第38話 気がかりなこと

 クラスの様子が、少し変だと気が付いたのは、その日からだった。

 球技大会の三日前。LHRの時間に各々の出場競技を決めることになった。

 なんと司会は球技大会委員の岬さんと俺。

 まぁ、球技大会のための係なのだから当然俺達の役目なのだが、もちろん気は重かった。

 教卓の前に立ち、話しを進めていく。

「と、いうのが当日の流れになってます!スケジュールや対戦表は決まり次第、黒板に貼っておきますので、それぞれ確認よろです!」

 岬さんはこの前の球技大会委員会の時、全く話を聞かずに俺にばかりちょっかいを出していたはずなのだが、プリントに沿ってしっかりと説明してくれていた。

「じゃ、次は出場競技を決めていきたいと思いまっす。ひとまずやりたい競技の横に名前書いてもらって、希望者が多いところはじゃんけんね!では、どうぞ!」

 岬さんが声を掛けると、友人達と相談しながら、のそのそとみんなが黒板前にやって来る。

 俺はささーと隅に避けながら、その様子を見守る。

 岬さんが進行してくれているおかげで、俺は書記を担当するだけで済んでほっとしていた。

 俺なんかがクラスメイトに声を掛けても、きっと誰も動いてはくれなかっただろう。

 岬さんはノリも軽く、物怖じしない子のようで俺は心の底から感謝した。

「ありがとな、岬さん」

 俺と同じように教卓の前から移動した岬さんは、にっと笑った。

「これくらいいいってことよっ!それより藤沢っち、謝礼は弾むんでしょうな?」

 岬さんの言う謝礼とは、恐らく皐月の情報か何かだろう。あまり突っ込んだことは言えないが、皐月の好きなお菓子でも教えてやるか。

「謝礼って?」

「うおっ!?」

 澪が俺と岬さんの間ににゅっと割って入ってきた。

 岬さんは慌てたように「いやいやなんでもないのですじゃ。冗談の範疇ですのじゃ」と謎の言葉遣いで誤魔化した。

 岬さんとしても、皐月のことを好きであると言うことはなるべく言いたくはないのだろう。

「さて、あたしも競技決めないとなぁ~~」とわざとらしく黒板の方へと向かう岬さん。

この人、誤魔化すのが下手過ぎるだろ…。

 これでは皐月に気持ちがバレるのも時間の問題なのではないかと思ってしまう。

 岬さんを見送った澪は、じとっと俺の瞳を見つめる。

心海ここみ、なんかすごい変じゃなかった?」

「そ、そうか?あの人はいつもあんな感じだろう」

「涼と心海、急激に仲良くなってる気もするんだけど…。そんなことない、よね??」

 澪の可愛らしい笑顔の中に、変な圧を感じる…。

「気のせいだ。委員会が一緒だから、少しは話せるようになっただけだよ」

 岬さんの好きな人が皐月だと知ってしまった手前、多少協力することになってしまったが、このことは他言無用となっている。

「ふうん…」

 澪は尚も何か探るような瞳で俺を見ている。

 ふっと視線を外すと、ぼそりと呟いた。

「私の方が早くに手を挙げていれば、今頃涼と二人で球技大会委員出来たのにな…」

 声のボリュームが小さいせいで、所々聴き取れなかったのだが、澪はやっぱり俺が球技大会委員に決まってしまった時、一緒にやってくれようとしたのだろうか。

「…俺も澪と一緒だったら、気が楽だったんだが…」

 実際岬さんも悪い子ではないし、そこまで苦ではないが、幼なじみの澪とならもっと気楽で、楽しかったのではないかと思ったりもする。

 俺の言葉に、「えっ?」と顔を上げた澪は、何かを口にしようとしてその時丁度、「澪~、競技どうするー?」と他の女子から声が掛かってしまった。

「あ、えっと…」

 何か訊きたそうにする澪に、「行ってこい」と声を掛ける。

「涼、ごめん、私も名前書いてくる!」

「ああ」

 澪が楽しそうに女子と相談する様子を眺めて、俺もいつかは自信を持って澪の隣で肩を並べられる日が来るのだろうかと、ぼんやりと思った。

 俺は、自分が澪に相応しくないとはっきり分かっている。

 それでももちろん、諦める気などさらさらない。

