第28話 俺の部屋へ

「さくっと今までの「潔癖症さよなら大作戦」の復習が終わったところで、まだクリアしてないもの、挑戦してみる?」

「う…。そ、そうだな、このまま勢いでクリアしてしまいたいところだよな…。ところで、あとは何が残ってたっけ?」

 俺がスマホで克服リストをメモしていたトーク画面を開く前に、澪は暗記しているのかスラスラと未達成の項目を口にする。

「あとは、涼の部屋に行く、だね」

「そう、だったか…?」

 他人の家に遊びに行くのは、先週末澪の部屋に行ったことでクリアしたのだった。俺の部屋に他人を呼ぶ、とかなんとか克服リストに書いてあったか?うろ覚えだが。

「これは結構ハードル高いよ~。普段自分が生活してる空間に余所者を入れるなんて、涼にできるかなぁ?「潔癖症」の涼くんにはちょっと難しいかなぁ?」

 澪はそう少しおちゃらけたように話す。

 俺が今日のところは覚悟が決まらない、と逃げても澪は許してくれるのだろう。「そうだよねぇ、急には難しいよねぇ、またにしようかねぇ」と同じようなノリで終わらせるに違いない。俺の精神的な負担にならないよう軽く流してくれるつもりなのだろう。

 しかし、今の俺はそんな弱気ないつもの藤沢 涼ではない。

 さっき決めたじゃないか。何度失敗して、また挫けたとしても、俺は諦めない。最初から上手くいかなくて当然なんだ。それを何度も繰り返して、いつか成功できればいい。

 そう、気楽にやっていこうじゃないか。俺には、心強い澪がいる。

「わかった、やってみよう」

 俺の返答に、澪は「へっ!?」と素っ頓狂な声を出す。今度は俺が軽口をたたく番だ。

「なんだ?俺が逃げ出すとでも思ったか?」

 澪は「あはは!」と明るく笑うと、「ううん!思ってないよ!」と表情を和らげた。

「じゃあ、今から部屋にお邪魔しようかなぁ。あ、一応確認しに行く?えっちなものが出しっぱなしだと、涼も恥ずかしいもんね?」

「そんなものは持ち合わせていないので問題ない。いいから行くぞ」

 俺はさっさと立ち上がると、ダイニングキッチンを出て行く。

「あ、待ってよ!」

 澪も慌てて俺の後ろをついてくる。階段を上がって一番手前が俺の部屋だ。

 部屋の前に立ってドアノブを回そうとして、俺の身体はぴたりと固まった。

 他人を部屋に招き入れるのは、何年ぶりだろうか。大丈夫だ、何も考えない方がいい。案外すんなり招いてしまった方が、きっと何も考えずに済む。部屋は常に綺麗にしているし、芳香剤だって置いてある。臭くないし汚くないはずだ。大丈夫大丈夫。

「涼?」

 自室のドアの前で固まる俺に、澪は心配そうにこちらを覗き込んできた。

「大丈夫だ」

 そう力強く答えて、俺はドアノブを回した。

 見慣れた俺の部屋へと、澪を招き入れる。

 澪は「お邪魔しまーす」と小声で呟き、恐る恐る俺の部屋へと足を踏み入れた。きょろきょろと部屋を見回す。

「涼、部屋めっちゃ綺麗だね~」

 澪は驚いたように開口一番感嘆の声を上げる。小学生の頃に来た時より、きっと大分変わっていることに驚いているのだろう。あの頃はその年相応に散らかっていたし、物も雑然としていただろうから。

「なんかお洒落なアロマディフューザーもある~!女子かっ」

「汚い部屋よりいいだろ」

「まあ、涼らしい部屋だねぇ。「潔癖症」のお部屋です!って感じ」

「うるさい」

「どこか座ってよさそうな場所ある?」

「あー、そうだな…」

 人を呼ぶ想定をしていない部屋なもんで、座布団やクッションの一つも用意がない。女の子を床に座らせるのもなんだかなぁ。となると座る場所は一つしかない。

「嫌でなければ、俺のベッドの上座るか?」

「ひょえっ」

「なんだその反応?…あー、嫌だったか?」

 普通他人が寝起きしているようなところに腰を下ろすのはやはり抵抗があるものなのだろう。確かに俺も苦手だ。座るのが申し訳なくなる。まさかとは思うが、汚そうだと澪に拒絶されたわけではない、よな…?

 体温が少しずつ冷えていくのを自分自身で感じていると、澪は慌てたように早口で捲し立てる。

「違うよ!?嫌だったんじゃないよ!?ちょっと、そのぉ、緊張しただけというか…!」

「緊張?まぁ、嫌じゃないならよかった…」

 俺はほっと安堵の息をつく。

 澪は静かにゆっくりと俺のベッドへと腰を下ろした。その様子を見ていたが、俺以外の人間が俺の空間にいること、俺のベッドに腰を下ろすこと、それらに特に嫌悪感は感じなかった。除菌したいと発作的に思うこともなく、精神に負担が掛かっていないのだろうと思う。

 自分の部屋だと言うのに、俺一人突っ立てるのも変か?と思い、何の気なしに俺も澪の隣に腰を下ろした。

 すると隣に座る澪の肩がびくんっと跳ねる。

「?どうかしたか?」

「あ、…いやぁ…」

「?」

 「潔癖症」克服ミッションはこれで以上だっただろうか。こんなに簡単なことだったか?

「澪、」

「ひゃいっ」

「さっきからどうした?」

「い、いや?なんでも?」

「ならいいが。訊きたいんだけど、克服ミッションって他にあったか?」

 さっきもそうだったが、澪は「潔癖症」克服リストを暗記しているようだったので、自分でスマホを開くより早そうだ思いと尋ねてみた。

 「あ、えっと次は…」と言った澪は、何故か口籠ってしまう。忘れてしまったのだろうか。

 不審に思って声を掛けようと口を開くと、澪がようやく声を発した。

「次は、「潔癖症さよなら大作戦」最後の項目なんだけど、」

 最後…。なんだかんだと俺はもう最後の項目まで来ていたのか。頑張ったな、俺。と自分を労う。

 澪は上目遣いで俺を見ると、こうぽつりと呟いた。

「他人に触れる」

「え?」

「最後の項目は、・他人に触れる、なの」

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