3-9 サプライズ

 熊岡良一郎の初監督作品、『蒼色の駆ける僕らの歌』。

 ピンク色のツインテールの女子高生が主人公の、青春と音楽の物語だ。そこに広がるのは『非日常』ではなく『現実世界で光り輝く物語』だった。


「あたし、薄木原町の素朴な感じ、好きだよ」


 観終わってすぐ、梨那は不意に囁く。

 乃衣もまた、梨那を見据えながらはっきりと言い放った。


「私も、まだ資料を見ただけですけど……浪木島には期待しています」


 日常的な風景だけどどこか眩しい。

 そんな場所を提供したいと思った時、乃衣の頭に浮かぶのは薄木原町に対する自信と、浪木島への期待だった。

 まるで二人の気持ちが重なったようで、自然とふふっと笑ってしまう。


「いやぁ、それにしても真っ暗だねぇ」


 全十二話の一クール作品である『蒼色の駆ける僕らの歌』。休憩を挟みながら鑑賞しようと思っていたはずなのに、結局ノンストップで最後まで観てしまった。

 気付けば窓の外はすっかり暗くなっていて、二人して苦笑を浮かべる。


「もうこんな時間だったんですね。全然気付きませんでした」


 壁かけ時計を確認すると、すでに午後七時を過ぎていることがわかった。普段なら晩御飯を食べている時間だ。


「あっ」


 と、意識した途端に腹の虫が鳴る。

 ぐぅ、というほんの些細な音だったが乃衣にとっては恥ずかしいものだった。咄嗟に腹部を押さえ、視線を逸らす。


「あー、ごめんね。あたしももっと気を遣えてたら良かったんだけど」

「いや、大丈夫です。長丁場になるのは私もわかっていたので。……あ、あの」


 両手を合わせながらコテンと首を傾げる梨那に、乃衣は透かさず頭を左右に振る。それから、恐る恐る梨那の瞳を見つめた。


「良かったら、何か作りましょうか……?」

「…………あ、あぁ……ええっと」

「う、あ、流石に図々しいですよね。すみません距離感を間違えました」


 ああああ、と乃衣は心の中で悲鳴を上げる。

 確かに梨那との距離は縮まったような気がする。だけど、いくら何でも晩御飯を作ろうとするのはやりすぎた。これではまるで押しかけ女房だ。


(いやいやいや、何考えてるの私……っ?)


 ぐるぐると渦を巻く思考に、最早自分自身がついて行けない。押しかけ女房って何だよと突っ込みを入れたい気分だ。だけど同時に、仕方がないではないかと思う気持ちもある。

 猫塚梨那は自分にとって、とっくに仲良くなりたいと思える先輩になっているのだから。


「ごめん乃衣ちゃん。今、冷蔵庫の中に何もないんだよね。食べられるものって言ったらカップ麺くらいでさ」

「…………へっ?」

「わ、ビックリした。急に素っ頓狂な声出すじゃん。……おぉ?」


 乃衣がよほど虚を突かれたような顔をしていたのか、梨那は一瞬だけ目を丸々とさせて驚く。しかしその表情はすぐにニヤニヤ顔へと変わっていった。


「ねぇねぇ。もしかして乃衣ちゃん、あたしが『ご飯作られるのはちょっと』って拒否ってるって思った?」

「…………」

「うわー、すっごい虚無の顔するじゃん。図星丸出しだね? 可愛いね?」

「……るさい、です」


 恥ずかしすぎて「うるさいです」すらまともに言えない始末。

 もう、顔から火が出るかと思うくらいだ。やはり苦手な部分はどうしたって苦手なのである。そればかりは譲れないのだと、乃衣はそっと言い訳を浮かべた。


「と、とにかく。猫塚先輩は料理が得意ではないということですよね?」

「梨那先輩って呼んでくれても良いんだよ?」

「…………」

「もう、冗談だってば。そんなに睨まないでよ」


 言って、梨那はへらりと笑う。

 せっかく梨那が『乃衣ちゃん』と呼んでくれるようになったのだ。ここは乃衣も『梨那先輩』と呼ぶチャンスだったのだが、照れる気持ちが勝ってついつい睨み付けてしまった。どこか残念そうに見える梨那の姿に、乃衣は小さくため息を零す。


「普段からカップ麺ばかり食べてるんですか」

「え? いや、いつもはママが作ってくれるよ? あたしご飯を炊いたことすらないからさ。パパとママがいないと一気に貧相なご飯になっちゃうの」

「そうですか。……だったら」


 そっと息を吸い、梨那を見据える。

 一瞬だけ躊躇いそうになったのは、きっと『これを言ったら失敗フラグになってしまうかも知れない』という不安からだろう。

 だけど乃衣は言ってしまった。



「私達の選んだ場所が『花束とアンドロイド』の聖地を勝ち取ったら、今度こそ梨那先輩にご飯を作ってあげますよ」



 ――うん、やっぱりこれ失敗フラグだな?