 今の俺に出来ることは澪が一緒に頑張ってくれた潔癖症克服リストを継続していくことだろう。澪の協力を、無駄にしてはならない。

 そうしていつか、納得の出来る自分になれたら、その時は……。

 とそんな風に物思いに耽っていると、皐月が勝手に俺の名前をバスケの欄に記入していた。

 「辻堂」、と自分の名前を書いて、その横に「藤沢♡」と書いて、こちらに笑顔を向けた。

 おいこら何してる。一緒にバスケに記入してくれたのは嬉しいが、最後のハートマークはなんだ。クラスで浮いている俺にハートマークなんか付けるな。お前の気持ちはよく分かってるから!

 俺と皐月が身振り手振りでやり取りしている様子を、クール女子加藤さんが虫でも見るかのような蔑んだ目で見ていた。

 怖いよ…。相変わらず怖いんだよ、加藤さん…。

 ふと教室の後ろの席を見ると、ぽつんと椿姫さんが席に座っていた。

 みんながわいわいと楽しそうに競技決めをする中、一人でいる椿姫さんがあまりに寂しそうに見えて、俺は思わず声を掛けに行った。

 今ならみんな競技決めに夢中で、俺達のことは見ていないだろう。

「よお、椿姫さん」

 椿姫さんははじかれたように顔を上げた。

「りょ、涼くん…」

「椿姫さんは何かやりたい競技とかないのか?」

 俺の質問に、椿姫さんは困ったように眉を下げる。

「あ、あの、私は特に出たい競技とかはなくて…。球技もそこまで得意ではないですし…。余ったもので大丈夫です…」

 椿姫さんは日頃から控えめではあるが、今日はやけに消極的というか、露骨に元気がないように思えた。

 何かあったのだろうか?

「椿姫さん、何か…」

 何かあったのか?そう尋ねようとした時、敵意剝き出しの嫌な視線を感じて、俺はそちらに目を走らせた。

 そこにいたのは、三人の女子生徒。

 溝口 八重みぞぐち やえという金髪の女子を中心とする、クラスでも目立つ女子グループだった。

 俺が視線を向けたことによって、彼女らはふいっとそっぽを向いた。

 なんだ…?

「はーい、じゃあ一旦みなさん席に着いてくださーい!」

 そうこうしているうちに、大体の生徒が黒板に名前を書き終わったらしく、岬さんがクラスに呼び掛けた。

「椿姫さん悪い、ちょっと戻る」

 そう声を掛けると、「はい…」と椿姫さんの小さな返答があった。

 俺は後ろ髪を引かれながらも、慌てて教卓の前に戻った。

 黒板に書かれた競技の一覧の横に、クラスメイトの名前が記入されている。

 女子バレーボールの欄に、「北白河」と椿姫さんの名前を見つけた。

 椿姫さんもそれに気が付いたのか、目を丸くして黒板を見ている。

 さっと澪に視線を走らせると、小さくブイサインをしてくれた。

 椿姫さんを自分と同じバレーボールにしたのは、澪か。

 澪は椿姫さんの方へと振り返ると、そちらにもピースを見せた。椿姫さんはほっとしたように、品のいい笑顔を澪に向けた。

 椿姫さんが何故かクラスメイトと打ち解けられていないことを、澪も気が付いているのだろう。

 澪と椿姫さんではタイプは全く違うが、そこそこ仲良くしているようだったし、澪のファインプレーに心の中で称賛した。お前、本当にかっこいいな…。

 人気の競技はじゃんけんとなり、負けた人には申し訳ないが余っている競技に移動してもらって、何とかみんな出場競技が決まった。

 因みに俺達の出場競技はこんな感じ。


 藤沢、辻堂→男子バスケ

 桜坂、北白河→女子バレー

 岬→女子ソフトボール


 岬さんが話をまとめてくれている間に、俺はまたさっと椿姫さんの方へと視線を向けた。

 隣に座る皐月が何か話し掛けていて、椿姫さんはいつものように楽しそうに笑っていた。

 俺は少しほっとした。


 潔癖症の俺にとって、いやこの場合は運動音痴の俺にとって、はかなり億劫な球技大会が目の前に迫っていた。


 そこで椿姫さんの抱えている気持ちに向き合うことになろうとは、思いもよらずに。


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