグラスを出すと、彼女の掌の上にポンと置く。

「ありがとうございます! 死んじゃったあとにも思い出って作れるんですね!」

「そ……うだね。多分、レアケースだとは思うけど」

 そうでなければ大変なことだと思った。



「万里あんた、海に行ってたんか?」

 庭先で掃き掃除をしていた祖母は俺の姿を見ると開口一番にそう言った。

「え? なんでわかったの?」

「ほっぺたに砂がついてるに」

 祖母に指摘されて頬を触ると、ザラリとした感触と共に幾粒もの砂が手に付着した。

「ご飯の前にお風呂に入っといで。昨夜のお湯だけと夏だで平気だら」

 海に行ったといっても足首を少し濡らした程度だったので風呂に入る程ではないとは思ったが、顔に砂が付いていたくらいだから服の下もきっと似たようなことになっているのだろう。

 それにどうせ着替えるのであれば、汗も流してさっぱりするのもいいかもしれない。

「じゃあ、パパっと入ってくる」

「はいね。いっといで」

 サマーシューズに付いていた砂を払ってから家に上がり、そのまま風呂場へと直行する。


 脱衣所の洗濯機に着ていた物を全部突っ込み、夏の昼間の日差しが射し込むタイル張りの浴槽に遠慮なく飛び込んだ。

「あ~……ほぼ水だけどこれはこれで気持ちいいかも……」

 完全に湯温――水温といった方が正しいか――のせいだろうが、入浴というよりは子供用のビニールプールにでも入っているような気分だった。

(なんだかよくわかんないけど楽しいなぁ)

 浮力に身を任せてユラユラと腰を浮かせながら目を瞑ると、いよいよ水遊びをしているような錯覚を起こす。


 だからだろうか。

 浴室のガラス戸がガラガラと引かれる音と同時に発せられた「お湯加減はどうですか?」との問い掛けに対し、普通に「水。ほとんど水。……だけど今はそれがいい」と、素の自分で返答をするまで我が身に降り掛かっている非常事態に気づいていなかった。

「って! ちょっ!」

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