 はっきりと梨那に宣言してから、乃衣の表情は徐々に苦いものへと変わっていく。まるで「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ」と同じようなセリフを吐いてしまった。

 しかもこのタイミングで『梨那先輩』と勇気を出して呼んでしまったのだ。失敗フラグの文字が色濃くなっていくような気がして、頭を抱えたくなってしまう。


「乃衣ちゃん。あたし今すっごい嬉しい……んだけど、何か微妙な表情してるね?」

「いや、その。フラグっぽいセリフになってしまったなと」

「あー、そゆこと? だったら上乗せしちゃえば良いよ」

「? それってどういう……」


 梨那の言葉の意味がわからず、乃衣は首を傾げる。

 すると梨那は突然立ち上がり、ベッドのかけ布団の中に手を伸ばした。乃衣の中のクエスチョンマークが更に大きくなるも、やがて梨那の手にあるものを見つけてはっとなる。


「はい。これ、乃衣ちゃんにプレゼント」

「え、いや……私、誕生日は十二月なんですけど」

「うん、知ってる。はねちゃんと同じなら十二月十二日でしょ」

「う、あ……その通り、ですけど」


 きっと、今の乃衣はありえないほどに挙動不審になっていることだろう。

 だってサプライズでプレゼントをもらうなんて初めての経験なのだ。上手く驚けないどころか「誕生日は十二月なんですけど」などというつまらない返事をしてしまった。

 やってしまったと後悔しつつも、乃衣は梨那からピンク色の小さなラッピング袋を受け取る。


「あ……」


 その中には桜のヘアピンが入っていた。

 猫塚梨那が猫グッズ好きのように、桜羽乃衣も桜グッズを意識してしまう。薄木原町のアウトレットモールに行った時、乃衣は確かに桜フェアをやっていた雑貨屋が気になっていた。

 あの時は強がって「それは『花束とアンドロイド』と関係ないじゃないですか」と言って、わざと逃げるようにトイレへ行ったような記憶がある。


「もしかしてこれ、アウトレットの時の」

「そうそう、よく気付いたね。乃衣ちゃんがお手洗いに行ってる隙に買っちゃった」


 言いながら、梨那はいぇいとダブルピースをする。あまりにも楽しそうに笑うものだから、乃衣の心も自然と軽くなっていった。


「ありがとうございます。気を遣わせてしまったようですみません。でも、嬉しいです」

「へぇ、乃衣ちゃんにしては素直じゃん?」

「こんな時まで拗ねたら自分でもドン引きですから」


 自虐するように、乃衣はあははと力なく笑う。

 手のひらには梨那がくれた桜のヘアピン。春らしい温かな可愛らしさがあって、果たして自分に似合うのかと不安になってしまう。いっそのことお守りのように鞄の中へ忍ばせておくのもありなのかも知れない。

 しかし、


「あたしにとってのツインテールみたいに、ヘアピンを付けることで乃衣ちゃんの力にならないかなーって思ってさ」


 優しい笑みでそんなことを言われては身に着けるしかないと思った。意を決してヘアピンで前髪を留めると、梨那はわかりやすく感嘆の声を漏らす。


「わ、超似合うんだけど。ほら鏡見て。やっぱり乃衣ちゃんはおでこ出した方が良いよ。普段は前髪長すぎだし」


 興奮気味に手鏡を渡され、乃衣は見慣れぬ自分の姿と対面する。

 濡羽色のミディアムボブに、いつも以上によく見える琥珀色のアーモンドアイ。梨那の言う通り、いつもの乃衣は前髪が長かった。急に社会人として反省する気持ちが芽生えてしまうのは、華やかな桜のヘアピンも相まって表情が明るく感じるからだろう。


「うん、新しい乃衣ちゃんの誕生だね」


 微笑む梨那に、乃衣はただコクリと頷く。



 決して完璧ではない心を晒して、それでも前に進もうと誓って、二人で闘志を燃やして――。

 思い返してみれば、ただ単に「頭の中を整理する」だけではない、濃厚な時間を過ごしてしまった。

 嬉しくて、恥ずかしくて、だけど自然と頬は緩んでしまう。


 梨那と一緒なら、後悔する道に進むことはない。

 そうはっきりと思えてしまう自分の姿あった。

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