主役
亡くなった従妹の通夜にその従妹本人が参列者と共にやってきた。
目の前で起きている有り得ない出来事を信じるよりは、自分の頭がおかしくなってしまったと考えた方が遥かに論理的だろう。
だがそれとて証明する手段などないのだから、残念ながらもう手の打ちようがなかった。
恐らくは畳で打ち付けたのだろう。
行動を再開した彼女は左手で自分の額を軽く撫でていた。
そして、父母や祖母や親戚衆の前を行ったり来たりし、時には耳元で声を上げ、時には珍妙な動きでその注意を自分に向けようと努力しているようだったが、そのいずれも功を奏していなかった。
大人達に気付いてもらうことを諦めたのだろう。
彼女は肩を大きく落としトボトボと、俺の方へと戻ってくるではないか。
俺とて最初からこの少女がこの世のものではないとわかっていれば、会話はおろか目を合わせることすらしなかったのだが、何もかももう手遅れだった。
すぐ目の前までやってきた少女は、その大きな瞳に大粒の涙を溜めながら口を開く。
「私……。本当に死んじゃったんですか?」
周りにいる人達に聞こえないように小声で答える。
「残念だけど……」
彼女は小さく肩を震わせ始める。
「……うっうぅ」
下瞼に溜めに溜め込んでいた涙をボロボロと零しながら、遂には「ふえ~ん」と大きな声をあげて泣き始めてしまう。
まるで俺が泣かしてしまったようで気まずいことこの上なかったのだが、幸いにも彼女のことを気にする人間は俺を除いてここには居ない。
そうこうしているうちに彼女は両手の甲で自らの涙を何度も拭いながら、小さな子供がするように肩までしゃくらせ始める。
その姿は生きている人間そのもので、髪の一本一本のディティールまでがはっきりと見て取ることが出来た。
だからだろうか。
俺は彼女のほうへと手を伸ばすと、激しく震える背中を撫でてやろうとした。
実際に触れることが出来ずとも、彼女の姿を成しているそれの表面を形だけでもと……そんな思いだった。
ところが、だ。
ところが、俺はなんと彼女に触れることが出来てしまったのだ。
掌には確かに彼女の着ている制服の生地の質感と、その下にある小さな背中の形状が伝わってくる。
「っえ?」
涙で顔をグシャグシャにした彼女が顔を上げる。
「あ、ごめん。……触れるとは思わなくて」
その時の俺は一体どんな顔をしていたのだろう。
きっと口の端をヒクヒクと引きつらせながら『ごめんなさい手が当たっちゃいました』とでも言いたげな、満員電車のサラリーマンのような情けない表情を浮かべていたのではないだろうか。
「……ひぅっ……わたしに……触れるん……ですか……?」
「そう……みたい」
次の瞬間、彼女は殆どダイビングボディアタックのような勢いで俺の胸の中に飛び込んできたではないか。
「ぐぉっふ!」
すかさず体重を前方に掛けかろうじて転倒こそ免れたはしたが、喉から漏れた素っ頓狂な声のせいで周囲にいた人達の視線を一気に集めてしまう。
「大丈夫? でも千尋ちゃんもきっと喜んでくれてると思うわよ」
俺の間抜けな声が嗚咽にでも聞こえたのだろう。
一番近くにいた年配の女性はそういうと、自身も涙を浮かべて俺の肩をポンポンと叩いてくれた。
「……すいません。大丈夫です」
目元を拭うフリをしながら女性に会釈をするも、幽霊に抱きつかれて大丈夫なのかどうかは俺にもわかっていなかった。
それはそうと。
顔のすぐ下でわんわんと泣きわめいている千尋ちゃんに、俺は確かな質量の存在を感じ取っていた。
体温こそ感じないものの背中へと回された腕の太さや力強さ、それに幽霊とは思えないような柔らかな質感も確かにある。
試しにそっと彼女の頭部に手を置いてみると、絹のような繊細さを思わせる髪の毛の感触が掌に伝わってくる。
(……? どうなってんの?)
何れにせよ、今ここで彼女を引き剥がすようなことをすれば、周りからはきっとパントマイムをしているようにしか見えないだろう。
俺は何事もなかったかのように直立不動で遠くに目を遣りながら、彼女が泣き止むのを心を無にして待つしかなかった。
五分――いや、十分は経っただろうか。
ようやく彼女は泣き止むと、胸に飛び込んできた時とは真逆に非常に怠慢な動作で離れていった。
その顔はといえば、とてもわかり易く『泣いたあと』のそれであり、俺はポケットから取り出したハンカチで彼女の目元を拭ってあげた。
(……あ、濡れてる)
古典怪談の有名な話で『タクシーの後部座席がびっしょり』というものがあるが、あれは意外と実話なのかもしれない。
「……あの。すいませんでした」
「いや……。ちょっとは気が晴れた?」
「わかんないです……」
まあそれはそうだろう。
「千尋ちゃん。俺、そろそろ中に行こうと思ってるんだけど。どうする? 一緒にもう一度くる?」
「……ついていってもいいですか?」
(憑いて……?)
本当のことをいえばあまり良くはなかった。
だが曲がりなりにも従妹で、年下の女の子でもある彼女を放って置くわけにもいかない。
「うん、いいよ。てゆか」
「……はい?」
「今日の主役は……君だし」
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