第3話 潔癖症の俺の日常③


 五限目は体育の授業だった。男子は校庭でサッカー、女子は体育館でバレーボールだ。

 お昼ご飯後で、尚且つ暖かな陽気ときて、眠気は最高潮である。

 準備運動が終わり、俺は皐月とパス練習を始める。だらだらとボールを蹴り合いながら、ちょっとした雑談に興じる。

「なぁ、皐月」

「んー?」

「北白河さんのこと、知ってるか?」

 そう俺が尋ねると、皐月は目を丸くして見せた。そしてすぐに何故かにやにやと気色の悪い笑みを浮かべる。

「なんだよ」

 眉間に皺を寄せながら俺が皐月を睨むと、皐月はいつものへらっとした笑いを浮かべ、こう続ける。

「いや?ただ涼が女の子に興味持つなんて、すげー久しぶりじゃん?皐月お母さん、嬉しくなっちゃったのよぉ」

「誰がお母さんだ、気持ち悪いな」

 本気で気持ち悪かったので、俺が嫌悪感たっぷりに言い返すと、

「本気で気持ち悪がるのやめて!今朝澪にも気持ち悪がられて傷心なんだよ…」

と今にも泣き出しそうだったので、ひとまずこれくらいにしておいてやる。

「で、北白河さんだっけ?」

 と、やっと本題に戻った。

「知ってるもなにも、同じクラスだし。俺、席隣だぜ?」

「そうだったか?」

 俺の返答に少し呆れたようなため息をつく皐月。

「まぁ、涼は知らないよな。俺達以外と全然話さないし。たまにはクラスメイトと交流してもいいんじゃね?」

「余計なお世話だ」

 皐月だって、俺がどうしてあまり他人と関わりを持とうとしないのか、本当は理解してくれているのだ。それ以上しつこく言ってはこなかった。

「北白河さんって、どんな子?」

「どんな子…かぁ。そうだなぁ」

 皐月はサッカーボールを足元でコロコロ転がしながら、しばし思案げな表情を浮かべていた。

「すげーいい子だよ。俺、しょっちゅう忘れ物するだろ?よく教科書見せてくれたり、宿題見せてもらったりする!」

 謎に情けなさすぎる皐月のエピソードまでが披露された。見た目はそこそこかっこいい皐月が、モテない理由がよく分かった。

「いい子なんだけど、なんか人に対してすげー壁がある感じがするんだよな。上辺だけの笑顔って感じで、心は全く開いてくれない感じ」

「へえ」

 なんだかんだ言って、相変わらずちゃんと人のことを見ている。

 皐月は抜けているところは多々あるが、友達想いでいい奴だ。人の嫌だと思っていることに聡く、決して強引に踏み込んできたりはしない。

「北白河さんって、入学の時はすげー美人でスタイルもいい、って男子の中で話題でさ、」

「そうだったか?」

「そうなの。んで、最初のうちは、男子も結構アタックしてたんだけど、みんな撃沈。好きな人がいるとかで、告白する無謀な奴はいなくなったんだよな。それから男子は遠巻きに見てるだけ、女子はたまに話してる人がいるけど、これといった親しい友人はいなさそうだな。一人で本読んでることが多いし」

「ふーん」

 まぁ確かに雰囲気からして、どこかのお嬢様で大切に育てられたって感じだったな。高嶺の花というか、俺達とは住む世界が違うみたいな清廉さ。

「で!?」

 と皐月がキラキラした目で尋ねてくる。

「で?、とは?」

「涼が北白河さんに興味持つなんて、何があった?」

 先生にサボっていると思われるのも困るので、俺達はまた適当にパス練習やドリブル練習を再開する。

「何があった、というわけでもないが」

「うんうん!」

「廊下でたまたま会って、メッセージアプリのID訊かれたんだよ」

 そう話すと、皐月はこれまた目を丸くして、心底驚いていた。

「マジ?!」

「まじ」

「涼と北白河さん、接点なかっただろ?」

「ああ、今日声を掛けられるまで、名前すら知らなかった」

「はー、マジか。北白河さん、涼みたいなのがタイプなのか!?」

「そんなわけないだろ。今まで一度も話したことがないのに」

「いやいや、涼はめっちゃいい奴だからな!顔だって俺ほどじゃないけど悪くないし!北白河さん、見る目あるな!」

 皐月のこの無自覚なのか何なのか、急に平然と人を褒めてくるのはなんなんだろうか。あまりに急すぎて心臓に悪い。危く惚れちまうところだったぜ…。

澪といい、皐月といい、変わった奴らだよまったく。

 ピピーっと、校庭中にホイッスルが鳴り響く。

「集合―!試合始めるぞー!」

 体育教諭の声で、会話はそれまでとなった。彼女がどんな子なのか大方分かったけれど、俺に声を掛けてきた理由は全く分からないままだった。

 ひとまず、悪い噂はないようで安心した。


 体育の授業の後は、念入りに手を洗って、ジャージから制服へと着替える。着替える前にはもちろん、ボディシートで身体をさっと拭く。手指もしっかり除菌して、俺は更衣室を出た。

