3-3 素直になれたら
「…………じゃん」
「え? あ、あの、どうしました? 先輩、さっきから様子が……」
「いや嬉しすぎるじゃんって話だよね」
「は?」
梨那はこちらを見ないままぼそりと呟く。
ファインダーを覗いたままプルプルと手元を震わせるその姿は、まるで小動物のようで。今まで見たことがないギャップのある姿に、乃衣は唖然としてしまった。
「いやぁ、ほんっとうに嬉しい。実際に自分が『ここが良い!』と思って選んだ場所をパートナーに褒められるこの快感。マジで最高だわ……」
「…………」
「あれ、どうしたのサクラちゃん。ほら、写真撮って撮って」
ようやくこちらを見たかと思えば、まるでオタクの早口のような状態で照れまくっている。そんな先輩を目の前にして、乃衣はやはり唖然としたまま声を発することすらできなかった。
――いや気持ちはわかるけども!
やっとの思いで浮かんだのはそんな突っ込みだった。
確かに梨那の気持ちはわかる。乃衣だってブーケの庭園や喫茶『猫ノ街』が褒められた時は嬉しくてたまらなかったものだ。
「……紛らわしいですよ」
「えっ、何か言った?」
「いえ、何でもないです。さ、早く撮りましょう」
思わず「大丈夫ですか?」と訊ねそうになってしまったことを思い出し、乃衣は拗ねたように唇を尖らせる。
自分でも大人げない言動をしていると思うが、心がもやもやする気持ちだって確かにあるのだから仕方がないではないか。
「ねね、サクラちゃん。もっと褒めてくれても良いんだよ?」
「何ニヤニヤしてるんですかもう褒めませんよ。というかここからの画角はもう良いですよね? もっと色んな場所から撮りますよ」
「出た、サクラちゃんの怒りの早口」
「…………早く行きますよ」
「あーごめんごめん冗談だって待ってよー」
梨那を置いてそそくさと動き出すと、焦ったような梨那の声がついて来た。
いつもの元気な彼女の声に、ひっそりと安心感を覚えている――のは、もちろん本人には内緒の話である。
花畑は夕陽が映えると尚良し、というのがアニメ制作会社からの注釈だ。
しかし現在の時刻は午後一時すぎ。夕焼け空とはまた違った清々しい陽気の中、二人は忙しなく写真撮影に勤しむ。一通り撮り終えたら喫茶店へ向かい、日が暮れてきた頃にフラワーパーク『ウィンドミル』に戻ってくる、というのがこれからの計画だ。
「はぁーあ」
「珍しいですね、ため息なんて」
「いやー……。例えばナギ部長だったらもっと余裕のあるスケジュールにするんだろうなぁって思って。ごめんね、昨日からバタバタさせちゃって」
喫茶店へと向かう途中、梨那は珍しく表情を陰らせる。
表情は至って真面目だし、声色も弱々しい。なのに当然のように放たれた「ナギ部長」によって、乃衣の思考はあっちこっちに飛び交ってしまった。
「ナギ部長って夕桐部長のことですか」
そして――最終的に「ナギ部長」への疑問が勝ってしまう。
本当は「そんなことないですよ」とか、「猫塚先輩には猫塚先輩らしいやり方があるじゃないですか」とか、励ますセリフを言いたかったのに。
あーあーあー、と乃衣は心の中で唸り声を上げる。
「そだよー。ユウ部長と悩んだんだけどね。渚って名前可愛いじゃん? だからナギ部長って呼んでんの」
「……すみません」
「え、何。サクラちゃんが謝る要素、今どこにあった?」
「いや、その……猫塚先輩が弱音を吐いているのに、話題を逸らすようなことをしてしまったので。私はもっと……」
――パートナーとして、ちゃんと先輩に寄り添いたいんです。
と言いかけて乃衣は口を噤む。
何を恥ずかしいことを、と思ってしまった。ちゃんと寄り添いたいのなら、今は頑張るべき場面なのに。一度途切れてしまった言葉は、一気に押し寄せる恥ずかしさによって完全に動きを止めてしまう。
自分はなんて情けないのだろうと思った。
「サクラちゃんってさ、ホント可愛いよね」
「な……っ」
「だって今、若干デレかけたっしょ? とか言ったらまたサクラちゃんは怒るだろうけどさ。でも、ちゃんと気持ちは伝わってるから。大丈夫」
「…………はい」
梨那の瞳がこちらを向く。
黒紅色の優しい猫目は驚くほどに乃衣の心を落ち着かせた。いつもだったら反射的に「何ですかそれ」とか「デレかけてなんてないです」と言ってしまうところだろう。
でも、梨那はしっかりと言ってくれたのだ。
ちゃんと気持ちは伝わっているから、と。
自分の想いを上手く伝えられない乃衣にとって、梨那の言葉はあまりにも頼もしいものに感じられた。
時刻は午後二時すぎ。予定通り、二人はもう一つのメインである喫茶店に辿り着いた。
その名も『
名前からしてメルヘンチックだが、驚くべきところはネーミングだけではなかった。まるで一本の大樹のような外観をしていて、鳥かごの形をしたランタンが『本と果実と魔法の館』の看板を照らしている。外観だけで言えば喫茶『猫ノ街』よりも個性に溢れていた。
「凄いですね……。いや、資料で見てたので覚悟はしてたんですが、想像以上のインパクトで」
「ね。さっきまで田舎道を歩いてたはずなのに、急に非日常的になるじゃんって感じ」
「そういう意味では、さっきの『ウィンドミル』と似てますよね」
「そだね。風ノ瀬市はメルヘンで攻めてる感じだねー……。っと、サクラちゃんもう大丈夫?」
不意に訊ねられ、乃衣は慌ててタブレット端末でからスマートフォンに持ち替える。目的地に到着したら写真撮影をする……というのが最早当たり前になってしまって、会話をしながら写真を撮るのも自然とできるようになっていた。
「サクラちゃんもそろそろこっちのカメラ使ってみる?」
「……いや、私はまだ慣れてないので。一眼レフカメラの使い方もちゃんと覚えなきゃですね」
「そんなに難しいもんじゃないよー。帰ったらあたしが教えてあげるから、大丈夫。教え方下手そうに見えると思うし実際そうなんだけど、何とかなるから!」
あたしに任せなさい、とでも言いたいように梨那は自分の胸を叩く。
彼女の自信はいったいどこから来るのだろうと思うが、それが梨那らしい頼もしさなのだろうとも思う。
「じゃあ、お願いします」
「ん、りょーかい。じゃっ、入ろっか」
彼女が軽やかな足取りで店内に入っていくのと同時に、ふわりふわりと心が揺れる。
初めて梨那とペアになると知った時、自分は彼女のことを「かなり苦手」だと宣言した。彼女のテンションについていけない時もあるし、ついつい冷たい態度を取ってしまうこともある。
じゃあ、いったいいつからなのだろうか。
そんな自分が嫌だと思い始めたのは。
梨那には二つの姿がある。先輩らしい頼もしい姿と、十代らしい未熟な姿。「ギャルっぽい先輩」の一言では片付けられないくらい、乃衣は彼女の人間らしい姿をたくさん見てきた。
弱音を吐いたり、不意に表情が陰ったり。完璧ではない彼女を見つけてしまったからこそ、乃衣は自分の性格にもやもやしてしまう。
(せめて、もっと素直になれたら良いんだけど)
そっと、梨那にバレないようにため息を吐く。
このプロジェクトで自分も何か変われたら良いな。そんな小さな希望を胸に、乃衣は梨那の背中を追いかけた。
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