第14話 触られると思った?

 木曜日の放課後。昨日の椿姫さんとの一件で、俺は着々と自信をつけていた。

 「潔癖症さよなら大作戦」の課題を三つもクリアし、なんと他人での実践すら成功させたのだ。このまま順調に行けば、除菌に頼らず生活していけるかもしれない。

 と、かなり意気込んでいた俺と違って、澪のテンションは死ぬほど低かった。

 俺の席にやってくるなり、「はあぁ…」と盛大にため息をついて、「今日はやるよね?」と澪からはなかなか聞いたことのないドスのきいた低音で圧を掛けてきた。

「お、おう…」

 もちろん課題に取り組む気満々だったのだが、澪の謎の迫力に緊張が走る。昨日一昨日と進められなかったのが、不服だったのだろうか…。

「えっと、今日は…何だったか…」

 何だか居づらさを感じて、慌てて自分のスマホの中の克服リストを確認しようとすると、

「今日はスマホのタッチね」

と間髪入れずに澪が言う。

「そ、そうだったな…」

 何か怒っているのだろうか。俺が怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。

 基本的にいつも明るくニコニコとしているイメージの澪にしては、露骨に怒っているような感じなのは珍しい気もする。まぁ、皐月とはよく喧嘩してるけど…。

「…また皐月と喧嘩したのか?」

「あ?なんで皐月くん?」

 澪らしからぬ柄の悪い返事に、ちょっとちびりそうになった…。

 どうやら原因は皐月ではないようだ。と言うことはやはり俺なのだろう。

 わざわざ俺の「潔癖症」の克服に付き合わせているのだ。正直澪だって面倒だろうし、早く終わらせたいのかもしれない。

「よ、よし!や、やるか」

「あ、その前に訊きたいんだけど」

「え、あ、何?」

「最近の涼の「潔癖症」状態はどんな感じ?」

「え?あー、そうだな…」

 俺は澪との「潔癖症」克服ミッションを始めてからの自分の行動と心境を顧みる。

「机や椅子は、朝一度拭くくらいで、拭く回数を減らしてもなんとかストレスになっていないな。手指の消毒も、してるにはしてるが、前は自分の物に触るにも消毒してたから、それは徐々に減らせている気がする。あとは、」

 この前ブレザーを椿姫さんに貸したけど、嫌に思わなかったな…と続けようとして、俺は口を噤む。

 澪にはやはり、ちゃんと報告した方がいいだろうか。

 澪との練習のおかげでストレスや抵抗なく、他人に物を貸せたこと。有難いことに友人ができたこと。友人ができた報告など、この歳にもなって恥ずかしいにも程があるが、今更澪に恥ずかしいだのなんだの思っても仕方がない。

「澪、俺、この前、」

「そっか!徐々に除菌の回数減らせてるならよかった!じゃあ、今日も克服リスト、進めよっか!」

「あ、ああ…」

 話すタイミングを逸してしまった…。まぁまたでもいいか…?

 澪はいつものように加藤ちゃんの席に座る。怒りは静まったのだろうか…。

「今日のスマホを他人に触らせる、ってやつなんだけど」

「ああ」

「スマホって、今時結構肌身離さず持ってる物じゃん?」

「ん?うん?」

「だから、人に触らせるのって、結構ハードルが高いと思うんだよね」

「まぁ、そう、だな…?」

 と一応は頷いておくものの、俺にとってのスマホはそこまで重要度が高いものではない。

 SNSなどもやっていないし、連絡が来るのは家族と澪や皐月だけだし。あ、最近は椿姫さんからも来るか。ゲームも時たまやるが、スマホアプリよりはコンシューマーゲームの方が好きだし。

 ともあれ、ペンの貸し借りよりも、確かに身近であり難易度は高い、か?

「涼ってさ、例えばなんだけど、」

 なにやら急にしおらしくなった澪が、訊きにくそうに俺の顔をちらちら見ながら尋ねてくる。

「なんだ?」

「例えば、彼女が出来たとしてさ、彼女に自分のスマホを見せられるタイプ?」

「見せられないタイプもいるのか」

「そりゃいるよ!ていうか大多数の人はそうなんじゃない?写真とかSNSとか、自分の見られたくなくない?」

「そういうもんか?」と疑問を口にすると、澪は「あ、涼は違うんだ?」と興味深げに俺の机へと身を乗り出した。

「別に、特にやましいこともないし、俺は見られても平気だが」

「ふーん」

「なんだよ」

「じゃあ、保存してるえっちな写真とか、えっちな動画を見た履歴とか、彼女にチェックされてもいいんだ?」

 うぐ、っと言葉に詰まったが落ち着け、澪は鎌をかけてきているだけだぞ。

「そんなもの見てないし、そもそもそういうのはあれだろ?他の女と仲良くしてないかとか、浮気のチェックとかだろ?疑いを晴らせるのなら、俺のスマホくらい、見てもらって構わないが?」

