第40話 君を好きになった理由

「もうっ!藤沢っち遅いよ~!」

 俺の姿を認めるや否や、岬さんが頬を膨らませながらこちらにやってきた。

 校庭の隅にある体育倉庫は、日が当たらず、どこか湿っぽい空気が漂っている。

「藤沢っちが来ないうちに、備品の点検もうほとんど終わっちゃったんだからね!」

 身長の小さな岬さんがぴょこぴょこと動くと、彼女の低く結われたツインテールがふわふわと動く。

「悪かったよ。自分の面談の後に何故だか色んなご家族に会って、捕まってたんだ」

 俺の言葉に、岬さんがぴたりと動きを止めた。

「色んなご家族……?もしやそれって、皐月くんのご両親にも会ったのではあるまいな!?」

 ぴょんっと可愛らしく飛んできた岬さんであるが、その鼻息はかなり荒いものである。

 さすが皐月大好きっ子。

 俺は自分の失言に反省しながらも、正直に答える。

「ああ、会ったよ、皐月の親父さんに」

「なぬーーー!?なんで呼んでくれなかったのさ!私も皐月くんのお父様にご挨拶したかったのに!」

「軽く挨拶した程度で、俺だってそんなに話したわけじゃないよ」

「それだとしても羨ましい~!私も会いたかったー!」

 駄々をこねまくる岬さんをどうどう、と宥める。

「で、で?どんなお父様なの?やっぱり皐月くんにそっくり?」

「そうだな、なかなかダンディな親父さんで、皐月は絶対に父親似だろうな」

「いーーなーーー!!!」

 岬さんが更に羨ましそうに俺を見上げる。

 今日も岬さんは皐月にご執心のようだ。

 こんなにも親友が好かれているところをはっきりと見たことがないので、なにやら嬉しいやら照れくさいやらである。

「藤沢っちってなんでそんなに羨ましい境遇にいるのさっ」

「羨ましい?俺が?」

 岬さんから飛び出してきた言葉に、俺は目を丸くする。

「だって、皐月くんと幼なじみなうえに親友で、ご家族とも交流があるって最高じゃない?」

「まぁ、岬さんからしたらそうだな」

「それに澪ちんも幼なじみなんでしょう?北白河さんとも仲良いし、藤沢っちってなかなかに贅沢な環境にいない?」

 そう、なのだろうか…。他人から初めてそんなことを言われた気がする。

 確かに俺には幼少の頃からの親友が二人もいて、椿姫さんという友人もできた。

 三人とも俺の「潔癖症」を理解してくれて、確かに友人に恵まれていると言える。

「それにそれにだよ?超絶プリティな私という友人もいる!恵まれてるねっ、藤沢っち!」

 ブイサインをする岬さんに、俺はまた目を丸くしてぱちぱちと瞬かせた。

 そうか、岬さんも俺のことを友人だと思ってくれているのか…。

 口角が自然と上がる感覚がした。

「うわっ!藤沢っち、笑顔怖っっ!!!」

「おいこら、失礼だろ」

 そんな雑談を続けながらも、俺達は備品のチェックを続けていく。

「そういえば最近、ポニーテールじゃないんだな?」

 岬さんから皐月が好きだと聞いた翌日、岬さんは皐月の好きなポニーテールで登校していたはずなのだが、あれ以来彼女はまた低く結ったツインテールに戻っていた。

「ああ~それがねえ…」

 岬さんは少し肩を落とした。

「髪が思ったよりも短くて、高く結ってるとぽろぽろ髪が落ちてきちゃうんだよね。それがちょっと鬱陶しかったのと、皐月くんにはもっと綺麗なポニーテールを見てほしいから、頑張って髪伸ばしてるとこ~」

