第21話 side椿姫


 中学生の頃の私は、今と変わらずあまり友達もいなくて一人で過ごすことがほとんどでした。いじめられている、という訳ではなかったのですが、女子からはあまり好かれていなかったように思います。誰かの好きな人をとったとか、男子はみんな私のことが好きだとか、そんな噂が広まっていました。直接何かを言われることはありませんでしたが、私もこういう性分ですから、自分から進んで人に話しに行くのはとても苦手でした。

 高校受験が冬に迫った、とある夏の日。

 その日は、津田森高校の高校見学の日でした。

 体育館でざっと学校概要を拝聴した後は、自由に校舎を見て回れることになっていました。

 いつものように私は一人で校舎を見て回ったり、部活動を見学させていただいたりしていました。

 普段はなかなか立ち入りができないとのことですが、学校見学のその日、特別に屋上が解放されていました。

 屋上から見る景色は、それはそれはとても景観が良く、校舎裏の干潟も良く見えました。

 ダブルダッチ部がパフォーマンスをするとのことで、皆が移動し始めました。私も是非拝見したいと思い、皆に続いたのですが、何故か何もないところで躓いてしまったのです。

 膝をついた拍子に肩に掛けていたスクール鞄から、学校案内の栞やらノートやらが飛び出してしまいました。

 皆がこちらを一瞥しながら屋上を出て行きます。私は羞恥から顔に熱が集まっていくのを感じつつも、私物を拾い集めていました。

 すると一人の青年が、一緒に屈んで拾うのを手伝ってくれたのです。

「あ、ありがとうございます…!」

 慌ててお礼を言う私に構うことなく、彼は眉間に皺を寄せながら淡々と拾ってくれました。

 鞄に拾った物を戻して立ち上がり、もう一度彼へと頭を下げました。

「拾ってくださり、ありがとうございました」

 目の前の彼は、とても端正な顔をしていましたが、無表情で何を考えているのか全く分かりませんでした。

 嫌々拾ってくださったのかな…、と更に申し訳ない気持ちになっていると、彼は自分の鞄から消毒液と絆創膏を取り出し、それを私へと差し出しました。

「膝、血出てる。これやるから使えよ」

「え?」

 私が戸惑っている間にも、彼はそれらを私の手に押し付け、さっさと行ってしまいました。

 絆創膏だけならまだしも、消毒液まで持ち歩いているなんて、とても用意周到な方だと思いました。

 私はそのご厚意に甘え、頂戴した消毒液で膝を消毒してから絆創膏を貼りました。

 絆創膏のお礼、伝えそびれてしまいました…。

 ぶっきらぼうながら私を気遣ってくれた彼の容姿を、脳裏に思い浮かべます。

 三年間使用していたにしては、とても綺麗な学ランにスクール鞄。容姿もかなり気を遣っていそうで育ちの良い方なのかな、と思いました。

 その後お礼を伝えるべく校舎をうろうろしましたが、もうすでに帰路についてしまったのか、彼とはそれきり会うことはありませんでした。


 それから月日は流れ、受験シーズンとなりました。

 私立の女子高を第一志望にしながらも、もちろん公立の津田森高校も受験しました。

 津田森高校には音楽コースもあり、ヴァイオリンを習っていた私は、音楽に力を入れている学校も素敵でいいな、と思っていました。

 どちらに進学すべきか、とても悩んだことを今でも覚えています。

 その時、あの子もいるかな…。と、学校見学の時に私に手を貸してくれた彼のことを思い出しました。

 また会いたいな、しっかりお礼が言いたいな。

 何故かその方が気になってしまった私は、津田森高校への進学を決めました。


 津田森高校はやはりとても素敵なところでした。住宅と自然に囲まれ、穏やかな雰囲気です。

 入学してから一度も、例の彼と会うことはありませんでした。

 他の志望高に進学されたのかな…と少し残念に思いましたが、入学から一年が経とうという三学期のある日のこと、私はようやく彼を見付けたのです。


 それは期末テストも終わり、春休み間近のことでした。

 期末テストの順位が廊下に張り出されたとのことで、私も一応見ておこうとそこへやってきました。 

