第15話 触れられると思った?➁
椿姫さんは俺と澪を交互に見ると、「す!すみません!」と頭を下げた。
俺は澪に伸ばし掛けていた手を慌てて引っ込める。
「あの、お邪魔でしたよね…ごめんなさい。もう帰るので!」
そう何か勝手に勘違いをしたまま教室を出ようとしている椿姫さんに、俺と澪は立ち上がって彼女を引き留める。
「「ちょっと待って!」」
「俺達は別にその、な、何もしてないぞ」
「そ、そうだよ!楽しくお喋りしてただけで!!」
「そう、なのですか…?」
「「そう!!」」
俺達の気迫に気圧されたのか、椿姫さんは強張っていた肩を緩める。
「そ、そんなことより椿姫さんはどうしたんだ?」
「えっと、今日も図書室で課題を進めていて…」
「そ、そうか…」
「いやいやそんなことより!二人はいつから名前呼び!?」
澪が俺達の間に割って入る。
「昨日あれから何があったの…私すぐ図書室出ちゃったから、あの後のこと何も知らないんだけど…」
「ん?なんて?」
澪にしては声が小さく、上手く聞き取れなかったので聞き返すと、澪は声のボリュームを上げてこう言った。
「私も!北白河さんのこと!名前で呼びたい!」
「えっ」
澪の突然の申し出に、椿姫さんは一瞬目を丸くしてからすぐに破顔した。そしてその嬉しそうな表情のまま、澪に駆け寄って手を取る。
「嬉しいです!ぜひ!!」
どうやら椿姫さんは嬉しいことがあると、他人との距離感がおかしくなるようだ。俺と話している時も、興奮している時はいつもやたらと距離が近かった。
抱いている椿姫さんのイメージと違ったのか、澪も瞬間きょとんとしてから、すぐににんまりと微笑んだ。
「ありがと!椿姫ちゃん!」
「うん!み、澪ちゃん…!」
二人で手を取って嬉しそうにしている様を、多少疎外感を感じながら見守る。
可愛い女子が仲良さそうにしているのは見ていて心温まるな。邪魔にならないうちに退散するとするか。
二人が仲良さそうにメッセージアプリのIDを交換している横で、俺は鞄に教科書を詰めて、帰宅の準備を進める。
さて出るか、と鞄を肩に掛けると、「あ、涼!ちょっと待って!」と澪に声を掛けられた。
「私も一緒に帰る!」
「もういいのか?」
「うん!椿姫ちゃんも一緒に帰る?」
澪の誘いに、椿姫さんはふるふると首を横に振った。
「まだ少し調べたいことがあって、また図書室に戻るつもりです」
「そっか!じゃあ、また今度一緒に帰ろうね」
「はい!」
「またね、椿姫ちゃん!」
「はい、また」
教室に残る椿姫さんの横を通る時、俺も彼女に向かって軽く手を挙げて挨拶をした。すると彼女もそれに気が付いて、にこりと微笑みながら手を振り返してくれた。相変わらず上品な所作だ。
昇降口で上履きからローファーに履き替えながら、何とも言えない気まずい空気を感じていた。
俺、さっき教室で何しようとしてた……?
いやいや!さっきのことはなるべく考えないようにしよう。それがいいに違いない。
「…自転車取ってくる」
「あ、うん」
澪にそう声を掛けて、一人駐輪場へと向かう。
グラウンドや野球場から、運動部の賑やかな声が聞こえる。毎日汗水たらして、スポーツに打ち込めるなんて、すごい精神力だ。俺も何か運動をやっていたら、除菌に頼るような人間にならなかったのだろうか。強つよメンタルで、過去の辛いことなんてすぐに忘れることができたのだろうか。今からでも何か、スポーツ始めてみるか…?
そんなことを考えながら自転車を駐輪場から押して、昇降口の前に戻ってくると、澪が知らない男子生徒と話をしていた。
ん?誰だ?