 そう言い切ってやった。何か言い返してくるかと思っていたのだが、澪は「ふーん」と言って簡単に引き下がった。結局のところ何が訊きたかったのだろうか。俺の変態度チェックか何かか?男なんだから、えっちな動画くらい見させろ。

「ふぅん、涼はそうなんだぁ」と呟いた澪の心理は全く分からなかった。

「さ!じゃあ始めよっか!」

「ん」

 二人でスマホを取り出し、机の上に置いた。

 澪のスマホはピンクで可愛らしい、桜のイラストの入ったカバーが付いていた。

 対して俺のスマホカバーは至ってシンプルな藤色オンリーのハードカバー。特に模様などはない。

「アニ森のカバーじゃないんだな」

 そう何気なく口にすると、澪は悔しそうに嘆く。

「本当は欲しかったんだよ!でも一瞬で売り切れたの!アニ森人気は根強いんだよ~。でもこの桜のカバーも気に入ってるからいいんだ!」

「苗字、桜坂だもんな」

「そ!桜坂って苗字も結構気に入って…あ」

 楽しそうに話していた澪は、勢いよく首を振る。

「違うよ!?結婚して苗字が変わるのが嫌とか、そういうんじゃないよ!?結婚はもちろんしたいし!藤沢って苗字もとっても素敵だと思うし!」

「はぁ…?」

 謎に俺の苗字のフォローが入ったが、今日の澪はなんだか変じゃないか?いつもよりより訳の分からんことを言っている気がする。

「まぁ、なんでもいいけど、とりあえず始めるか」

「あ、うん!そうだね!」

 俺はいつものようにスローガンを唱える。

 大丈夫、俺は汚くないし、澪は俺が触っても嫌がったりしない。大丈夫だ。除菌なんてしなくても、俺は汚い人間なんかじゃない。

「澪、触っていいか?」

「へ…?」

 俺が澪のスマホを触っていいのか確認する問い掛けだったのだが、澪は何故だかやたらと顔を真っ赤にして困ったような表情を見せる。

「え…?」

 予想だにしなかった彼女の反応に、俺も戸惑ってしまう。

「えっと、澪のスマホのことなんだけど…」

 そう言うと、彼女は更に顔を真っ赤にさせた。

「ああ!ああうん!スマホね!スマホだよね!どうぞどうぞ!!」

 澪の反応を不思議に思いながら、彼女のスマホを手に取り、そしてまた机に置いた。

 彼女も俺と同じ動作を繰り返す。俺のスマホを持ち上げて、少しロック画面を見てから、また机の上に戻した。

 澪はかなり照れくさそうに、「今日も除菌大丈夫そう?」と訊いてきた。

「早く手を洗いたいとか、指とかスマホ除菌したいとか、思ってない?」

「ああ、うん…大丈夫そうだ」

「そっか!じゃあこれも大成功だね」

 澪は自分のスマホを取ると、克服リストに斜線を引いていた。

 今日もいとも簡単に克服リストをクリアしてしまった。

 なんならそんなことよりも、気が反れてしまっていて、俺はあまり克服ミッションに集中できていなかった。

「澪、さっきの」

「え?」

 スマホから顔を上げた澪に、俺はぽろっと訊いてしまった。

「自分が触られると思ったのか…?」

 そう口にしてしまってから、はっとする。何を自意識過剰なことを訊いてしまったんだと、物凄く後悔した。俺に触られるなんて、抵抗があるだろうに。だってさっきの澪の顔は。

「あ、いや、なんでも」

 ない、と続けようとして、澪の言葉が重なった。

「そう、だよ…」

「え…?」

「私、涼に触ってほしいんだと思う…」

 彼女はそうはっきりと、俺の目を見て言った。その頬は少し赤くなっていた。

「…は?」

 何だそれどういう意味だ?どういうつもりで澪はそんなことを言ったんだ?今日の澪はなんだか様子がおかしかった。それと何か関係があるのか?

「澪、」

 俺は何の考えもまとまらずに、気が付けば彼女に手を伸ばしていた。

 

しかしそこに。

「涼くん…?」

 そう呼び掛けられて、俺は勢いよく声のする方、教室の後ろ扉の方を振り返った。

「椿姫、さん…」

 そこには資料集や本を抱えた、北白川 椿姫さんが立っていた。



・スマホを触らせる/触る → 大成功

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