3-8 進むために必要なこと

「…………はあっ」


 なのに、何故だろう。

 不意に梨那の表情に陰りが見えたような気がした。――いや、『気がした』どころの問題ではない。

 唐突に悲しみの色に染まる顔。それを隠すように俯かせる視線。同時に零れ落ちる感情の粒。

 乃衣は気付いた。

 気付いてしまった。


「ごめん、サクラちゃん。あたし……っ」


 彼女が抱えていたもの。

 それは、自分が想像していたよりもずっと大きな後悔だった。

 ぐにゃりと歪んだ顔のまま、梨那は必死にこちらを見つめる。そして自分に向かってはっきりと告げるのだ。



「失敗しちゃったよ」



 ……と。

 そのまま彼女は本音を吐露する。


 梨那が風ノ瀬市を選んだ決め手は『田舎感』と『異国感』が共存しているところだった。『花束とアンドロイド』は人間とアンドロイドのラブストーリーだ。日常と非日常が交差するような作品だと梨那は感じて、そういう意味で風ノ瀬市はピッタリだと思っていた。

 だけど、実際に風ノ瀬市へ足を運んでみたら違和感を覚えてしまったのだという。


(そっか。猫塚先輩も同じ気持ちだったんだ)


 梨那の胸のうちにあった後悔が、乃衣の心に優しく溶け出していく。

 確かに梨那は頼れる先輩だ。最初はギャルっぽいだの何だのと言って頭を抱えてしまったが、今では悔しいだのずるいだのと思いながら手を引っ張られている。不思議な話もあったものだと思う。

 だって、



「悔しい……っ」



 今度は梨那が悔しさを爆発させているのだから。


「うぐ……っ、はぁ……。ごめんね、サクラちゃん。あたし、本当は頼れる先輩を演じてるだけでさ」

「え、いや……そんなこと」

「あるんだって。……いや、サクラちゃんがそう言ってくれるのは嬉しいんだけどね。でも、あたしは普段からこんなだからさ。一年目の頃からめっちゃ浮いてて」


 言って、梨那は珍しく弱々しい笑みを浮かべる。

 後悔だったり、悔しさだったり、弱音だったり。どれも初めて見る梨那の姿で乃衣は驚いてしまう。だけど、自然と嫌な気持ちにはならなかった。

 むしろ嬉しいと感じてしまう自分がいて、乃衣は心の中で首を傾げる。


「あたし、一年目の頃はアニメのプロジェクトに三回参加したんだけどさ。どれも先輩の足引っ張っちゃって。聖地候補も上手く決められないし、写真撮るのも下手だし。結局、先輩に甘えまくったまま一年を過ごしちゃったんだよね」

「…………私には、そうは見えませんけど」

「あはは、ありがと。でも、ホントに駄目駄目だったからさ。だから、ナギ部長に頼んだんだよね。二年目に入ったら後輩とペアを組ませて欲しいって。荒療治でどうにか前に進めないかなーって」


 梨那はまた、力なく笑ってみせる。

 そういうことだったのか、と乃衣は思う。てっきり、若手の意見も大事だからという意味で自分達が組まされたのかと思っていた。もちろんそういう意図もあったのかも知れないが、まさか梨那の意思も入っていたとは。


 驚きながらも、乃衣は無意識のうちに微笑みを浮かべる。

 もう認めるしかないと思った。

 薄木原町の温泉に入った時、梨那が放った「あたしらって、似た者同士だよね」という言葉。あれは決して『地元に対する恩返し』と『監督に対する恩返し』が重なったから――だけではないと思うのだ。


