1-8 どっちも大事なものだから
「それで、サクラちゃんのどうしても候補に入れたい場所っていうのはどこかな? サクラちゃんの言い方からして、あたし凄く期待しちゃってるよ?」
「……う」
梨那の黒紅色の瞳がキラキラと輝く。
思わず眉間にしわを寄せてしまってから、乃衣は鞄の中からタブレット端末を取り出す。梨那のように資料にまとめられていたら良かったのだが、如何せん地元の薄木原町にしようと決めたのがついさっきのことなのだ。
乃衣は「資料は間に合わなくて……すみません」と呟きながら、会社で管理されている薄木原町のページを見せる。
「薄木原町……?」
「は……は、はい……そ、そそそ、その」
焦りと緊張のあまり、乃衣は口をもごもごさせる。
だって、相手は何だかんだ先輩だ。先ほどの遣都とは訳が違う。決して「ええやん」で片付けられる問題ではないのだ。最初から地元を聖地にしたいなんて、仕事を何だと思っているのだという話で。
普通だったら、すぐに受け入れてもらえるものではない。
「花のテーマパークはそこに書いてある通りなんですけど……。喫茶店はここが気になっているんです」
言いながら、乃衣は自分のスマートフォンの画面を梨那に見せる。
そこには乃衣が高校生の頃まで毎週のように通っていた思い出の喫茶店が載っていた。いるだけでほっとするような、乃衣にとって特別な喫茶店。だけどちゃんと『花束とアンドロイド』の世界観にも合っていると思った。
「へー、すっごく良い雰囲気じゃん。こんな穴場見つけるなんて……サクラちゃん、なかなかやるねぇ」
「…………なんです」
「ん、ごめん何て? よく聞こえなかった」
「……薄木原町、なんですけど。…………私の地元、なんです」
言った。言ってしまった。
自分の地元だという事実を隠すことだってできたのだろう。
だけど隠し通すのも大変だろうし、だいたい何を思ってももう遅い。後戻りできないところまで来てしまったのだから。
「…………」
すぐには反応を見せず、梨那はただ黙ってこちらをじっと見つめている。
正直、意外な反応だった。「良いじゃん、凄いじゃん」と梨那らしい言葉を放ってくれると、きっと乃衣は心のどこかで期待していたのかも知れない。
しかし現実はそんなにも甘くはなかったようだ。
梨那はスッと目を細め、乃衣の心の奥まで見定めてくるような視線を送ってくる。
「サクラちゃん」
「……はい」
「薄木原町を推したい理由はサクラちゃんの地元だから? それとも、『花束とアンドロイド』に合った場所だから? どっち?」
咄嗟に出てきた感想は「猫塚先輩、そんな冷静な声も出せるんだ」だった。至って真面目な表情を向けてくる梨那に、乃衣は一瞬だけ現実逃避をする。
梨那に問われてドキリとしてしまう。
それは最早ただの答えだった。
どっちも。
答えはきっと、そうなってしまうのだろう。『花束とアンドロイド』の聖地を探そうとした時、徐々に乃衣の心の中ではっきりした形になったのが薄木原町だった。
だけど、乃衣の胸には「家族への恩返しのため、地元をアニメの聖地にしたい」という気持ちがずっとあって。遣都に打ち明けたらその二つが一つに溶けていった。
どちらの理由も、自分にとっては大事なものだ。
「どっちも、です」
だから乃衣は心の底からの本音を伝える。
家族への恩返しのことも、薄木原町の景色が『花束とアンドロイド』と重なることも、他の場所では納得し切れなくてもやもやしてしまうことも。
全部、薄木原町が良いと思った理由だから。
「うん、そっか。良かったよ」
「……先輩?」
「いやぁ、ごめんね。試すような言い方してさ。……でもサクラちゃんの本音が聞けて良かった。サクラちゃんはちゃんと作品のことも、自分の中にあるアニメに対する憧れも、両方大事にできる人だってわかったから」
言ってから、梨那は頭を掻きながらへらりと笑う。
そして、笑顔のまま言い放つのだ。
「つまりさ、それって偶然『花束とアンドロイド』の世界観にピッタリだったってことでしょ? 良いじゃん、やってみようよ」
――と。
心の底から嬉しそうに、楽しそうに。
梨那は自分の提案を受け入れてくれている。
ただそれだけで、乃衣の心が弾む。ようやく自分がスタートラインに立てたような気がして、乃衣も自然と微笑み返していた。
「はい、お願いします」
風ノ瀬市と浪木島と、乃衣が提案した薄木原町。
それが、乃衣と梨那の二人によって決められた候補であり、将来的に『花束とアンドロイド』の聖地になるかも知れない場所の名前だった。
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