事故
髪を乾かしに下階に降りると廊下でちょうど祖母と鉢合わせたので、布団をもう一組貸して欲しい旨を申し出た。
「いいけど、どうするんだい?」
「俺、寝相が悪くてさ。昨夜も気がついたら床の上で寝てて」
我ながらもっともらしい言い訳を思いついたものだ。
「そんなら、二階の隣の部屋にある押入れから持ってきない」
「ありがとう。じゃあ、おやすみなさい」
髪を乾かしてから階段を上ると、言われた通りに押入れから布団袋を引っ張り出してその場に敷く。
タオルケットは捲ってあげておいた方がいいのだろうか。
彼女が触れることの出来る物とそうでない物の法則性がまだよくわからなかった。
「千尋ちゃん。隣の部屋に布団――」
ドアを開けながら声を掛けるも、彼女は既に夢の世界の住人になっていた。
どうやらタオルケットを自分で動かすことは出来たようで、首まですっぽりと布団を掛けて小さな寝息を立てている。
そして驚くべきことに、その枕元にはセーラー服とプリーツスカートが綺麗に畳んで置かれていた。
(えっ! 服も脱げるの?)
数カ月ぶりに出張から帰ってきたら、まだ赤ん坊だと思っていた我が子が『ぱっぱ』とか言いながら歩いて近づいて来たのを目撃した時の父親は、きっとこんな心境なのではないだろうか。
(……まあ、俺が向こうで寝ればいいのか)
机の上に置いてあったスマホと充電ケーブルを手に取り、電灯の紐を静かに三度引っ張ってから部屋を後にする。
隣の部屋で布団に入るとすぐに眠気が襲ってきた。
念の為アラームをセットしておこうとスマホの画面を見ると、SNSアプリのアイコンの上に十数件の未読バッジが点灯している。
そのうち半分は友達からで、残り半分は幼馴染の理亜からだった。
それらの内容はといえば取るに足らないものばかりで、理亜のものに関して言えば文面が違うだけで『さみしいから早く帰ってきて! そんでもって遊んで!』といった風だ。
彼女とは二日前に会ったばかりだが、正直にいえば俺も少しだけ恋しい気持ちが芽生え掛けていた。
(ここ数ヶ月くらいは毎日一緒にいたからなぁ)
彼女のことを妹のような存在だと思う反面、中学に入った頃から自分の中でそれ以外の感情が膨らみ始めていたことにも気づいた。
ただ、それが恋愛感情なのかといわれれば、正直なところわからないとしかいえない。
帰ったら彼女の顔を見て、もう一度しっかりと考えてみようと小さな決意を固めながら、友達と彼女に返信を送っていった。
(……あれ?)
確かSNSの返信を書いていたはずだったのだが、どうやらいつの間にか寝落ちしてしまっていたようだ。
点いていたはずの照明は消えており、左手に握っていたはずのスマホも見当たらない。
手探りで枕元にスマホを求めてみたが、細長い充電ケーブルがあるだけで肝心の本体はどこにもなかった。
タオルケットの中に手を入れて上下に動かしてみると、そこにはスマホではあり得ない大きさの何かが存在していた。
下に伸ばした手の先に触れたこれは布だろうか?
その布地は妙に柔らかいモノに巻きつけられている。
その物体――妙にスベスベとしていて触り心地が良い――に添わせて徐々に手を上にあげていくと、再び柔らかなモノが現れた。
(……なんだこれ?)
対をなすように二つ存在するそれを行き来してみる。
その時だった。
「――きゃっ!」
目の前数センチかそこらの距離から悲鳴が上がると同時に、俺は自分の手の中にあるモノが何なのかを瞬時に理解した。
次の瞬間には心臓が喉まで駆け上がり慌てて口元を押さえる。
外敵から逃れるエビよろしく背中から即座に布団を飛び出ると、二メートルも離れた壁まで後ずさって目を凝らした。
カーテンの隙間から僅かに漏れる月明かりに浮かび上がる布団のシルエットから、人のような影がのそりと起き上がるのが見えた。
その胸元にある双丘こそが、先程俺が何往復かしたそれなのだろう。
「……」
「……」
その時間はといえば、まるで山中でクマと鉢合わせてしまった時のような緊張と静寂に支配されていた。
「千尋……ちゃん?」
勇気を出して発した声はかなり掠れていた。
「もしもし?」
「……ひどいです」
全くその通り過ぎて返す言葉もなかったが、無言でいることで先程の行為が故意だと思われるのは避けたかった。
「違うんだ! その、まさか
「……もうお嫁に行けないです」
色々と突っ込みたかったが、今は何を言ってもブラックジョークかセクハラになってしまう。
「なんで俺の布団に?」
「真っ暗だったから。私、おばけとか恐くて……」
ああ、突っ込みたい。
「とにかく……ごめん」
「……」
「申し訳ありませんでした」
「わざとじゃないならもういいです」
シルエットの彼女が肩を小さく落としたのが見えた。
なんとか
本来そうであった通り彼女にここで寝てもらい、俺は向こうの部屋に帰ることにしよう。
「暗いのが怖いなら電気つけて寝るといいよ」
そう言ってから、天井からぶら下がっている紐を手探りで探し当てて下に引く。
昔ながらのグロースターター型の蛍光灯が二度三度チカチカと点滅してから点灯すると、その真下には水色の
「きゃあああ! 消して! 電気消してください!」
「うわ! ごめん!」
慌てて電灯の紐を引くと辺りは再び真っ暗になったが、俺の網膜の奥には彼女のあられもない姿が焼き付いたままであった。
理亜の持ち物に比べると半分程しかない彼女のそれだったが、誤解を恐れずに言わせてもらせばとても美しいと思った。
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