第18話 不穏分子
三連休があっという間に終わって、五月になった。
暦の上ではまだ春だと言うのに、暖かいを通り越して暑いと感じる日が増えた。ブレザーは羽織らず鞄に突っ込んで、カーディガン姿で自転車に跨る。
また月曜日がやってきた。この連休はうまく寝付けず、なんだかやたらと疲れが溜まっただけのような気がする。それもこれも、金曜日に澪の家に行ったせいだ。
あれから俺はなるべく澪のことを考えないよう、勉強に勤しんだり、ゲームにひたすらのめり込んだ。
しかしいざ寝ようと布団に入ると、結局あの時の澪の顔を思い出してしまい、うまく寝付けなかった。
俺は澪のことが好きだと気付いてしまった。すると今度は、澪が俺をどう思っているのかが気になり始めた。
幼なじみであり友人なのだから、嫌われてはいないと思う。だが、恋愛感情となるとどうだろうか。澪は少女漫画が好きで、理想の男性やシチュエーションなどには、かなりこだわりがありそうだ。皐月に対しては結構辛辣な澪だが、俺に対してははっきりと何かを言ってきたことはない。これもまた俺に気を遣ってのことだろうと思うが。
結局何もかも「潔癖症」が邪魔しているのだと思うと、やはりなるべく早く克服できた方がよさそうだ。
事故とはいえ昨日のこと、嫌に思っただろうか。怒っただろうか…。
連休中そんなことを考えていたせいで、今朝の寝起きは酷い倦怠感に襲われた。
まぁ、また二日行けば連休だ。多少しんどいが、適当にやりすごそう。
そう、思っていたのだが。
「では、明日の校外学習の班決めをします!」
六限のLHR(ロングホームルーム)。現国担当であり、担任の餅月先生が教卓前で仁王立ちをしながらそう口にした。餅月先生は趣味が筋トレとあって、文系教師とは思えないかなりのムキムキ長身男性である。その餅月先生が教卓前で仁王立ちをすると、彼の筋肉に圧迫されて黒板が見えない。
何だって?校外学習?
その存在をすっかり忘れていた俺は、目を丸くして餅月先生の筋肉を見つめてしまった。確かに毎年ゴールデンウィーク前日は新クラスの親睦も兼ねて、校外学習の予定が組まれていた。去年もどこかしらに行ったような気もするが、最近はそれどころではなくすっかり忘れていた。
「じゃあ、適当にグループ組んでみて。決まらなかったらくじになります」
そういい声で先生が言うが早いか、クラスメイト達が一斉に席を立つ。
俺もつられて慌てて立ち上がるが、急いでも行く当ては一つしかない。俺と組んでくれそうなのは皐月だけだ。
皐月の席まで行くと、その席周辺だけがやたらと人口密度が高かった。主に男子生徒でとてもむさ苦しい。
皐月ってこんなに友達いたのか。まぁ確かに友人は多そうだが、皐月の取り合いが始まるほどとは思ってもみなかった。
どうしたもんか…と思っていると、とある声が聞こえてきて、俺はようやく現状を理解した。
「北白河さん、良かったら俺とグループ組まない?」
「いや、俺とどう?」
「うちのグループに来てよ」
みんなが集まっていたのは皐月の席ではなく、その隣の椿姫さんの席だった。男子生徒がこぞって椿姫さんに声を掛けている。
そういえば以前皐月が言ってたっけか。告白はみんな断わられるとかで、男子は彼女に近付けないと。この校外学習の機会に、少しでも椿姫さんと過ごそうという魂胆か。分からんでもないな。日頃うまく声を掛けられずとも、こういうイベントであれば、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。これは男子に限らず、女子も考えていそうなものだ。誰だって好きな人や、仲良くなりたい人と過ごしたいだろう。
「皐月」
「お!涼」
「俺とグループ組んでくれ」
皐月に断られたら、俺は友人が少ないのでマジでぼっちになる。
「OK!俺も涼と組もうと思ってた!」
皐月がそう笑顔で返してくれたので、内心ほっとする。
「いつも悪いな」
「何言ってんだよ!俺と涼ちんの仲でしょ!」
なんとなく言い方は気持ち悪いが、皐月はいつも俺を一人にしないようにしてくれている。澪は皐月を悪く言うが、俺が女だったら多分お前に惚れてるぜ。
「あとはどうする?女子三人と男子一人だな」
「そうだな…皐月、適当に頼む」
皐月は少し困ったように眉を下げ、「はいよ」と返事をする。するとそこへ。
