第37話 心に秘めていること
俺と噂されて嬉しい?それは一体どういう意味なんだ?
椿姫さんは切羽詰まったような、何かに必死になっているような、けれど戸惑ったような瞳をして俺を見つめていた。
「つ、椿姫さん…?」
「私…、私、は、涼くんのこと……」
椿姫さんが何かを言いかけた丁度その時、「お嬢様、お茶のおかわりをお持ちしました」と、襖の向こうから声がした。先程のご婦人の声だ。
「あ、はい!」
慌てて返事をした椿姫さんだが、ちょっと待ってくれ、この体勢は誰かに見られるのはまずいぞ。せっかく友人として歓迎してくれたというのに誤解されかねない。
「つ、椿姫さん。ひとまずそこをどいてくれないか…?」
俺の言葉に、椿姫さんははっとしたようで物凄い速さで俺の上から退いた。
「す、すすすみませんっ!!」
それと同時に、襖がゆっくりと横にスライドし、先程のご婦人が顔を出した。
何故かやたらと真っ赤な椿姫さんを見て、ご婦人はまた笑みを深くした。
「あらあら。お邪魔だったかしら?」
「いえ!お、おおかわりありがとう!」
椿姫さんはご婦人から急須の乗った盆を受け取る。
ご婦人はくるりと俺へと向き直ると、
「椿姫お嬢様ったら、お友達に是非食べさせたいと仰って、こちらの京のお抹茶のケーキを取り寄せたんですよ」
と嬉しそうに微笑みながら話す。
「友人がお抹茶が好きだって、楽しそうに話してらして」
「ちょ、ちょっと
ご婦人の話を慌てて遮ろうとする椿姫さん。
「高校生になってから、友人の一人も連れて来なかったものでね、つい嬉しくなって余計なこと言っちゃったかしら?」
美弥さんと呼ばれたご婦人の嬉しそうに話す姿を見て、俺も嬉しくなった。
「俺も、椿姫さんと友人になれてすごく嬉しいし、一緒にいて楽しいです。お茶ありがとうございます。いただきます」
俺の言葉に美弥さんはまた顔の皺を深くした。
「藤沢くん、と仰ったかしら?」
「はい」
「これからも椿姫さんのことをよろしくお願いします」
「こちらこそ」
俺と美弥さんの会話を照れくさそうに聞いていた椿姫さんは、耐えきれなくなったように、美弥さんを部屋の外へと促した。
「もうっ勉強するのでっ」
「はいはい、失礼しますね」
美弥さんが出て行くのを見送って、椿姫さんは真っ赤になった顔をこちらに向けた。
「涼くんすみません、美弥さんちょっとおしゃべりで…。美弥さんは忙しい私の両親に変わって面倒を見てくれてた方なんですけど…」
「いや、全然構わないよ。俺が来たことが迷惑になっていないようで良かった」
「迷惑なわけありません!みんな喜んでくれてて…」
「そうみたいだな」
椿姫さんや美弥さんの態度を見れば分かる。
友人の家に遊びに来て、歓迎してもらうなんていつぶりのことだっただろうか。
幼い頃はよく澪や皐月の家に遊びに行っていたものだが…。
嬉しいものだな…、こうやって友人と過ごせるのは。
俺はそれをしみじみと感じていた。
「そういえば、椿姫さん」
「はい」
「さっき何か言いかけてなかったか?」
「え?さっき?」
美弥さんが来て途中になってしまったが、椿姫さんは俺に何かを伝えようとしていたように思ったのだが…。
椿姫さんははっとしたように何故か赤面した。
「ご、ごめんなさい!なんでもなんですっ!……私、勢いに任せて何を言おうと…!」
一人でぶつぶつと呟いていた椿姫さんは、強引に話を戻す。
「さ!ケーキを食べて今日の課題でもやっつけてしまいましょう!」
「そうだな」
大した話でもなかったようなので、それ以上は言及せず、俺達はまた談笑しながら抹茶のロールケーキを味わった。
「さ!ケーキを食べて今日の課題でもやっつけてしまいましょう!」
「そうだな」
俺達はまた談笑しながら抹茶のロールケーキを味わった。
「ふー…」
今日の宿題である数学と英語を終わらせ、俺は湯呑に口を付けた。
向かいではまだ椿姫さんが問題を解いている。
椿姫さんなら、今日の宿題くらい簡単に解いてしまうだろう。なんて言ったって学年七位だもんな。
今思えば、俺に勉強を教わりたい、というのは口実だったのかもしれない。
俺より成績の良い椿姫さんが、俺に教わりたいことなんてほとんどないはずだ。
それなのに俺に声を掛けてきたのは、きっとお互いに友人が少なく、椿姫さんも頑張って友人を作ろうとした結果なのかもしれない。
もしくは…。
俺はベッドの脇に置かれている消毒液だか除菌ボトルだかにさっと視線を走らせる。
もしくは、椿姫さんも俺までとはいかないまでも、潔癖気味なのかもしれない。
俺は教室でも普通に除菌していたから、椿姫さんに見られていたのかもな。
などと思っていると、机の上に置いていたスマホがピコンと音を立てた。
