3-4 微かな違和感
「ほわぁ……」
店の中に足を踏み入れるなり、乃衣はそんな間の抜けた声を漏らしてしまう。
メルヘンだということは充分わかっていたつもりだった。
でも、実際に『本と果実と魔法の館』の中へと入ると、まるで絵本の世界に迷い込んだような気分になる。
壁全体を覆い尽くす本棚に、リンゴやモモ、ブドウなどがモチーフになったテーブルと椅子。店の中央には外装とよく似た大樹のオブジェがあり、店内に枝を伸ばしている。枝にはランタンが吊るされていたり、フクロウやリスの
「テーブルと椅子がフルーツってところが山梨っぽいよねー」
「あ、た、確かに……。圧倒されすぎて気付けませんでした」
「サクラちゃん、好きなフルーツってある?」
何気なく梨那に訊ねられ、乃衣は思わず顔をしかめる。きっと、そのフルーツがモチーフの席に座ろうということだろう。
「……さくらんぼです」
一瞬だけ誤魔化そうかと悩んだが、諦めて白状する。
さくらんぼが好きなのはただの偶然なのだ。決して苗字が桜羽だからではないと、乃衣は必死に視線で訴える。
「あたしが猫好きなのと同じだねっ?」
「はは、そうですね」
遠い目になりながら、乃衣は平坦な声で返事をする。
そのままさくらんぼの席に着き、メニュー表を開いた。フルーツのフレーバーティーやパフェがたくさん並んでいる。美味しそうだ。
「え、マジ……? サクラちゃんが動揺しないなんて、成長したねぇ」
梨那が煽るようにして感動を露わにしている気がするが、単なる考えすぎだろう。無視してメニュー表と睨めっこをしていると、さくらんぼを使ったフレーバーティーとパフェと目が合ってしまった。
(お店のおすすめはブドウとモモって書いてあるけど)
どうしよう、と頭を悩ませていると、梨那が「すいませーん」と店員に声をかけた。反射的に「あっ、ちょ……っ」と言いたくなるが、きっとここで意地を張ったら無難にブドウとモモを頼んでしまうことだろう。
乃衣はぐっと堪え、梨那の様子を窺った。
「さくらんぼセット一つ。あとはー……フレーバーティーのモモと、ブドウパフェをお願いします。……あっ、そうだ。あとで店内の写真を撮らせてもらって良いですか? あーはい、そうですSNSに。ちょー映えるからテンション上がっちゃいますよぉ。はーい、ありがとうございますー」
正直、こういう時の梨那の頼もしさったらないな、と思った。
乃衣だったら、店員に注文するという行為すら若干緊張してしまうというのに。梨那はさらりと店内の撮影許可を取り、明るく会話をしている。
(って、私も先輩に頼りっぱなしじゃ駄目か)
感心してばかりじゃいられないと、乃衣は自然と背筋を伸ばす。すると何故か、思った以上のニコニコ顔の梨那と目が合った。
「な、何ですか」
「いや、あたし先輩してるなぁって思って。撮影許可を取る天才じゃない?」
「自分で言ったら台無しな気もしますが……。でも、ありがとうございます。こういう時、猫塚先輩に頼りっきりで申し訳ないです」
「いやいや、支え合ってこそのパートナーじゃん? あ、それよりサクラちゃんさくらんぼセットで良かった? 何かブドウとモモと悩んでそうだったからさぁ。全部頼んじゃった」
「……よく見てるんですね」
梨那の言葉に、乃衣は思わず目を丸くさせる。
確かに、露骨に悩んでいるポーズをしている自覚はあった。でもまさか、視線の先にあるがブドウとモモだというとまでバレるとは思わなかったのだ。
よく見ているというか目ざといというか、『先輩』の顔をしている猫塚梨那はどこまでも頼もしいと思ってしまう。
「そんなことないんだけどなぁ」
「え?」
「あたし、まだ二年目だもん。先輩らしくなろうって必死なだけ。……だから、さ」
一瞬だけ視線を俯かせてから、ゆっくりとこちらを見据える。
あくまでも軽い口調のまま、梨那は言葉を放った。
「違和感があったら遠慮なく言ってね」
――まさか、この言葉がこんなにも重くのしかかるとは思わなかった。
頬杖をつきながら、梨那はじっとこちらを見つめている。ただそれだけのことなのに、乃衣は心の奥底に眠る感情までもを覗かれたような気分になった。
違和感なんて、そんなの……あるはずがない。
(…………っ)
そう思っていたはずなのに、ちくりと胸が痛む。
「サクラちゃん、どうかした?」
「……いえ、何でもないです」
不意に訊ねられ、乃衣は反射的に首を横に振る。
あるのだ。違和感が。
これはちょっと違うのではないか、という微かな感情が。
フラワーパーク『ウィンドミル』も、『本と果実と魔法の館』も、一貫してメルヘンな印象があった。異国感漂う花畑に、まるで絵本の世界に迷い込んだような喫茶店。乃衣も梨那から資料を見せてもらった時、『花束とアンドロイド』の世界観にピッタリだと思った。アンドロイドという少し不思議な存在を包み込んでくれる風景がそこにはある、と。
実際に足を踏み入れる前は思っていたはずなのに。
今は、もう少し自然な風景の方が良いのかも、なんて思ってしまっている。
何というか、映像が喧嘩をしてしまう気がするのだ。『花束とアンドロイド』は人間×アンドロイドの恋愛ものだ。スポットライトを浴びるのはあくまでも主人公の廿楽綴とヒロインのミオリであり、自分達が任されているのは二人の感情に寄り添った風景である。
(さっき『ウィンドミル』に行った時は確かに二人の姿が浮かんだ。……だけど、喫茶店までメルヘン寄りだと、ちょっと……)
浮いてしまうような気がするし、『花束とアンドロイド』の世界観からは外れてしまうと思った。それに、喫茶店は二人が働く場所だ。作品の顔といっても過言ではない。
まるで絵本のようで、ファンタジー感があって、可愛くて、ポップで、明るくて――。そんな空間の中に、あまり感情を表に出さない二人がいる……なんて。
乃衣にはあまり想像することができなかった。
違和感があったら遠慮なく言ってね。
そう梨那から言われたはずなのに、時間だけが刻一刻と過ぎていく。
でも、これは仕方のない話だと思うのだ。まだ風ノ瀬市を全部巡った訳ではないし、だいたいもう一つの聖地候補も残っている。結論を出すのはまだ早いし、それに……。
(あぁ……。やっぱり良いなぁ)
フルーツがたっぷり乗ったパフェとフレーバーティーを嗜んだあと、二人は再びフラワーパーク『ウィンドミル』に訪れる。
夕陽に照らされた『ウィンドミル』の風景に、乃衣はそっと息を呑んだ。『花束とアンドロイド』は旅をテーマにした作品でもあるため、『ウィンドミル』の異国感はやはりピッタリだと感じる。オレンジ色に染まるチューリップ畑と風車はどことなく幻想的で、昼間よりも特別感のある光景になっていた。
(難しいな)
薄木原町と風ノ瀬市。
二つの場所を巡ってみて、乃衣は改めて思う。良い部分もあって、惜しいと感じる部分もある。どちらが良いのかと問われると、なかなか答えは出るものではないと感じていた。
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