兄妹

 二人だけの花火大会は、ほんの三十分程で締めの線香花火のステージに到達していた。

 赤と緑と黄色に着色されたこよりの先にロウソクの炎を近づけると、ヴヴヴと不思議な音を出しながら小さな火球が形成される。


「線香花火の燃え方ってひとつひとつに名前があるって知ってた?」

「そうなんですか?」

「うん。確か最初が”つぼみ”で最後が”ぎく”だったかな? あとは忘れたけど」

「それじゃ私と万里くんでひとつずつ、勝手に名前付けちゃいましょうか?」

「いいよ。じゃあこのパチパチしてる奴は”火花ひばな”で」

「そのまんま、ですね」

「あ、変わった。この雨が降ってるみたいなの千尋ちゃんが付けてよ」

「そうですね。それじゃ”千里ちさと”にします」

「ぶっ!」

「あ! ほら! 万里くん動くから落ちちゃったじゃないですか!」

「千尋ちゃんがヘンなこと言うからだよ……」

「えっと。あ、あと一本で終わりです」

 彼女が最後の線香花火に火を点け、俺は小さな頭越しにその動向を見守る。

 生まれたばかりの光の玉が静かに輝き出し、やがて赤い小さな舌をチロチロと周囲に放ちながら一際激しく燃え上がったと思うと、次の瞬間には衰えて静かに消えていく。

 それはまるで人の一生のように美しく、そしてはかなかった。

「私もこの子と同じですね」

「……」

「ごめんなさい。何でもないです」

「……そろそろ帰ろっか」

「はい」

 来た時よりも格段に重くなったバケツを下げながら堤防に上ると、夜空にはいつの間にか丸い月が昇っていた。

「万里くん、月がほら。多分明日が満月じゃないですかね?」

「本当だ。地面に影が出来てる」

「夜なのに……ちょっとだけ不思議ですね」

「うん。それにしても綺麗な月だね」

「はい……。本当に」

「まるでホットケーキみたいだね」

「私、ホットケーキはもう少しキツネ色のやつが好きです」


 そんなような他愛もないやり取りをしているうちに自宅まで戻ってくる。

「万里くん。このあとって何か予定とかってありますか?」

「え、ああ。宿題を少し片付けようと思ってたんだけど、それは明日でもいいかなって気がしてきた」

「それじゃ、一緒にテレビ見ましょうよ」

「いいね。九時からやる映画見ようと思ってたんだけど、それでもいい?」

「はい!」


 彼女は家に戻るとすぐに二階の部屋に戻り、駅ビルの雑貨店で購入したファンシーに身を包んで下りてきた。

「万里くん! これ見てください! すっごくかわいくないですか?」

 白を基調にピンクや水色といったパステルカラーを配した色合いのモコモコとしたそのルームウェアは、幼い容姿の彼女にとても似合っていたのだが――。

「それ、暑くない?」

「あ、やっぱりわかりますか? ちょっとだけ暑いですけど、でもかわいいからぜんぜん平気です!」

 どうやらビジュアル優先でチョイスされたモコモコのようだった。

「それ、似合ってるよ。可愛いし」

 それになんだか甘くて美味しそうな雰囲気がある。

「ですよね! こういうのずっと欲しかったんですけど、お父さんに見られるのが恥ずかしくて」

 モコモコした彼女がモジモジと身をよじる。

「ところでそれって上下セットアップじゃなかったっけ?」

「付いてましたけど暑いですし。でもパンツは見えない長さだから大丈夫です」

 さっきからファンシーの下からセクシーがチラチラと見え隠れしていたので指摘したのだったが。

 まあ、もっとも下着すら装備していない彼女の下半身を散々見てきた俺からすれば、多少セクシーが見えたところでどうということはない。


「エアコンの設定温度、少し低めにしておくから。もし寒かったら言ってね」

「電気代がもったいないですから大丈夫ですって!」

「それこそ大丈夫だよ。うち、電気は自給自足してるから」

「え? 万里くんちって発電所、持ってるんですか……?」

「大体そんな感じ」

「すごい!」

 本当は太陽光発電と電気自動車を組み合わせたV2Hビークルトゥホームが稼働しているだけなのだが、これも広義には発電所のようなものなのであながち嘘でもないだろう。


 リビングのソファーに並んで腰掛けると丁度お目当ての番組が始まったところだった。

「今からやるのって、なんて映画なんですか?」

「えっと――恋愛映画みたいだね」

「日本の映画ですか?」

「うん。原作は小説らしいんだけど、ぶっちゃけ俺も詳しく知らない。って、始まったよ」

 映画評論家による冒頭の解説が終わると、画面いっぱいに海と空の青が広がる。

 どうやらこの映画の舞台は、海の近くにある田舎の小さな町らしかった。


 高校二年生の少年が体調を崩した母方の祖母を見舞いに訪れた町で、同い年の少女と運命的な出逢いを果たしたシーンから物語はスタートした。

 直後に時間は遡り、今度は十二歳の夏生少年と二つ上の従姉の少女との幼く甘酸っぱいやり取りが描かれる。

 その関係性はといえば、まるで自分と従妹の少女のそれのようだった。

(なんだかこれ、ちょっと気まずい内容だな……)

 横をチラリと見ると、同じタイミングでこちらを向いた彼女と目が合ってしまい、わざとらしく小さく咳払いをしながら画面に目を戻す。


 ただの淡い恋愛話かと思っていた物語は、後半になり突如として少年に過酷な運命が襲い掛かる。

(なんか思ってたよりも重い話だな、これ)

「千尋ちゃんどう? 面白い?」

 彼女が退屈していないか不安に感じて首を横に向ける。

「……千尋ちゃん?」

「……っ」

 彼女はボロボロと大粒の涙をこぼしながら画面に釘付けになっており、俺の声はその耳まで届いていないようだった。

 テーブルの上のティッシュを箱ごと彼女に渡す。

(これは楽しんでいるってことでいいのかな……?)


 二時間の映画が終わった頃には目の前のテーブルの上に高尾山クラスの標高を誇るティッシュの山が築かれていた。

「映画、どうだった?」

「悲しかった……。けど、いいお話だったと思います」

 真っ赤な目でそう言った彼女は、ティッシュを更に二枚取って鼻をかんだ。

「なんかごめんね。予告を見てもっとこう、楽しい話かと思ってたから……」

「いえ、大丈夫です。見てよかったです」

「それならいいんだけどさ。それじゃ、そろそろ寝ようか。って、念の為に聞くけど」

「はい?」

「一応来客用の布団はあるんだけど」

「万里くん。そろそろ覚えてください」

「……はい」


 二階の自室に戻ると彼女はそのままベッドに潜り込んだ。

 祖母の家では布団だったのでそれ程でもなかったのだが、シングルベッドに二人で並ぶと必然的に密着度合いが半端ではなかった。


「千尋ちゃん、狭くない?」

「あ、ごめんなさい。もうちょっとこっち来てください」

 そういう意味ではなかったのだがまあ……いっか。

「それじゃおやすみ」

「はい、おやすみなさい」

 今日も今日とて幼い兄妹のようにぴったりとくっついて目を閉じると、自分でも意外なことにすぐに眠気が訪れ、そして次の瞬間には意識は遥か彼方へと遠退いた。

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