「なるほど」

 皐月の好みの女子、というのははっきりとは分からないが、以前「ポニーテールの女子っていいよなぁ~」と言っていたのを思い出し岬さんに伝えた。

 そんな些細な情報さえ大事にして、皐月の理想に近付こうとする岬さんはまさに恋する女子って感じだ。

 しかし当の皐月の方は何だか恋愛に難ありって感じだったなぁ…。

 少し気掛かりなことはあるが、まぁ今何かが変わるわけでもないだろうし、気に掛けても仕方ない、よな…。岬さんのことだ、すぐに告白したりはしないだろうし。

「…なぁ、聞いていいか?」

「んー?なに~?」

 岬さんは備品の数を用紙に記入しながら返事をする。

「岬さんは、どうして皐月のことが好きなんだ?」

「にゅぁっ!?!?」

 よく分からない規制を発した岬さんは、驚いたように俺をまじまじと見つめる。

「なんだ、その鳴き声は」

「藤沢っちこそなんだ!?その急な質問は!」

「いや、そりゃあ気になるだろ。まぁ一応、応援している身としては」

 俺の応援、という言葉が嬉しかったのか、岬さんは口元をもごもごさせた。

 なんか、小動物みたいだな…。

「ま、こういうのは人に言いたくないって場合もあると思うし、無理にとは言わないよ。ただ少し気になっただけだ」

「いやね、別に隠しておく必要もないんだけどさぁ」

 岬さんは少し頬を赤らめると、小さく話し出す。

「その、去年の春先のことなんだけどね。入学してからまだ一か月も経ってなかったかな…。その日登校しようと思ったらなんだか体調がしんどかったの。もうちょっとで学校ってところまで来てたんだけど、そこでどうにも立てなくなっちゃって、座り込んじゃったんだ。変に冷や汗が出て、お腹も痛くなってきちゃってさ、どうしようどうしようって気も動転してた。そんな時だったの、皐月くんが私の前に現れたのは」

 岬さんの話によると、どうやらこういうことらしい。

 バスケ部の朝練で学校の外周を走っていた皐月は、体調が悪く動けなくなっていた岬さんを発見した。

 皐月は岬さんに「どうした?平気か?」と声を掛け、上手く返事すら出来なかった岬さんを軽々お姫様抱っこし、そのまま保健室に連れて行ったらしい。

 保健室の先生に事情を説明した皐月は、そのままバスケ部の朝練へと戻った。

 皐月は入学の時からその派手な金髪とピアスで目立っていたので、岬さんも助けてくれたのがすぐ皐月だと特定できたらしい。

「そんなことされたら普通、好きになっちゃうよね!?かっこよすぎるよね!?」

 興奮して話す岬さんに、俺はうんうんと頷いた。

 皐月、なんて罪な男なんだ…。

 岬さんの言う通り、男の俺でさえそれは惚れてしまうと思う。

 相変わらずかっこいいぞ、俺の幼なじみ。

 ただ問題なのは、皐月はそれを無自覚でやっていそうで、当の本人は岬さんだったと記憶しているかどうか、そのこと自体憶えているかどうか、だ。

 岬さんは当時のことを思い返しているのか、脳内皐月に目がハート状態である。

「なるほど、それからずっと皐月が好きってわけか」

 はっとしたように現実に戻ってきた岬さんは、わざとらしくこほんと咳払いをする。

「そういうこと!今年せっかく同じクラスになれたんだもん。どうしても仲良くなりたいの!そういうわけだから藤沢っち!君の力が必要なんだ!」

「尽力するよ」

「うむ!よろしく頼む!」


 岬さんの話し通りもうほとんど終わっていたようで、それから間もなくして備品のチェックが終わった。

「よし、終わったな」

「あたしがほとんどやったんですけど?」

「本当ありがとうな」

「どういたしまして!いつでも皐月くん情報お待ちしていますので」

 岬さんは鞄を持って来ており、そのまま備品のチェックシートを先生に提出して帰るとのことで、校庭で解散となった。

 俺は慌てて教室を飛び出したせいで、鞄はそのまま教室に置きっぱなしだった。

 この時間ならもう三者面談は終わっていると思うが、どうだろうか…。

 まぁ、最悪終わるまで廊下で待っているか…。


 校庭からまた校舎内へと戻る。

 自分の教室に向かいながら、先程の岬さんの話を思い出していた。

 すごいな、岬さん。

 皐月に好かれるため、皐月の好みの女子になれるように、懸命に努力しているようだった。

 恋する女子のパワーはすごいものだ、と感心している場合ではない。

 俺の方はどうだ?

 澪が好きだと自覚してから、何か努力できているだろうか?

 「潔癖症」も少しずつよくなっているとはいえ、肝心の人に触れることだけは、まだ全然進んでいない。

 というのもここ最近は球技大会委員もあったし、椿姫さんの家で勉強会をしたり皐月とゲームをしたり、三者面談があったりと、なかなか澪との予定を入れられずにいた。

 っていうのは少し言い訳で、俺は澪とのこの関係をどうしたらいいのか、分からずにいた。

 幼なじみのままでいた方が傷付かずに済むのだろうが、澪と恋人になる妄想をしないわけでもなかった。

 やっぱり俺はどうしても澪が好きで、その気持ちを簡単に諦めることは出来そうにないのだ。

「厄介だな…」

 恋心ってやつは。

 ああ、なんだか無性に澪に会いたくなってきた…。

 そんなことを思いながら2Dの教室の前までやって来る。

 どうやらもう今日の三者面談は終わったようで、廊下の待合椅子も片付けられていた。

 ほっと安堵しながら、教室の扉をスライドする。

 すると、オレンジ色の夕陽が差し込む教室に一人の女子生徒が机に伏して眠っていた。

 俺はその姿にドキッと心臓が跳ねるのを感じた。

「え、……澪?」

 そこで眠っていたのは澪だった。

 しかも彼女が眠っているのは、俺の席である。

「どうして……」

 気持ち良さそうに眠る大好きな幼なじみを見つめながら、俺はただただ混乱するばかりだった。


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