「涼!皐月くん!」
「!」
聞き馴れた声のはずなのに、ドキリと心臓が跳ねた。
澪が一人の女子生徒を連れて、こちらにやってきた。
澪はいつもと変わらない様子だった。俺を見ても嫌な顔も、怒ったような表情もしていなかった。もちろん、照れたような顔も。やっぱり意識しているのは俺だけか…。
そんな当然のことに、何だか落ち込んだ。
「私達と組まない?」
そう言って澪が連れてきたのは、…えっと、誰だっけか…。
「お、澪と加藤ちゃんか。おっけ!組も組も!」
あー、そうそう俺の前の席の加藤ちゃんだ。
俺が加藤ちゃんの顔を見て、誰だっけ?というような顔をしていたのが、加藤ちゃんにも伝わってしまったようで、ぎろりと睨まれてしまった。すまん。今日覚えるから…。
「あとは一人ずつ必要だな、どうするか…」
皐月は辺りをきょろきょろと見回して、一人の女子生徒に声を掛ける。
「北白河さん!俺達のグループに来ない?」
ぎょっとした男子達の視線が、一気に皐月に集まる。困っていた椿姫さんも、驚いたようにこちらを振り返った。
すげえな皐月。相変わらず空気が読めないと言うか、男子がこぞって椿姫さんを誘っている中に、よく容赦なく声を掛けられるもんだ。
顔だけはイケメンの皐月が、これまた女子受けのよさそうな爽やかな笑顔で、椿姫さんに声を掛ける。
「どう?今ならもれなく藤沢 涼くんも付いてきまっす!」
その皐月の言葉に、今度は男子達の視線が一斉に俺に向いた。
皐月…余計なこと言うなよ…。クラスに打ち解けられない俺が、ますます友人が出来づらくなるだろ…。
「なんで藤沢?」みたいな疑問と苛立ちの籠った多くの瞳が俺を射抜く。わー睨んでる睨んでる…。俺はゆっくりと皐月の後ろに隠れるように移動した。
クラスメイトの大半から反感を買う俺達をどう思ったのか、澪も渋々と言った様子で口を開いた。
「椿姫ちゃん、良かったらおいでよ。私も加藤ちゃんもいるよー」
その言葉が後押しになったのか、椿姫さんは周りの男子に申し訳なさそうに頭を下げると、
「あの!ぜひご一緒したいです!」
とこちらにやってきた。
男子達は一様にがっくりと肩を落としていたが、残りの一枠を賭けて勝手にじゃんけんを始めた。
という訳で、俺達の校外学習の班は、俺、皐月、澪、椿姫さん、加藤ちゃん、じゃんけんで勝利した、勝山くんとやらに決まった。
「で、校外学習ってどこに行くんだ?」
俺の質問に、椿姫さんを除く全員が同じ様に呆れた表情を浮かべた。
「涼って普段何を楽しみに生きてるんだ?こんなに楽しいイベントの存在を忘れるなんて!」
「今だけは皐月くんに同意!まさか修学旅行の存在まで忘れてたりしないよね?」
皐月と澪が共同戦線を張ると、俺はぐうの音も出なくなるのでやめていただきたい。
「明日の校外学習は、浅草・上野周辺の散策です。歴史的建造物や、資料館なんかに行くみたいです」
椿姫さんが優しく教えてくれる。二人との対応の違いに、涙が出そうになる。
「ありがとな、椿姫さん」
感謝の気持ちを伝えると椿姫さんは、「いえ!」と少し照れたように笑う。
俺達二人の間にほのぼのとした空気が流れる。椿姫さんとのこの空気感は嫌いじゃない。容赦ない幼なじみ二人に比べ、かなり気を遣ってくれているからなのかもしれないが、世界が優しく感じる。
そうほっこりしていると、「で!うちの班は自由行動どこ行く?」と澪が口を挟んできた。
「上野で資料館見た後は、浅草で自由行動でしょ?涼はどこか行きたいところない?」
「え、ああ、そうだなぁ」
急に話題を振られ、俺は返答に詰まる。浅草に詳しいわけでもないし、特に行きたいと感じるところもないが。というか、何があるのか分からん。
「浅草って何があるんだ?」
そう素直に疑問を口にすると、加藤ちゃんが簡単に説明してくれる。
「浅草寺が有名で、そこに至るまでの仲見世通りが楽しいかもね。周辺に神社とかもあるし、花やしきもあるね」
「なるほど」
「じゃ!一応校外学習だし、神社回ったら仲見世通りで食い倒れにしようぜ!」
皐月が適当にまとめると、皆それに同意した。
校外学習なので、あとあとレポートの提出が必要だが、まぁ神社とか回ればなにかしら資料など貰えるだろう。ゴールデンウィーク中に適当にまとめておくか。