それはメッセージアプリの通知を知らせる音だった。
スマホの画面に文字が浮かび上がる。
俺がなんとはなしに目をやったのと同時に、椿姫さんによってその文字が音読された。
「ハンターの諸君へ?」
不思議そうに首を傾げていた椿姫さんは、慌てて頭を下げた。
「す、すみません!つい文字が目に入ってしまって!」
「いや、別に構わないよ。大した会話じゃないし」
メッセージを送信してきたのは皐月だ。部活終わりに連絡してきたのだろう。
「皐月だから気にするな」
「辻堂くんからでしたか…。返信しなくて良いのですか?」
「急ぎの用じゃないだろ」
皐月からの連絡は大抵ゲームしようぜ、か、宿題写させてくれ、かしょうもない雑談くらいだ。緊急のものであったためしがない。
椿姫さんは何がそんなに楽しいのか、ふふっと上品に笑った。
「涼くんと辻堂くん、本当に仲が良いですよね」
「まぁ、幼なじみだからな。付き合いが長いってだけだけど」
「そういう関係、羨ましいです。なんでも言い合える仲って感じで」
「そうだな…」
皐月だって友人は多いはずなのだが、なんだかんだいつも俺と一緒にいてくれるのは、皐月も俺と一緒にいるのが気が楽なのだろうと思う。そうだったらいいという願望も入っているかもしれないが。
「お二人はいつも何をして遊んでいるのですか?」
「え?あー、そうだな。大抵はゲームしてるかな」
「ゲーム、ですか?私、ゲームってしたことがないです」
「そうなのか?」
と言ったものの、椿姫さんならやったことがなくてもおかしくない。
友人はいないし、こんな豪邸に住むようなお嬢様だ。触れてこなかったのも頷ける。
「一緒にやるか?」
そう考えなしに声を掛けてしまったが、椿姫さんは目を輝かせながら身を乗り出した。
「いいんですか!?」
興味があるならやってみてもいいと思って言ったのだが、椿姫さんの両親に怒られたりはしないだろうか?ゲームに関して厳しいご家庭もあると聞くからな。
「しかしどうやって一緒にやったもんか…」
てっとり早いのは俺の家に呼んで俺のゲーム機を触らせてあげることなのだが、椿姫さんを家に呼ぶ、はなかなかにハードルが高い。
俺の方は覚悟さえ決まれば問題ないのだが、澪と違ってそう簡単に男の部屋に上がったりはしないだろうし、椿姫さんの両親が許すとも思えない。
俺が頭を捻っていると、椿姫さんが質問してくる。
「涼くんはいつもどうやって辻堂くんとゲームをしているのですか?お家で一緒に遊んでいるとか?」
「いや、インターネット通信ってやつがあって、それぞれの家でやってるんだ」
「ああ!あれですね!よくCMでやってる、何時に集合ね~って言って、ゲーム内のロビーに集まる…?」
「そう、それだ。よく知ってるな」
俺が褒めると椿姫さんは嬉しそうに微笑む。
「ドラマとか好きでよくテレビを見るんです。その時にCMで見たことがあって!」
「そうなんだな」
テレビを見る椿姫さんを少し意外に思ったが、椿姫さんだって俺と同じ高校生だ。それに女子ともなればドラマや歌番組など見ることくらいあるだろう。
「ドラマの話題って、会話の鉄板じゃないですか。だから友人との会話の糸口になるかな?と見始めたのですが、結構はまってしまって」
「友人とドラマの話をしたことは、まだないんですけど…」と呟く椿姫さんに、俺はシンパシーを感じた。
分かる、分かるぞ。ドラマやアイドルの話、今SNSで何が流行っているとか、そういう話題は知っているに越したことはない。そんな風に考えたことが俺にもあった。まぁ、「潔癖症」のせいで他人との過度な接触は諦めたけどな。
「つまりはゲーム機とソフトがあれば、遠くにいても涼くんとゲームができるのですね!」
「まぁ、そうだな」
「分かりました!」と言った椿姫さんは、俺と皐月がやっているゲームソフトをメモしていた。
俺と皐月がやっているゲームは、椿姫さん向きではないと思うのだが、本当にいいのだろうか?澪がやっているゲームとかの方がのんびりできるんじゃないだろうか。
それを椿姫さんに念のため聞いてみても、「涼くんが好きなゲームを一緒にやりたいのです!」の一点張りだった。なかなかに頑固なお嬢様だ。
椿姫さんと友達になって、この子は本当にいい子だなぁと思うことは多々あれど、嫌な気持ちになったことは一度もない。
こんなに話しやすく優しい子だというのに、どうして女子の友達を作ろうとしないのだろうか。
椿姫さんの美貌故、並ぶ女子が他人に比べられるのが嫌で深い関係にならないのか?と考えたことはあったが、それだけではなく、椿姫さんが一歩を踏み出せないことが大きい気がする。
過去になにか、あったのだろうか……?