 荒療治で前に進もうとする。

 それは、YouTubeでの活動を始めて、無理矢理コミュ力を上げようとした自分と似ているような気がした。


「先輩って、本当は不器用だったんですね」

「そうだよ。むしろ今更気付いたんだ?」

「はい。猫塚先輩は、頼れる先輩を演じるのが上手すぎますから」

「でも一度崩れるとあっという間っしょ?」


 すっかり赤らんだ目元を拭ってから、梨那は自信満々に胸を張る。

 吹っ切れたようにも見えるその姿は、乃衣には眩しいもののように感じた。でも、同時に胸が熱くなる。


「何言ってるんですか、崩れてなんてないですよ。前に進むために必要なことだったってことなんじゃないですか?」

「うう、何かサクラちゃんが格好良いんだけど……」

「う、うるさいですよ。別に良いじゃないですか。たまには私が先輩に手を差し伸べたって。だって私達は、パートナー……ですから。『花束とアンドロイド』のために、一緒に歩きましょうよ」


 恥ずかしいという気持ちがまったくない訳ではなかった。

 だけど今は、今だけは。

 高鳴る鼓動を気にしている場合じゃないと心が叫ぶ。


 こんなにも前向きな気持ちになるのは、きっと梨那が先輩という名の仮面を外してくれたからなのだろう。――なんて当たり前のように思ってしまう自分がいて、やっぱりちょっとだけ恥ずかしい気持ちに包まれてしまう。


「ありがとうね、ちゃん」

「ぅ、あ…………何ですかいきなり。サクラちゃんじゃないんですか」

「んー、何となく乃衣ちゃんって呼びたくなっちゃった。駄目?」

「いや、駄目じゃないですけど……。ほ、ほら先輩、いつまでも泣いてちゃ駄目ですよ。『蒼色を駆ける僕らの歌』、観るんですよね?」


 逃げるようにして問いかけながら、乃衣は熊岡監督作品のBDがズラリと並んだ棚を見つめる。

 TVシリーズや劇場アニメ、はたまた熊岡監督に密着したドキュメンタリー映画までもが揃っていて、乃衣は思わず「ほへぇ」という間抜けな声を漏らした。


「え、何それ可愛い」

「……な、何がですか」

「今、乃衣ちゃん『ほへぇ』って言ったんだよ?」

「…………いや、本当に監督のファンなんだなって思ってしまって」


 まさか「ほへぇ」が声に出ていたとは気付かず、乃衣は誤魔化すように視線を彷徨わせる。心なしか顔も熱くて、やっぱり梨那にからかわれるのは苦手なのだと感じた。

 だけど、


「まぁね。くまお監督のおかげで今のあたしがいるっていっても過言じゃないから」


 乃衣の中にある『苦手』が覆い被さってしまうほどの清々しい笑顔がそこにはあって、ついつい強張りかけていた自分の表情が優しく溶けていく。


 猫塚梨那。

 乃衣はずっと彼女のことを誤解していた。

 ギャルっぽくて先輩らしい部分もある彼女は、いつだって乃衣のことを引っ張ってくれる。泥臭い部分なんて一つもなく、何でもないような顔で仕事をこなす。そんな、完璧を絵に描いたような人。

 温泉で「昔は物静かな性格だった」と告白された時も、心のどこかでは今の性格になるポテンシャルが元々あったのだろうと思ってしまっていた。


 でも違う。

 一つのきっかけで変わろうと決意して、好きなことにまっすぐで、不器用だけどがむしゃらで、悔しい時は思い切り叫んで、決して消えない情熱を胸に灯している。


 それが猫塚梨那なのだと知ってしまったから。


「先輩、一緒にくまお監督の作品に触れましょう。それで、考えてみましょう。一度整理をしてみたら、風ノ瀬市の見えなかった魅力に気付けるかも知れませんし、それに……。浪木島も自信、あるんですよね?」


 心の中に「かかってきてくださいよ」と言い放つ自分を思い浮かべながら、乃衣は問いかける。すると、梨那はこちらが笑ってしまうくらいにわかりやすくニヤリと口元をつり上げてみせた。


「うん、そうだよ。そんなの当ったり前でしょ?」


 あぁ、そうだ。と心が震える。

 彼女が隣にいてくれること。

 悩みながら、迷いながら、一緒に歩めること。


 そんな当たり前のことが嬉しくてたまらなくて、乃衣も梨那の真似をするように笑みを浮かべていた。

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