その日の放課後、いつものように駐輪場から自分の自転車を押していると、
「藤沢くん」
と声を掛けられた。
声の方を振り返ると、先程のLHRで初めて話した、勝山くんがそこにいた。
勝山くんは割と長身ではあるが、それ以外特筆すべき点はない。まぁ普通の顔である。
「藤沢くんも自転車なんだね」
「…ああ」
コミュニケーションが不得意な俺は、それ以上会話を続けることができない。困っていると、勝山くんが話しを続けてくれた。
「訊きたいんだけどさ」
「うん…?」
「辻堂って、北白河さんと仲良いの?」
「皐月?」
この会話、澪ともした気がするな。
「えっと、どうだろうな?皐月は誰にでも平気で話し掛けるから」
「ふーん。北白河さん、辻堂が声掛けたらすぐそっちに行ったからさ。やっぱイケメンって得だよな。なんか幻滅」
「はぁ…?」
勝山くんは不満そうにそう口にした。彼が何を言いたいのかいまいち分からない。
「皐月、というよりは澪のような気がするが…」
そう小さく呟くと、勝山くんは先程とは打って変わって声のトーンを上げる。
「そうそう!桜坂さん!彼女ともちょっと話してみたかったんだよなぁ。めちゃめちゃ可愛いじゃん?」
「ん?うん…?」
彼のテンションの上がりように、俺は当然ついていくことができない。何にそんなに元気出た?
「北白河さんはあまりに美人すぎて高嶺の花感あるけど、桜坂さんなら、男子とも普通に話してるし優しいし、俺にも手が届きそうというか!俺が押してもいけそうじゃね?」
「……は???」
なんだその言い方。
彼の言葉のチョイスを不快に思う俺の反応など全く気にした様子もなく、上機嫌なまま話し続ける勝山くん。
「桜坂さんも北白河さんに引けを取らないスタイルの良さだと思わねえ?あれはEカップ以上ありそうだよな!藤沢、幼なじみなんだろ?裸とか見たことあんの?」
俺は唖然としてしまった。
なんだこいつ?何を言ってるんだ?裸?見たことあるわけないだろ。口調も砕け過ぎだし、急に呼び捨て?つーかなんでこんな話を俺にしてくるんだ?
腹の底から沸々と怒りが沸いてくる。
「藤沢も大変だなぁ、辻堂みたいなイケメンが友達で。本当に仲良いの?」
こいつが何を言いたいのかマジで分からん。俺に同意でもしてもらいたいのだろうか。
俺のことならまだいいが、俺の友人までディスることが、コミュニケーションだとでも思っているのだろうか。
「もう帰っていいか?」
そう俺が勝山くんを無視して自転車に跨ろうとすると、
「はー、つれねえなあ。だからぼっちなんだよ藤沢は」
と嘲笑気味に言葉を投げてくる。
勝山くんって、こんなやつだったのか。できれば関わりたくない人種だ。
「じゃあな」そう声を掛けてさっさと自転車を走らせようとすると、「あ、待てよ藤沢」とまた引き留められる。なんなんだよ今度は。
「明日の校外学習、桜坂さんといい雰囲気になりたいから、協力よろ~。じゃな!」
そう捲し立てて、あっという間に自転車に乗って行ってしまった。
「はあ?」
俺は怒りを通り越して、心底呆れていた。こんなやつがクラスにいたなんて。クラスメイトともう少しコミュニケーションを取るべきだとは考えていたが、こんなやつとは話すだけ無駄じゃないか。
「待てよ。ていうか今、あいつなんて言った?」
去り際、勝山が放った言葉を思い出す。
「澪といい雰囲気になりたい、て言ったか?」
俺の中にまた怒りが沸いてくる。
椿姫さんが望み薄だから、次点の澪でいいや、ってか?澪といい雰囲気になりたい?そんなもん俺がなりたいわ!!!
「はあ…全く勘弁してくれ…」
校外学習というだけで、潔癖症の俺はあらゆることに気を遣わなければいけないのに、勝山という何をしでかすか分からない余計な不穏分子まで増えてしまった。
俺だって澪と楽しく過ごしたい。それなのに何故訳も分からない下品な奴に協力せねばならんのだ。絶っ対嫌だ。
なんとかして澪に近付けさせないようにしなくては。澪のことえろい目でしか見てない奴なんかに、絶対渡さねえ!!
俺は一度自転車を降りると、手指を除菌してからスマホを操作し始める。
部活中だとは思うが、皐月に夜連絡を折り返すようにメッセージを残した。
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