3-7 乃衣の秘密

(嘘でしょ。ねぇ、嘘だよね……?)


 朔野はね。

 主にゲーム配信をしているYouTuberで、誰にも打ち明けたことのない桜羽乃衣のもう一つの姿。

 別にVTuberという訳ではないのだが、リスナーが贈ってくれたファンアートがきっかけでビジュアルが付くようになった。

 青髪のツインテールで、純白のドレスに羽が生えた天使のような姿をしている。乃衣自身も気に入っていて、デビューして半年の時に記念グッズとしてアクリルスタンドを販売したのだ。


「やっぱりあたし的には『蒼色を駆ける僕らの歌』が良いなって思うんだけど、どう?」

「…………」

「サクラちゃん? おーい、聞こえてるー? とりあえず座りなよ。このソファーめっちゃふかふかだからさ」

「……えっ、あ。すみません」


 猫をかたどったソファーをポンポンされ、乃衣はようやくはっとなって梨那の隣に座る。確かにふかふかで、先ほどまでの緊張感や衝撃はどこかへ吹き飛びそうになってしまった。

 しかし、



「ねね、もしかしてだけどさ。……朔野はねちゃん?」



 梨那の問いかけによって、乃衣の思考は一気に覚醒する。

 聞き間違いだろうか? と思うことすらできなかった。ただただ「ちょっと待って」が加速していき、頭がぐるぐると回転する。


「え、マジ? 当たってる?」

「……そんな、訳」

「あるんだ?」

「…………はいぃ」


 観念して頷く。

 こんなにも動揺を露わにしておいて、今更誤魔化すことなどできなかった。だけど梨那と目を合わせる勇気はなくて、膝を抱えて俯いてしまう。


「こんなことってあるんですか」

「いやぁ、ホント。ビックリだねぇ。声似てるなーとは思ってたし、雑談で聖地巡礼が好きって話もよくしてたからさぁ」

「あー……。そういうこと、ですか」


 確かに乃衣――もとい朔野はね――は、配信中に「聖地巡礼が好き」という話をよくしていた。その上VTuberではないため、『朔野はね』を演じている訳ではなく素のままで喋っている。

 考えてみれば、バレる要素は揃っていたような気がした。


「でも私、有名な配信者って訳じゃないですけど」

「そう? チャンネル登録者五千人はだいぶ凄いと思うけどなー。実際、同じ職場のあたしがファンだった訳だし」

「ファ、ファン……っ?」

「いやいやいや。そこはアクスタ飾ってる時点で察してよ」


 言いながら、梨那はケラケラと笑う。

 梨那の部屋にいる時点で意味がわからないのに、梨那が朔野はねのファンだったなんて。最早キャパオーバーで、乃衣はカチコチに固まってしまう。


「あれ、サクラちゃん? おーい、生きてるー?」

「…………いや、その、生きてはいます。ただちょっと、ショックが大きくて」

「えっ、あたしがはねちゃんのファンなの、嫌だった?」

「いえ、その……嫌とかではなくて。私がYouTubeで活動していることは誰にも打ち明けたことがなかったので」


 家族もそう。小中学生の頃から縁のある友達もそう。もちろん、幼馴染の遣都もそう。皆、配信者としての乃衣のことを知らない。

 だって、最初はコミュ力を磨くために始めたYouTube活動なのだ。決して身近な人達に「見て見て!」とアピールしたい訳ではない。というよりも、バレたら恥ずかしくて死ぬと思っていたくらいだ。

 なのに、よりにもよって梨那にバレてしまうだなんて。


「ほーん?」


 梨那は今、どこか楽しげに口角をつり上げている。

 逃げられない、と反射的に思った。ギラギラと輝く黒紅色の瞳は、好奇心の塊となって乃衣の胸に突き刺さる。

 勘弁してぇ、という情けない叫びが心の中に響き渡った。


「あたし、サクラちゃんの秘密を知っちゃったんだ」

「あ、あああ、あのっ! このことは誰にも言わないでおいて欲しいんですけどっ」

「んー。どーしよっかなー」


 完全に弱みを握られてしまった。

 頭の後ろで手を組みながらゆらゆらと揺れる梨那の姿に、心の中の弱々しい悲鳴は加速していく。だいたい、今日は熊岡監督の作品を観て頭の整理をするはずだったのだ。なのに逆に心のが乱れていってしまうなんて。

 やっぱり意味がわからなくて、乃衣はとうとう視線を俯かせようとしてしまう。


「とまぁ、冗談はここまでにしておいて」


 だけど、結果的に俯くことはなかった。梨那の黒紅色の優しい猫目と、自分の琥珀色のアーモンドアイが交差する。


(この人は、本当に……)


 空気を変えるのが上手い人だ、と思った。

 声のトーンも、真面目さの中に温かさが混ざった視線も、さっきまで楽しそうに笑っていた彼女の姿とは大違いで。

 敵わないなぁ、なんて思ってしまう。


「今ね、あたし……すっごく嬉しいんだよ。サクラちゃんの正体が本当に朔野はねちゃんだったんだってわかって」

「それ、は……。視聴者として嬉しいってことですか?」

「んー、まぁもちろんそれもあるんだけどね。でも、それだけじゃなくて」


 言いながら、何故か梨那は乃衣の両手を優しく包み込む。突然のスキンシップに驚きながらも、乃衣には拒否することができなかった。

 だって、



「あたし、知ってるんだよね。はねちゃんの好きなものに対する情熱の高さを。どのゲーム実況にもたくさんの愛がこもっててさ。……あたし、はねちゃんのそういうところが大好きなんだよね」



 体温以上に熱い想いが、伝わってきてしまうのだから。


 好きなものに対する情熱の高さ。

 たくさんの愛がこもっている。


 ――そんなの、『未来聖地巡礼案内所』で働く身としては嬉しすぎる言葉だった。


「あたしがさ、サクラちゃんがはねちゃんだって確信したの、いつだと思う?」

「いや、それは……自分ではわからないですよ」

「ふふっ、だよね。あのね、サクラちゃん。…………『かかってきてくださいよ』って言ってくれた時だよ」

「……っ」


 バッと、乃衣は咄嗟に視線を逸らす。

 今は梨那と目を合わせなくてはいけない場面だということはわかっていた。

 だけどどうしても恥ずかしさが勝ってしまう。自分なのに自分ではないような、熱を帯びた発言。でも、梨那とともに歩くためには必要な言葉だったと思うのだ。


「すみません。あの時は生意気な発言をしてしまって」

「ふぅん。それ、本気で思ってる?」

「…………それは」


 まるで乃衣のことを試しているような鋭い視線が突き刺さる。

 どこか嬉しそうで楽しそうな梨那の姿に、やがて乃衣は諦めたように息を吐いた。


「いや、違いますよね。わかってます。わかってはいるんです。ただちょっと、恥ずかしくて」

「ん、正直でよろしい」


 あの時の言葉は、決して「生意気な発言」で片付けられるものではなかった。

 自分の『地元に対する恩返し』と、梨那の『監督に対する恩返し』。二つの大きすぎる想いが重なって生まれた情熱だ。


 照れ臭い気持ちは確かにあった。

 だけど、それを受け止めてくれる先輩が隣にいる。ただそれだけで心が軽くなっていくのがわかった。

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