第4話 放課後の勉強会
『ふむ、なるほど』
澪のざっくりとした説明を訊いた皐月は大きく頷いた。
『まぁ、なにかしらアクションがあるんじゃないかとは思っていたなぁ』
そう皐月はのんびりと口を開く。
その返答にまたも驚いたような声を上げる澪。
『ええ、皐月くん知ってたの!?私だけ仲間外れ!?』
「いや、そういう訳じゃないんだが…」
『で、涼、どうすんだよ?北白河さんからのお誘い。もちOKだろ?』
「え?いや、」
俺は返答を決めあぐねていた。「潔癖症」を理解していない人間とは、俺も一緒にいて疲れるし、向こうも面倒に思うだろう。
やはり断るのが一番ベターか、とせっかく声を掛けてくれた北白河さんには大変申し訳ないが、お断り方面に天秤が傾いていた…のだが。
『涼もそろそろ、俺達以外にも友達作らなきゃな~』
と皐月がぽつりと言った。
『そりゃもちろん、これからもずっと親友だぜ?でも俺も部活忙しい時もあるし、澪だって部活あったり、女子と遊んだりするだろ?って考えると、涼は一人で寂しい時間が増えちまう。だったら他にも友達がいた方がいいだろ?』
「別に、一人でも寂しくなんかないが???」
これは決して強がりなんかじゃない。多分……。
『まぁまぁ、せっかく誘ってくれたんだから、たまには行ってきなさいよ、って話。な?澪』
話を振られた澪は、返事に困っているようだった。
『私は…私は、涼がそうしたいならいいけどぉ…』
何となく歯切れの悪い返答の澪。
皐月の意見もまぁ分からなくもない。俺も薄々思っていたことだ。
『それに北白河さんは美人だ!美人と仲良くなれるチャンスだぞ!涼!』
『え?待って、涼ってそうなの?ちょっと待って』
通話口で皐月と澪がぎゃーぎゃー言い合っているが、俺は意を決して北白河さんにOKのメッセージを送った。
高校生活もあと二年弱。高校を卒業したら、必然的に関わる人も多くなるだろう。いつまでも二人とずっと一緒という訳にもいかない。それはよくわかっていた。
確かにコミュニケーションもなんとかしないとまずいかもな。
…恋愛だって、いつかはまた出来たら…。
若干億劫な気持ちを引き摺りつつ、俺は強制的に一歩を踏み出すこととなった。
翌日の放課後。
そういえばどこで勉強するかも特に訊いていなかったな、と北白河さんの出方を窺っていたのだが、さすがにそれは男としてダサいか?と思い、思い切って彼女の席まで行ってみた。
「北白河さん」
声を掛けると、帰り支度をしていた彼女は驚いたように顔を上げた。
俺が北白河さんに声を掛けたことが余程意外だったのか、近くにいた生徒や、帰り支度をする生徒達が驚いたような顔でこちらを振り返った。
そりゃ意外だよな。北白河さんは男女共に憧れられる美人。片や平凡な俺。
人がいるところで声を掛けるのはやっぱりまずかっただろうか…?