「涼、つばきちの家行ってたんか!?」
その日の晩、皐月とモンスターを狩りに行くゲームをしながら、今日のことを渋々報告した。
報告するつもりは全くなかったのだが、通話越しの俺の声がいつもより元気そうだとかなんとか言って、「なんかあったん?」と訊かれてしまった。相変わらず鋭いやつだ。
「すげーうまい抹茶のロールケーキをご馳走になったよ」
「はー、それで涼ちんはご機嫌なわけだ」
別にそれだけでは決してない。友人の家に行って、友人と過ごす時間がいいなと思っただけだ。
「そうだ皐月、椿姫さんがこのゲーム一緒にやりたいってよ」
「まじ?つばきちが?」
驚くのも無理はない。皐月は俺と同じことを思ったようだ。
「つばきちこのゲーム好きになるかなぁ。澪がやってるアニマルの森とかのが好きだと思うけど」
「俺もそう思う。椿姫さんにもそう言った。でもやってみたいんだと」
モンスターを狩るよか、椿姫さんはどうぶつと仲良くするゲームの方が絶対合っていると思うのだが。
「ま!本人がやってみたいって言ってるんだし、やってみたらいいよな!もしかしたら狩人の血に目覚めるかもしれないし!」
皐月の能天気な話に耳を傾けつつ、俺達はゲームを進めていく。
「ところで、最近澪ちんとはどうなんだ?」
「え?澪?」
皐月の唐突な質問に、危くコントローラーを落とすところだった。戦闘中だと言うのに。
「な、なんだよ急に」
「いや別に?ついこの前まで、なんか二人でこそこそやってただろ?その後も澪ちんと仲良くやってんのかなーって」
皐月の口ぶりからして、本当は何もかも知っているのではないかと思ってしまう。
澪と二人で「潔癖症さよなら大作戦」をしていたこと。
俺が澪を好きなこと。
「別に、いつも通りだよ」
「そか!ならまぁ、よしだな」
「さ、皐月こそ、最近どうなんだ?好きな奴とかいないのか?俺はてっきり高校に入ったら彼女をとっかえひっかえするのかと思ってたぞ」
俺の急な話題転換に、「おっ、恋バナかー?」と皐月はモンスター討伐に集中しながら言う。
皐月はルックスだけならかなりいい線いっていると思う。中身は少しおちゃらけているが、悪い奴ではない。空気が読めない上にデリカシーも欠け気味とは澪談ではあるが、現に岬さんは皐月に好意を寄せている。皐月なら、作ろうと思えば彼女くらい作れるはずだ。
「とっかえひっかえって、涼ちんたら俺のことそんな風に思ってたのかよー」
むくれたように話す皐月だが、冗談であることは承知の上だろう。
「俺はいいんだよ、そういうのは」
皐月らしからぬ、何とも感情の読み取りにくい声色だった。
「皐月…?」
何か、あるのか?
ゲームに集中しているせいなのか、恋愛に関して何かあるのか。
皐月が悩んでいるところを、俺は見たことがない。
きっともし悩んでいたとしても、皐月は絶対に誰かに相談したりはしないだろう。そういうやつだ。
もし恋愛に関して何かあるとしたら…、岬さん、皐月を攻略するのは、結構難しいかもしれないぞ…。
「おっ!欲しい素材落ちた!サンキュー涼!」
「ああ」
少し引っ掛かるが訊いたところで皐月は話してくれないだろう。
俺が「潔癖症」に悩んでいるのと同じように、きっと皐月も椿姫さんも、何か心に秘めていることがある。
いつか、そのわだかまりを俺に少しでも分けてもらえたら…なんて、図々しい考えだろうか……。
それからも俺達は、何気ない会話をしながらゲームに興じた。
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