第27話 君と一緒なら

「紅茶、すっかり冷めちゃったな…。入れ直してくるよ」

 俺はそう言って立ち上がる。

 好きな女の子に情けない姿を見せて、あまつさえまた背中を押してもらうなんて、男としてかなりいたたまれない。落ち着いてくると、羞恥の念が俺に押し寄せていた。

 しかし、同時に感謝もしている。俺はきっと、いい友人を持ったのだろう。

 ああ、いつかは俺も彼女を支えられるような人間になりたい。そう強く思った。俺の支えなんていらないかもしれないけどさ。

 紅茶を入れ直してダイニングテーブルに戻ると、澪が自分のスマホ画面を眺めていた。

 紅茶を澪のカップに注いでやると、「ありがと!」と言いながら顔を上げた。

「あの、涼。まだ落ち着いてないかもなんだけど」

「うん?」

「現状どんな感じなのかな?さっきからちらっと見てたけど、家ではあんまり除菌してなさそうだったけど…」

 あれ?そうだったか?

 あの日、秋月 穂乃に会ったあの日から、俺は家でも手指の消毒をこまめにしていた。それが澪がうちに来てからは確かに、除菌しただろうか…?

「もしかしてなんだけど。涼が深刻に思う程、振り出しに戻ってないんじゃないかな?」

「そう、なのか?」

 俺が首を傾げていると、「ちょっと試してみよっか!」と澪はキッチンの買い物メモのところに置いてあったペンを手に取る。

「ちょっとこのペン借りるね」

 そう言ってペンをかちかちしたり、ペンの柄を見るようにくるくると回した。そのペンを俺へと手渡す。

「はい」

「?」

 俺は不思議に思いながら、そのペンを澪から受け取る。すると澪は大きな目をさらに大きく見開いて俺の顔を見ていた。

「このペンがどうかしたのか?」

 澪はにんまりと笑うと「ううん!なんでもないの!あ、涼、ちょっとこっちの椅子に座って待っててくれる?」

「??」

 澪の行動の意図が分からないまま、俺は言われた通りにその行動を実行する。澪の座っていた席へと腰を下ろした。

 「ちょっと待っててね!」と言って、澪は玄関の方へと向かう。それから数秒してすぐにダイニングキッチンへ戻ってくる。

 その澪の肩には、俺の高校の制服のブレザーが掛かっていた。いつも学校から帰ってきて、除菌した後、玄関に置いているハンガーラックに掛けているものだ。

「うん!やっぱりこのブレザー涼のいい匂いがする!」

 そう言いながらいつかと同じように、俺のブレザーをくんくんと嗅いでいた。

「だから嗅ぐのやめろって、前にも……」

 そこで間抜けな俺はようやく気が付いた。

 他人が触ったペンに触ること、他人の座った席に座ること、ブレザーを貸すこと。

 これは今まで澪と一緒にやってきた「潔癖症さよなら大作戦」の克服項目だ。

「ね、涼、どう?嫌だな、とか、除菌しなきゃ、とか思ってないんじゃない?」

 澪に言われて、確かにその通りだと、俺は俺自身に驚いていた。

 なんでだ?なんで何も思わなかったんだ?

 確かにあの日。秋月と会った日から、自分の持ち物や家族が触れた物でさえ、我慢ならずに除菌していたはずだ。それなのに今、澪がやったすべての行為に、何故ストレスを感じなかったのだろうか。

 澪は「ブレザーありがと!」と言ってさっさと玄関に戻すと、あっという間にまた戻ってきた。

 振り出しに戻ってしまったと思い込んでいた克服してきた数々を、俺はまたすんなりクリアできていた。

どうしてだ?

「あ、涼これ見て?」

 俺が考え込んでいると言うのに、それを無視するように話し掛けてくる澪。自分の持っていたスマホを押し付けるように俺に渡す。相変わらず可愛い薄ピンク色のスマホだ。

「何を見ろって?今はそれどころじゃないんだが…」

 そう文句を言いながら受け取った澪のスマホ画面には、著しく布面積の少ない何を隠すためのものなのか用途の妖しい真っ黒のランジェリーが表示されていた。

 俺はそれを食い入るように見てしまう。澪が着たら似合うのではないだろうか…などと妄想が膨らみそうになっていると、「はい!おしまいでーす」と言って澪はスマホを俺から奪い取って、そのまま自分のショーパンのポケットに閉まった。

「涼ってばやっぱりむっつり?」

「やっぱりってなんだ!お前が見せてきたんだろ!」

 何のために見せてきたのだ。俺をただ単にからかうためか?

「まあまあ落ち着いてよ、バナナケーキでも食べてさっ」

 澪は自分の食べていたバナナのパウンドケーキを一口フォークに差し入れると、それをそのまま俺の口に突っ込んだ。

「むぐっ」

「美味しいねぇ、涼ママのケーキ」

 澪はにこにこ、というよりはにまにました表情で俺を見ている。

「さっきから何なんだ!少しゆっくり考えさせてくれ」

「ほら!今まで克服してきたもの、また全部ちゃんとできてるよ!」

「え……」

「他人のスマホに触ること、食べ物をシェアすること。できてるじゃん!涼が重く考えすぎてるだけで、全部なかったことになんてなってないよ。今までやってきた「潔癖症さよなら大作戦」は無駄なんかじゃなかったんだよ」

 澪はそう言って優しく微笑む。

 「涼なら大丈夫だよ」澪はいつも俺にそう言い続けてくれていた。

「…ああ、本当だ…」

 俺ならもう、きっと、大丈夫だ。

 澪と一緒なら、この先も「潔癖症」の克服を頑張れる。

 澪と一緒ならきっと、何度挫けたって、前を向いてまた歩き続けて行ける。


 失われかけていた自信は、目の前の明るくてちょっと強引な幼なじみによって、いとも容易く回復させられたのだった。


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