第23話 校外学習の最後

 浅草を堪能した俺達は、今朝も集合した上野公園へと戻ってきた。そこで再度点呼を取って校外学習は終わりだ。すでに他の班もちらほらと集まっているようだった。

 かなり警戒して様子を見ていた勝山のことだが、俺の杞憂だったようで、特に女子を不快にさせるようなことはしてこなかった。心配しすぎだったか…。

「皆いるな!よし、先生に報告してくる!」

 皐月はざっと俺達の顔を確認すると、これまた今朝のように椿姫さんと一緒に担任の餅月先生の元へと向かった。

 急な尿意に襲われた俺は、「悪い、お手洗いに行ってくる」と班員に言い残して、近くのトイレへと向かった。

 用を足して戻ってくると、先程班員がいたベンチ付近には加藤ちゃんが一人、座ってスマホをいじっていた。

「加藤ちゃんだけか?」

 声を掛けると、一瞬訝し気な表情を見せる加藤ちゃん。眉間に皺を寄せ、若干不快そうにこちらを見た。あ、もしかして加藤ちゃん呼びが嫌だったのだろうか。澪や皐月がそう呼ぶからつい同じように呼んでしまった。

 んんっと喉の調子を整えて、再度同じ質問をする。

「えっと、加藤さんだけか?皆は?」

 俺の問いに加藤さんは丁寧に答えてくれる。

「辻堂と北白河さんはまだ先生のところから戻って来てなくて、澪と勝山は自販機行ったよ」

「え…」

 澪と勝山が二人きり…?大丈夫だろうか。

 俺が急に狼狽し始めたからか、加藤さんはまたぐっと眉間に皺を寄せる。

「藤沢?どうかした?」

「あーいや…」

 すぐ戻ってくるとは思うが、念のため様子を見に行くか。

「二人はどっちの方に向かったか覚えてるか?」

「あっち」

 そう俺から見て右手の方を指差す。

「俺も何か飲み物買ってくる。一人で待たせて悪いが、そこにいてくれ」

「?うん…?」

 不思議そうに首を傾げる加藤さんを置いて、俺は小走りで二人が向かったらしい方へと歩みを進める。

 澪、どこにいる?

 公園内は夕方のこの時間になって、少し人が増えたような気がする。散歩の人もいるのかもしれない。辺りを見回しながら歩いて行くと、とあるジュースの自動販売機に澪と勝山の姿を見付けた。

「み、…」

 すぐさま声を掛けようとしたが、俺はそれを踏み止まる。わざわざ勝山と二人きりが心配で探していた、なんて、ちょっと恥ずかしいのではないかと思ったのだ。

 澪は俺のことを幼なじみとしてしか思っていないだろうし、過剰な心配を鬱陶しがるかもしれない。もしくは簡単に俺の気持ちがバレて、後々めちゃめちゃにからかわれるとか。

 澪なら後者の方があり得そうだ。告白する前から気持ちがバレることほどダサいことはない。伝えるならちゃんと伝えたい。

 そんなわけで、俺は少し離れた木の陰に隠れて二人を見守ることにした。この距離ならギリギリ声も聞こえる。

 自販機を見上げる澪は顎に手を当て、何を飲むか決めあぐねているようだった。その横から賑やかに話し掛ける勝山。

「ねえ、澪ちゃん」

「名前呼び、許可してないんだけど?」

「なんで駄目なの?藤沢も辻堂も呼んでんじゃん」

「あの二人は幼なじみだからいーの!」

 澪は勝山の言葉を適当に受け流しながら「よし!これにしよ!」とピンクのパッケージのペットボトルのボタンを押した。またピーチ系だろうか。

 渋々引き下がると思われた勝山だったが、「涼に緑茶買って行ってあーげよっ」という澪の言葉に、むっとしたような声を上げた。

「桜坂さんさぁ、なんであんなやつ構うの?友達もいないし、クラスでも目立たない地味な奴じゃん。どこもいいとこなくね?」

 お?俺の悪口か?

酷い言われようだったが、勝山に何か言われたところで、特に響くこともない。そもそも彼の言う通りである。どうせ俺は地味でいいところなんて何もないですよ。友人は三人もいるがな。