まずメッセージを送るべきだったかな…と少し反省していると、北白河さんの隣の席、皐月が親指を立てて「ナイス!」と言っているような気がした。本当に隣の席だったんだな。
何にせよ仕方がない。もう声を掛けてしまったのだ、このまま話すしかない。
「今日、どこで勉強する?」
北白河さんは少し俯き気味に、「じゃあ図書室で…」と小さく呟く。
「分かった。先に行ってる」
そう返答して、俺は鞄を肩に掛けて先に教室を出た。
なんとかうまくいったか。手短に済ませられてよかった。
しかし教室を出る時、何故だか澪が不安そうな表情をしていた。特に話しかけてくることはなかったが、何か言いたいことでもあったのだろうか。
少し後ろ髪を引かれながらも、俺はひとまず図書室に向かうことにした。
放課後の図書室は、とても空いていた。
本を読むことは好きだが、不特定多数の人が触ったものを家に持って帰るのが苦手なので、図書室で読んで帰ることがしばしばあった。
しかし自習スペースを使うのは初めてかもしれない。
図書室の奥、本棚がずらりと並ぶその隅に、自習用のスペースがある。簡単に言うと、手前の席が読書スペース、奥が自習スペースだ。
俺はその自習スペースの更に奥、入口からはあまり目立たない席を拠点とすることにした。
まずは持っていたウェットティッシュで机を綺麗に拭く。ついでに椅子も。右隣の椅子に鞄を置き、手指を除菌して、北白河さんが来るのを待った。
すると五分くらいして、北白河さんが図書室に入ってきた。当たり前だが図書室で大声を上げるのはいかんので、ひとまずここです、と分かるように手を挙げてみた。
図書室にはほとんど人がいなかったので、きょろきょろしていた北白河さんはすぐに奥に座る俺に気が付いてくれた。
何故か少し緊張したような面持ちでこちらにやってくる北白河さん。
「お待たせしました」
そう言って、先日と同じように可憐な笑顔を見せる。
やはりすごく美人だ。目の保養とはまさにこういうことか。
なんと返事をしていいのか分からない俺は、「おう」と一言だけ返す。
当然向かいに座るものだと思っていた北白河さんは、何故か俺の左隣に腰を下ろした。
俺はそのあまりの近さにびっくりして、少し肩を揺らしてしまったかもしれない。
それに目ざとく気が付いた北白河さんは、「大丈夫です」と口にした。
「あの、藤沢くんは人に触れられるのが苦手って訊いているので、触れるようなことは絶対にしません」
「あー、皐月か?」
「はい、辻堂くんから聞きました」
そうか。北白河さんと皐月は隣の席だもんな。しかし皐月がわざわざ俺の話なんてするだろうか。涼は潔癖症で~、なんて言いふらすような奴なら、俺は友達やってない。
俺が露骨に訝し気な表情を見せたせいか、北白河さんは慌てたように付け足した。
「えっと、私から辻堂くんに訊いたんです。藤沢くん、この前消毒のジェルを持ち歩いていたでしょう?それで、藤沢くんといつも仲良さそうにしている辻堂くんなら、なにか知っているかな、って」
俺が怒ったと思ったのか、彼女は説明を続ける。
「辻堂くんは、涼は少し綺麗好きで人に触れられるのが苦手なんだ、って言ってました」
そう説明する皐月の表情を思い浮かべる。どう説明したもんか、と悩んで選んでくれた言葉なのだろう。
「藤沢くんのこと、こそこそと訊いてごめんなさい。一緒に勉強するのに、藤沢くんが嫌な気持ちになってほしくなかったから、知っておいた方がいいかなと思ったんです」
「そうか…」
本当にいい子なんだな。たかだか一緒に勉強するだけで、どうしてそこまで気を遣ってくれるのだろうか。もしかして俺が「潔癖症」なことも、話せば案外理解してもらえるものなのだろうか。
「それでね!」
そう言った北白河さんは、自分の鞄から四角いボトルを取り出した。清楚なお嬢様から、年相応の女の子になったみたいに目を輝かせていた。
「これ、買ってみたんです!」
見せられた四角いボトルには、「手指消毒液」、と書かれていた。ポンプ式になっている、俺がいつも持ち歩いている小さなジェルより、消毒効果は強力そうなものだった。
俺はあまりの驚きに、何も言えなくなる。
「これ、消毒効果はもちろんなのですが、手荒れしないってネットで評判で!今朝薬局さんで見つけて買ってみたんです。綺麗好きな人は、こういうのあった方が安心なのかなって。机に置いておくので、良かったら好きな時にお使いください」
何故だかやたらと嬉しそうにそう話す北白河さんは、それはもう可愛かった。
わざわざ調べて、俺のために持ってきてくれたのか?
心がじんわり温かくなるのを感じる。
すごくいい子だ。こんなの、誰だって好きになっちゃうだろ…。少女漫画のヒロインのように、俺の心臓がとくん、と音を立てた気がする。
もしかしたら…とさらに淡い期待までも抱いてしまう。
もしかしたら、この子だったら、俺の「潔癖症」を理解してくれるんじゃないか?
俺が「潔癖症」になった理由も、人に触れられなくなった理由も、全部受け止めてくれるんじゃないか?