 喉が渇いていたので、教室に戻りがてら自販機に寄った。

 牛乳でも買うか。

 お金を入れて、牛乳のボタンを押す。まではよかったのだが、この自販機から紙パックを取り出すのが苦手だ。ボタンもそうだが、取り出し口は色んな人が触れる。まぁ、後で手首も除菌すればいいんだが。

 そう少し躊躇っていると、女子更衣室からうちのクラスの女子達が出てきた。その中には当然澪の姿もあって、澪は俺に気が付くと駆け足でこちらにやってきた。

「涼!お疲れ!」

「お疲れ」

 近付いてきた澪からは、なんだかやたらといい香りがした。体育で汗をかいて、彼女もボディシートかなにかで身体を拭いたのかもしれない。今朝の皐月みたいに気持ち悪がられる恐れがあるので、絶対に口には出さないけど。

「あ、飲み物買ったの?」

「ん」

 牛乳パックを取り出し、すかさず手指を除菌する。

「私もなにか買おうかなぁ~」

 そう言いながら澪は自販機を眺める。

「これ好きなんだぁ~」と言って、ピーチティーの紙パックを買っていた。

 2Dの教室を目指して澪と一緒に歩きながら、先程買った牛乳に口を付ける。ん、うまい。

「ねえ、涼?」

 なんだかやたらと甘ったるい声で澪が俺に呼び掛ける。

「ん?」

「今日の夜って、そのぉ時間あったりする?」

 そう俺の表情を窺いながら、澪が訊いてくる。

 初めてそう訊かれた時は、「は!?夜!?夜が何!?」と取り乱したものだが、この澪の問い掛けはもう聞き飽きるほどの回数を経てしまったので、ああ、また「あれか」としか思わなくなっていた。

「空いてるよ」

 俺の返答にぱああと効果音が聞こえてきそうな笑顔を見せる澪。

「じゃあまた夜に連絡する!」

 ちょうど教室に到着し、澪は嬉しそうに自分の席に戻って行った。俺は浅くため息をついて、澪の背中を見送る。

 机の上を軽く除菌ウェットティッシュで拭いて、六限目の準備を始めた。

 放課後。部活動に所属していない俺は、学校に残る用事も特にないのでそそくさと帰宅するのが基本だ。

 帰宅後は、玄関に置いてあるハンガーラックに制服のブレザーとズボンを引っ掛け、除菌・消臭スプレーをかける。それ以外は全部洗濯機だ。

 手洗いうがいを済ませ、洗濯機のスイッチを入れて、シャワーを浴び、一日の汚れを頭から洗い流す。時刻はまだ午後五時前だった。

「あー、今日も終わったー」

 自室に入り、ベッドに大の字で寝転がる。

 除菌のことはあまり考えずに済むので、当たり前だが自分の家が一番落ち着く。

 今日は仕事で両親も帰って来ない。今日日珍しくもないと思うが、共働きで仕事大好き人間の父母は、帰宅しない日がざらにある。適当にカップ麺で晩御飯を済ませ、だらだらと過ごしながら時間を浪費していく。