 私の順位はさほど普段の試験と変わらず、特筆すべきこともなかったので割愛します。

 まぁ、こんなもんだよね。と思いつつ、その場を後にしようとした時、とある賑やかな声が聞こえてきました。

「涼すごくね!?二十四位!?お前ってこんなに頭良かったっけ!?」

「声がでかい!別に二十四位ってそれほどすごくなくね?」

 その声に私は驚いて、声の方へと振り返りました。そこには二人の男子生徒がいました。

「いやいやすげーよ!三百何人いて二十四位ってかなり上位だろ?」

「そりゃどーも。もういいだろ行こうぜ」

「あ、涼!来週発売のゲーム買うだろ?買ったら一緒にやろうぜ~」

 賑やかな声達は遠ざかって行ってしまいました。でも確かにあの少しぶっきらぼうな声は、学校見学の時に助けてくれた青年の声でした。

 慌てて声を掛けに行こうと思いましたが、引っ込み思案な私はやっぱり声を掛けることができませんでした。

 いた…!この学校に通ってたんだ!

 私は何故だか無性に嬉しくなりました。

 あの時のお礼を伝えなきゃ!そうだ、お名前!お名前はなんと言うのでしょうか!

 私は張り出された期末テストの順位表を再度見上げます。

 りょう…。確か彼はそう呼ばれていたように思います。

 二十四位…りょう……。二十四位…。

 順位表二十四位の欄には、「一年A組 藤沢 涼」と書かれていました。

「藤沢…涼、くん…。藤沢くん」

 私は一年以上経って、ようやく恩人の名を知ることができました。


 それから廊下で見かけることはあっても、結局声は掛けられずに二年生に進級しました。

 進級したクラスには、なんと藤沢くんがいらっしゃいました!なんてラッキーなんだろうと、神様に感謝しました。

 私の席は辻堂くんのお隣で、藤沢くんはよく辻堂くんの席に遊びに来ていました。その様子をちらっと眺めては、ああやっぱりあの時の彼だ!と一人嬉しくなりました。

 彼からは中学生の頃に会った時よりも、温和そうな雰囲気を感じました。友達にはこんな風に接するのだなぁと、微笑ましく思いました。

 それからも声を掛けられなかった私に、ある日チャンスがやってきます。

 藤沢くんがノートを集めて教務室に持って行くということで、私はその後を付いていきました。

 彼に声を掛けると、きょとんとした顔で私を見ました。当然のことながら、彼は私のことなど全く覚えていませんでした。それはいいのです。お礼をしっかり伝えたいという、私の自己満足なのですから。

 けれど、メッセージアプリのIDを交換した私は、それに満足してしまい、その日もすっかりお礼を伝えそびれてしまいました。

 それから隙を見ては学校見学の話題を口に出そうとしましたが、お礼を伝えてしまったら、もう藤沢くんと話せなくなってしまう気がして、私は結局今の今までお礼を伝えられませんでした。


 いつからだったのか、気付けば恩義は恋心へと変わっていました。

 彼と話したい、彼と一緒にいたい。

 ただ単に彼と一緒にいられることに、幸福を感じるようになってしまっていたのでした。


 涼くんが「潔癖症」だと言うのは、薄々気付いてはいましたが、私にとってそれは彼を敬遠する理由にはなりえません。彼の負担になるようなことはもちろん避けたいですが、彼が友人として私が傍にいることを許してくれるというのなら、しばらくはそのままでもいいかなと思います。

 でも友人となった今なら、これを伝えても、私達の関係は変わることはないでしょう。

「あの時は、どうもありがとうございました」

「あの時?」

 涼くんは不思議そうに首を傾げています。

 高校見学のあの日、彼はもう「潔癖症」だったはずなのに、私の荷物を拾ってくれて、あまつさえ絆創膏と消毒液まで渡してくれた。きっと本当は、他人の物に触れることが嫌だったに違いないのに、それを我慢してまで私に手を差し伸べてくれたことが、物凄く嬉しかった。

 そんな優しい涼くんが、私は大好きです。

 言える日が来るかも分からない私の気持ちは、もうしばらく隠しておきます。

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