俺は頭を振って、そんな邪な考えを振り払った。
勝手に人に期待を押し付けるなんて失礼だ。彼女はただ、勉強に困って俺に声を掛けてきただけにすぎない。俺と仲良くなりたいわけではない。
しかし。
それでも。
もしかしたらこの子なら…という気持ちが消せない。
「…ありがとな、わざわざ用意してくれて」
そう素直に感謝の気持ちを伝える。彼女は驚いたように俺を見てから、綺麗な笑みを形作った。
「リラックスして勉強するのが一番です」
北白河さんとの勉強会は、滞りなく進んでいった。
数学を教えてほしいと言っていたので、彼女の分からない箇所を訊きつつ、簡単に説明したのだが、その簡単な説明だけであっという間にコツを掴んで、どんどんと解けるようになってしまった。
本当に数学が苦手だったのか?教えてほしいと言われたから、数学が苦手なのだとばかり思い込んでしまっていたのだが、苦手だとは一言も言っていなかった気もする。
だったらこの勉強会には、一体なんの意味があったのだろうか。
図書室の閉館時間が近付いて、俺達も撤収の準備を始める。
「藤沢くん、今日はありがとうございました」
「あ、いや」
「藤沢くんって教えるの上手なんですね」
「別にそんなこともないと思うが…。北白河さんの理解が早いんだよ」
そう答えると、彼女は少し訊きづらそうにまた口を開いた。
「その、桜坂さんにも勉強教えていたりするのでしょうか?仲いいですよね?」
桜坂…、ああ、澪のことか。
「澪は訊いてこないな、多分あまり勉強熱心なタイプじゃない」
「澪……。名前呼びなのですね…。あの、もしかしてお二人は付き合っているのですか?」
なんでそんな質問をしてくるのだろうか。俺のことが気になっているというわけでもあるまい?これ以上俺に勘違いさせるような言動は慎んでいただきたいのだが。
「まさか。付き合ってないよ、幼なじみなんだ」
澪も皐月と同じくらい過保護で俺に構ってくるから、必然的に一緒にいることは多い。今日みたいに勘違いされることはあるのだろうか。俺に話しかけてくるやつは滅多にいないから知らんけど。
北白河さんがほっとしたような表情を浮かべた気がした。
図書室を出て、並んで昇降口へと向かう。家が俺とは反対方面ということで、北白河さんとは昇降口で別れることになった。
「まだそんなに暗くはないと思うが、家まで送るか?」
「へっ?」
そう何の気なしに言ったのだが、北白河さんはこっちが驚くくらいに顔を真っ赤にした。
「え…」
間抜けな俺は、そこで自分が何を言ってしまったのかようやく気が付いた。
「いや!違うぞ!ただ単に暗い夜道を女の子一人で歩かせるのは危ないと思って言っただけで、家を特定しようとか、押しかけようとか思ったわけではなく!!」
「あ、う、うん!分かってます…」
分かってるならなんでそんな反応をするんだ…。ただ単に二人で並んで帰ることに緊張しただけなのかもしれないが、変にどぎまぎして疲弊したぞ…。
「あの、ここで大丈夫です…」
「そ、そうか」
それじゃあ、と言って俺は自転車を取りに駐輪場に向かう。
「あの!」
北白河さんの呼びかけに、俺は振り返った。
「また、勉強教えてくれますか?」
「え、…いいけど」
俺の教えなんて必要ないんじゃないか?そう思いつつも、大した手間でもないので承諾する。すると彼女は花が咲いたような笑顔を見せた。
「ありがとう!藤沢くん、ではまた」
「お、おう」
あんな可愛い笑顔を見せられたら、本当に俺に気があるんじゃないかと勘違いしそうになる。落ち着け、そんなことは絶対にない。そもそも昨日今日話して、どうして俺を好きになりえる?そんな魅力が自分にあるとは思えん。
それに…。
「はぁ…」と思わず重苦しいため息が零れ出た。
そうだよ、北白河さんがどんなにいい子だろうと、俺には無理なのだ。
俺は「潔癖症」のせいで人に触れることができないし、そもそも俺は恋愛に、随分と臆病になってしまったのだ。
夕陽が空をオレンジ色に染め上げる。電信柱に留まっていたカラスが二羽、仲良く夕陽に向かって飛び去って行った。
「あんな思いをするのはもう、懲り懲りなんだよなぁ…」
俺の童貞ライフは、まだまだ終わりそうになかった。
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