 夜八時頃になると、スマホがブーっと鳴って着信を知らせてきた。着信相手は例によって澪だった。

「もしもし」

『涼?今大丈夫?』

「ん」

『じゃあ、通信準備するね!』

 澪から夜に連絡がある場合は、十中八九ゲームの通信プレイのお誘いだった。

 澪が小さい頃からはまっているゲーム、アニマルの森。俺も小さい頃はかなりやり込んでいたのだが、今は澪ほど熱中してプレイしてはいない。

 可愛いどうぶつと遊んだり、家具を集めたり、街を好きに作ったり、釣りをしたりとのんびり過ごすゲームだ。

 俺もゲーム機を起動させ通信の準備をする。

『うちの島、また少し可愛くなったから見ていって!』

「はいはい」

 俺とプレイして何が楽しいんだか、澪はいつもこのアニマルの森をやる時は俺に声を掛ける。

 以前、俺とやっていて楽しいかと直接訊いた時、澪はこう返答した。

『涼と一緒にやるのが好きなの!小さい頃からの習慣もあるかもだけど…』

「さいですか」

『涼とお喋りしながらやるのが好きなんだからいいでしょ!』

とのことであった。

 まぁ俺も家ですることといえば、大概は本を読むか勉強をするかのぼっち野郎なので、可愛い幼なじみからの連絡は大変有難いものである。

『あ、涼、そっちに大きい魚いるよー』

「ああ」

 俺は意識をゲームに戻す。澪の島を探索しながら、今日の授業がどうだったとか、澪の友達が最近どうだとかの他愛ないお喋りをする。

そうこうしながら過ごしていると、普段は沈黙を続けている俺のスマホが、ぽこんと音を立てた。メッセージアプリの通知音だ。

 表示された名前にやや驚きながら、俺はアプリを開いた。

『ん?スマホ鳴った?涼の?』

 通話の向こうにも通知音が聞こえていたのか、澪がそう訊いてくる。

『誰?って言っても、涼に連絡するのは、涼のおじさんおばさんか皐月くんくらいか』 

 何気に酷いことを言ってくるな、その通りだけど。

 しかし今回に限っては、澪の予想は的外れであった。

「北白河さんからだ」

 まさか本当にメッセージを送ってくるとは。

『え…?』

 俺の返答に電話の向こうで澪が固まったのが分かる。

『え、北白河さんって、うちのクラスの北白河 椿姫さん?』

「そう」

『え?え?どうして?涼、仲良かったの?』

 澪が珍しく狼狽しているような声を出す。家族や皐月以外からの連絡なんて、そりゃ予想だにしなかっただろうな。俺だってそうだ。

 ふとゲーム画面に目を落とすと、澪のキャラクターがくるくると謎の挙動を繰り返していた。いや、衝撃受けすぎだろ。

「仲が良いわけじゃない。今日初めて喋ったし」

『え、じゃあなんで?メッセージ、なに?なんて?』

 俺も澪との会話に集中していて、北白河さんからのメッセージをちゃんと読んでいなかった。改めてスマホのメッセージ画面を開き、内容を確認する。


【こんばんは】

【夜分遅くにごめんなさい。まだ起きていますか?】


 時刻はまだ午後九時過ぎだ。男子高校生がこんな時間に寝ているわけがない。今日日小学生でも寝ていないぞ。

 そう心の中でツッコみつつ、メッセージに返信する。


【起きてる。どうした?】


 今日初めて話したばかりの女子に、少し慣れ馴れしすぎたか?と反省しつつも、彼女の返信を待つ。

 するとすぐに既読の表示が付いた。


【よかったら明日の放課後、一緒に勉強しませんか?】


 勉強?なんで俺と?

 そう疑問に思っている間にも、彼女からのメッセージが続く。


【藤沢くんって、結構成績いいですよね?去年の期末考査でお名前張り出されているのを見て】

【よかったら私に数学を教えてもらえないでしょうか】


 確かに俺の成績は上から数えた方が早い。でもそれはただ単に友人が少なく、やることがないからたまたま勉強していて、たまたま山が当たって上位に入れただけだ。毎回毎回上位というわけでもない。教わるならもっと適任のやつがいるだろうに。

 どう返答したものかと悩んでいると、電話の向こうで痺れをきらした澪が『もう我慢できないっ』と口を出してきた。

『ねえなになに?北白河さん、なんて??』

 今にもぎゃーぎゃー言い出しそうだったので、俺は端的に答える。

「俺に勉強を教えてもらいたいらしい」

『ええっ!?』

 電話越しに大仰に驚く澪の声が聞こえた。

『なんで涼?確かに涼は勉強できるけど…』

「さあ?」

 こっちが訊きたい。

『これは…、皐月くんにも相談しなきゃ!!』

「は?」

 言うが早いか澪は皐月をグループ通話に招待する。なんて行動の速さ。

程なくして皐月が通話に参加した。そしてお前も早い。暇なのか?

『おー、二人共どうした?森通信してんのかー?』

『皐月くん!それどころじゃないよ!!』

『え?お?おう?』

 澪が大好きなアニマルの森をそれどころじゃないと言い切ったことに、皐月は驚いて気圧されている。

『涼が、北白河さんに放課後デートに誘われたんだよ!!』


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