「少なくとも勝山くんみたいに本人のいないところでぐちぐち言ったりはしないかな。そもそも涼は人のこと悪く言ったりしないし」

「はぁ?なんだよそれ…」

 勝山が何かをぼそりと呟いた。さすがにその小さな声は俺には届かない。

 緑茶とピンクのボトルを胸に抱えた澪は、「もう行くよー」と勝山に声を掛け歩き出す。しかしその肩を強く掴んだ勝山は、澪を強制的に自分の方へと向けた。

「痛っ!何すんの!」

「北白河といい、お前といい、何であいつらがいいんだ!?」

「なに?何の話?」

「藤沢も辻堂も俺より劣ってるだろ!俺の方が勉強も運動もできるのに、なんでだ!」

「か、勝山くんどうしちゃったの?ちょっと落ち着きなよ」

 不審に思った澪は勝山を宥めようとする。しかし勝手に激昂した勝山は、勢いよく右手を挙げた。

 まずい!そう思った俺は、咄嗟に澪と勝山の間に飛び出していた。

 澪を叩こうとしたのか、勢いよく振り下ろされた手を俺は強く掴む。勝山の腕を握ったまま、澪を背に庇いながら立った。

 勝山を睨みつけると、彼は更に顔を真っ赤にして喚き散らす。

「こんな奴の!何がいいんだ!!離せ!!俺に汚い手で!!触るな!!!」

 そう言って勝山は俺の手を勢いよく振り解いた。そのまま俺達には目もくれず、どこかへと行ってしまう。

 息を詰めていた俺は、ふーっと安堵の息を漏らした。

「澪、大丈夫か?」

 振り返って澪の顔を覗き込むと、先程まで気丈に振る舞っていた澪とは思えない、泣きそうな顔をしていた。

「だっ、大丈夫か!?」

 澪のこんな弱ったような顔を見たことがなかった俺は狼狽えた。

「勝山に、何かされたわけじゃないよな?」

「うん…大丈夫…」

 澪は思い切り頭を振ると、いつものように元気な笑顔を浮かべる。

「涼!ありがとう、助けてくれて!」

 しかしその笑顔はすぐに歪んで、先程のような悲痛な表情へと戻る。

「別に無理しなくていいんだぞ。俺しかいないんだし」

 澪は小さく「うん…」と頷く。

 同い年と言っても、急に背の高い男から怒鳴られ手を挙げられたら、女の子は怖いだろう。

もっと早くに声を掛けるべきだった…。結果的に澪に怖い思いをさせてしまった…。

「皆のところに戻るか?」

 さすがに勝山は戻っては来ないと思うし、こんな人気のないところで二人でいるよりは、賑やかで安心できる場所だとは思うのだが。

 澪はゆるゆると頭を振った。

「ううん、もう少しこのまま…、涼と二人きりがいい…」

「…分かった」

 近くのベンチに澪を誘導して、先程自身で買っていたピーチジュースを飲ませる。少し落ち着くまで、ここでゆっくりしていこう。最終点呼が終われば、もう解散するだけのはずだ。

 澪は意外とプライドの高いところがある。気落ちしている姿を、他人に見せたくないのかもしれない。

 こんな時、もし俺が澪の彼氏で、「潔癖症」なんかなくて、彼女に普通に触れることができたのなら、落ち着けるように背中を擦って優しく抱きしめるのにな…。

 手当、という言葉があるように、手で優しく撫でることは安心感とリラックス効果を与えてくれると聞いたことがある。

 そんな些細なことすらできない俺では、澪の彼氏になる資格はきっとないのだろう。

 少しして、「はあーあ!」と澪が謎のため息に似た声を発した。

「取り乱してごめんね!もう大丈夫!」

 取り乱すと言うほどのことは全くなかったと思うのだが、澪はいつもの明るい表情に戻ると、「ありがと!」と俺に笑いかけた。

 そして唇を尖らせると、不満そうにもにょもにょと喋り出す。

「勝山くんさぁ、ちょっと苦手だったんだ」

「そうなのか?」

「あまり話したことはなかったんだけど、たまに話すとね、視線がずーーっとこの辺りを見てるの!」

 澪は自分の胸元を指し示す。俺もその動作に釣られて澪の胸をまじまじと見てしまい、慌てて視線を虚空へと逃がした。

「それがなんかめっちゃ嫌でさあ。ずっと失礼な人だなぁって思ってたの」

「そ、そうか」

「そしたら校外学習一緒の班になっちゃうし、今日はやたらと話し掛けてくるし。全くわけわからん子なのよ」

「そ、そうだな…」

「やたら話し掛けてくると言えばさぁ、今日は皐月くんも変じゃない?」

「あー…」

 それは俺が澪を見ていてあげてほしいと、皐月に頼んだからだ。

「もしかして皐月くん、」

 俺達がやたらと勝山を警戒していたことに、澪は気が付いただろうか。警戒していたわりには、油断した隙に二人きりにさせてしまった愚行を、咎められても仕方がない。

 何を言うのかと澪の言葉を待っていると、俺の想像の斜め上の回答が返ってきた。

「もしかして皐月くんって、私のこと好きだったりする?」

 澪の言葉に、俺はぽかんと口を開けてしまった。

「私、結構皐月くんに容赦なく接しちゃってるけど、皐月くんドMなのかな?」

 澪の謎の勘違いに「あー、うーん、どうだろうなぁ」とお茶を濁すしかなかった。


 皆もう帰路についてしまっているかもしれないが、俺達は最後に加藤さんが座っていたベンチへと向かった。歩きがてら、澪が俺の顔を嬉しそうに覗き込む。

「むふふ」

「なんだよ…?」

「さっきの涼、めちゃめちゃかっこよかったな、って!私、すごく嬉しかった!」

 勝山との間に入った時のことだろうか。

「そ、そうか…」

 照れた顔を見られたくなくて、俺はそっぽを向く。澪が無事で本当によかった。

 俺は安堵しながらも、澪をちゃんと守れるかっこいい男にならないとな…と改めて思ったのだった。


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