第一章 サクラちゃんとツインテ先輩

1-1 初めてのプロジェクト

 あれから六年の月日が流れた。


 十八歳になった乃衣は今、紺色のスーツに身を包んでいる。

 濡羽ぬれば色のミディアムボブの髪に、百五十センチにギリギリ満たない小柄な身体。きっと、スーツじゃなかったら中学生くらいに見られていたことだろう。


 しかし、乃衣はもう立派な社会人だ。


 ――『未来聖地巡礼案内所』。


 それが、乃衣が高校卒業後に入った会社の名前だった。

 アニメ・漫画・ドラマ・映画・ゲーム・小説などのコンテンツとまちづくりを繋ぐ場所。それが『未来聖地巡礼案内所』だ。

 部門は『アニメ部門』、『ドラマ・映画・一般文芸部門』、『漫画・ゲーム・小説(ライトノベル)部門』、『海外部門』の四つに分かれている。


 例えば『アニメ部門』ならオリジナルアニメを制作するアニメ会社から依頼が来て、アニメの概要や「こういう風景が欲しい」といった資料が届く。

 二人一組に分かれ、資料をもとにいくつかの場所をピックアップし、実際に訪れる。そこから一つに絞り、取材を行う。

 アニメ会社に出向き、一組ずつプレゼンを行なうことで最終的に聖地の場所が決まる――というのが全体的な流れだ。

 簡単に言えば、未来の聖地巡礼スポットを紹介・案内するのが『未来聖地巡礼案内所』、ということである。



 五月。

 乃衣が『未来聖地巡礼案内所』の『アニメ部門』で働き始めてから一ヶ月が過ぎた。


 アニメ好きで、中学一年生の時から聖地巡礼が好きになった乃衣にとって、『未来聖地巡礼案内所』に就職できたことは奇跡だと思っている。

 しかし、当然のことではあるがそんなにポンポンとアニメ会社から依頼が来る訳ではない。しかも乃衣はまだ入社して一ヶ月のド新人だ。依頼が来たとしても乃衣に回ってくることはないだろうと思っていた。


 この一ヶ月間、乃衣は主に資料作りを担当している。

 聖地巡礼、特にアニメの聖地巡礼の経済効果は留まるところを知らず、年々盛り上がりを増しているのだ。そうなってくると、「ぜひとも我が町もアニメの聖地に……!」という声は山ほど出てくるもので、その声の受け皿となっているのが『未来聖地巡礼案内所』である。アニメ会社から依頼が来た時の候補にするため、膨大な市町村の情報をアニメの舞台用の資料としてまとめているのだ。


 この一年はこういった細々とした作業を連続なのだろう、と。

 当たり前のように思っていたのだが。


「お、おはようございます!」


 オフィスに入るなり、乃衣は絶妙に裏返った声を出してしまう。恥ずかしくて鞄をぎゅっと握り締めると、一人の男が「ふっ」と遠慮のない笑みを零した。


「何故笑う」

「いやいやちゃうねんちゃうねん、緊張してんなって思って」

「……そりゃ、するでしょ」


 ジト目で彼を睨み付けてから、乃衣は自分のデスクに座る。

 彼は宇江原うえはら遣都けんと。ミディアムシルバーの髪をウルフカットにしていて、左耳にはピアスがキラリと光っている。

 決して認めたくはないのだが、このチャラチャラとした男は乃衣の幼馴染だ。……いや、オタク仲間の腐れ縁、と言った方が良いだろうか。互いに三重県出身のはずなのにコテコテのエセ関西弁の使い手で、緊張という言葉を知らないコミュ力おばけである。


「だって、会議室に呼ばれるなんて初めてだし。もしかしたらって、考えちゃうじゃん」

「もしかしても何も、絶対にそうやろ」

「いやいやいや、決め付けちゃ駄目だって」


 言いながら、乃衣は目を瞑って頭を抱える。

 昨日、乃衣は上司から「明日、十時に会議室ね」と言われていた。ただそれだけであり、決して大きなプロジェクトが動いていると言われた訳ではない。

 だけど、どうしても期待してしまう自分がいて、とりあえず落ち着こうと必死になっていた。


「まーでも確かに、あんまり期待しすぎん方がええんちゃう? 最初から自分の案が採用されるなんてないやろ。初っ端から好きなアニメ会社とか監督の作品だったら大変やで」

「そ、それはまぁ……そうだね。っていうか、アニメ会社からの依頼だってことは確信してるんだね」

「そりゃそうやろ」


 さも当然のように頷く遣都に、乃衣は乾いた笑みを零す。相変わらずのあっけらかんとした遣都の性格が、今ばかりは羨ましく感じた。



 ***



 午前十時は思った以上にあっという間にやってきた。

 入社一ヶ月にして初めて入る会議室は、黒で統一されているからか妙におごそかな雰囲気に包まれている。


 そして――中央のモニターにはすでに「オリジナルTVアニメーション『花束はなたばとアンドロイド』聖地巡礼プロジェクト」の文字が浮かび上がっていた。


(ほ……本当にアニメ会社からの依頼だった……! しかもTVアニメだし、アンドロイドものとか大好物なんだけどっ)


 早くも頭の中は 大騒ぎである。

 先ほどの遣都の「初っ端から好きな作品だったら大変やで」という言葉も同時によぎるものの、興奮の方が勝ってしまっているのが現実だった。



「はい、皆さん席に着きましたね。それではこれより、オリジナルTVアニメーション『花束とアンドロイド』聖地巡礼プロジェクトの説明を始めます」


 モニター横に立ち説明を始めたのは『アニメ部門』の部長である夕桐ゆうぎりなぎさだ。胡桃色のストレートロングヘアーの髪に、スレンダーでシュッとした身体付き。そして、何よりも言及すべきは瞳だろうか。つり目でクールな印象があるのだが、珍しい青碧せいへき色をしているのだ。れっきとした日本人なのだが、初めて彼女の瞳が青碧色だと気付いた時は乃衣も驚いた記憶がある。


(って、私は何を現実逃避してるんだろう)


 心の中で苦笑してから、乃衣は目の前の現実と向き合った。

 この企画はTVシリーズとして放映予定のオリジナルアニメーション『花束とアンドロイド』の聖地を決めるためのものである、ということ。

 制作は『スタジオプリムラ』で、柔らかく繊細なタッチで有名なアニメ会社であること。


 そして、監督は熊岡くまおか良一郎りょういちろう。青春系アニメを作らせたら右に出る者はいないと言われているほどに有名な監督だった。


(遣都……早くもフラグ回収しちゃったんだけど)


 好きなアニメ会社に、好きな監督。

 またしても遣都の「初っ端から好きな作品だったら大変やで」がリフレインされる。乃衣だってわかっているのだ。入社したばかりのペーペーの自分の案が採用される可能性なんて微々たるものだと。


 だけどどうしても心が動いてしまって、目の前のモニターから目が離せなかった。

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