その男子生徒は俺を認めると、澪に手を振ってその場を去っていった。
「あ、涼」
「友達か?」
澪はうーん、と少し考えてから「まぁ、そんな感じ」と答えた。随分曖昧な返答だな。
俺の訝し気な表情に気が付いた澪は、からかうようににっと笑う。
「なになに?涼、気になるの?私と彼の関係がさっ」
「別に?全く気にならんが?澪に友人が多いことくらい昔から知ってるし」
「あーっそ。なぁんだつまんないの」
澪はちぇっ、と言って不貞腐れたように口を尖らせる。
「なんだよ、そんなに訊いてほしかったのか?」
「別にぃ。涼は私に彼氏ができてもなんとも思わないんだもんねぇ?」
「それは…」
澪にはいずれ、俺なんかと違ってかっこよくて精神的に強くて守ってくれるようなイケメンな彼氏ができるだろうことは、いつも考えていた。
何も思わない、というのとは少し違う気がする。何も思わないように、常日頃から覚悟を決めているのだから。
「涼?」
急に黙ってしまった俺の顔を覗き込むように、澪はこちらに顔を寄せてきた。
「…っ。あー、いやなんでもない。帰るか」
「うん…?」
自転車を押しながら歩く俺の横に、澪が並ぶ。自転車だと家まであっという間な気がするが、歩くとなると少し距離があるように思う。四十分くらいかかるか?
「澪、歩いて帰るのか?」
普段澪は一駅ではあるが、電車通学のはずだ。俺は人に触れるのが苦手だから、自転車通学にしたのだが、澪はこのまま俺と歩いて帰るつもりなのだろうか?
「今日は歩く!涼とまだお喋りしたいし」
「そうか」
自転車の後ろに乗せてあげられたら楽なのだが、教師に見つかろうものなら、自転車が没収されかねないのでリスクが高い。歩くと言っているのだから、俺もそれに合わせてゆっくり帰るとしよう。特に急いでいるわけでもないし。
春の十七時前のこの時間は、夕陽が沈むにはまだ早く明るい。二人並びながら、ゆっくりと住宅街を歩く。
澪も先程の教室でのことを気まずく思っているのか、なんだか会話がぎこちないような気がした。
「椿姫ちゃん、良い子だよねー」
「そうだな」
「皐月くん隣の席だったよね?仲良いのかな?」
「うーん、どうだろうな?皐月のことだから、まぁ相手が椿姫さんだろうが気兼ねなく話しているんだろうが…」
「ていうかさっ、なんで涼は椿姫ちゃんと仲良いの?趣味合うとか?」
「仲が良いかは分からないが。…趣味の話はしたことがないな」
「君たちはいつもどんな話をしているんだい…?」
澪が呆れたように呟く。
そんな他愛もない話をしながら歩いていると、あっという間にうちの前まで来てしまった。
「じゃ、また来週」
明日からは三連休だ。月火はまた普通に学校があるが、その二日間を乗り切ればまたゴールデンウィークという名の大好きな連休がやってくる。
玄関前に自転車を止め、さっさと家に入ろうとすると「涼!」と呼び止められた。
振り返ると、澪はいつもように胸を張って、腰に手を当てて立っていた。
まさかとは思うが、この感じ…。
「明日は学校はお休みだけど、やるよ!」
「え…」
何を、とは訊かずとも分かる。
「「潔癖症さよなら大作戦」!!」
やっぱりか…。次の克服項目は、「・友達の家に行く/友達を家に上げる」と書かれていた。どこかでやらなくていけないとは思っていたが…。
「じゃあ明日はうちに集合ね!よろしく!」
澪はそう言って、俺に有無を言わせず向かいの家に入っていった。
やれやれと思いつつも、いずれは全てできるようにならなくていけないのだし、止まっていても仕方がない。いっちょやったりますか…。
暮れていく夕陽を眺めながら、俺は浅くため息をついた。
明日は長い一日になりそうだ。
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