2-5 好きだから

「ねぇ、サクラちゃん。ちょっと昔話をしても良い?」

「……のぼせない程度の長さでお願いします」

「あはは、そりゃそうだ。了解。なるべく手短に話すよ」


 一瞬だけ苦笑を覗かせてから、梨那は話し始める。

 いったい何の話なのか、乃衣にはまったく想像ができていなかった。

 だからこそ、


「あたしさ、元々は物静かな性格だったんだよね」


 という第一声から驚いてしまう。

 物静かな性格だなんて、むしろ今の梨那とは真逆なイメージだ。


 しかし梨那は淡々と語る。小学生の頃まで友達もできず、一人でいるのが当たり前だったのだと。乃衣も昔から引っ込み思案な性格ではあるが、教室で話す友達くらいはいた。……まぁ、遣都の存在のおかげで助けられていただけかも知れないが。


 だけど梨那は一人ぼっちだった。

 両親は心配していたのだというが、当の本人は特に気にした様子も見せず、平気な顔をしていたらしい。


「そんなあたしが変わったのはね、中学二年生の時だったんだ。……サクラちゃんはさ、くまお監督の『蒼色そうしょくけるぼくらのうた』ってアニメは知ってる?」

「……あ、は、はい」


 唐突に懐かしいアニメの名前を出され、乃衣は思わず間抜けな声で返事をしてしまう。

 熊岡良一郎監督の『蒼色を駆ける僕らの歌』。

 ちょうど乃衣が聖地巡礼の魅力に気付いたばかりの頃に放送されていたアニメだ。

 アニメをますます好きになった頃に観た作品だからか、乃衣の記憶の中にも深く刻まれている。熊岡監督の作品の中で一番好きといっても過言ではないのかも知れない。歌と青春の物語は当時中学生の乃衣には眩しく映り、自分の背中を押してくれるような存在でもあった。


「あたし、そのアニメを観たのがきっかけで明るくなって、友達も増えたんだ」

「……その気持ち、私も少しわかります」

「ホント? えへへ、嬉しいなぁ。サクラちゃんさ、ヒロインの女の子の髪型って覚えてる?」

「ヒロインの髪型…………あっ」


 問われて、乃衣ははっとする。『蒼色を駆ける僕らの歌』のヒロインの女の子の髪型。思い入れのある作品なのだから、乃衣もはっきりと覚えていた。


「ピンク色のツインテールですけど……まさか」

「お、サクラちゃん察しが良いねぇ。あたしのトレードマークがツインテールになったきっかけなんだよね」


 言いながら、梨那は楽しげに微笑む。

 そんな梨那の姿を見ていたら、心がぽかぽかと温かくなっていくのがわかった。ぽかぽかするのは単に温泉のせいだろうという冷静な気持ちもある。

 だけど何故だろう。聞いている自分まで嬉しくなってしまっていた。


「ツインテールにすると勇気が湧いてくる気がしてさ。それくらい、あたしにとって『蒼色を駆ける僕らの歌』は特別で、くまお監督にも感謝してるんだ」

「じゃあ……ツインテ先輩にとっても、今回のプロジェクトは特別なんですね」

「え、何々? サクラちゃんがツインテ先輩って呼んでくれるなんて珍しいじゃん。今はおだんご先輩だけどね?」

「…………」

「ごめんごめんそんな目で睨まないで」


 大袈裟に顔を背けながらも、梨那は尚も笑顔を零す――訳ではなかった。乃衣の視線から逃れた途端に、彼女は真面目な顔で口を結ぶ。

 乃衣が恐る恐る「先輩?」と訊ねると、梨那はようやく口を開いた。



「あたし、いつでも本気なつもりだけどさー。……今回ばかりは絶対に採用されたいって思ってる」



 柔らかい猫目なところも、透き通った黒紅色なのも、乃衣には見慣れた瞳のはずなのに。まるで心の真ん中に突き刺さるような衝撃を受けてしまう。


 自分だって今まで本気だったし、梨那だって先輩としての頼れる姿をたくさん見せてくれた。だからこそ、彼女の瞳から逃れられなくなっているのだろう。


「薄木原町、良いよね。猫ノ街は可愛い魅力に溢れてるし、ブーケの庭園は花畑とイルミネーションとおしゃれなレストランと……って、色んなシーンに映えそうだし。他にもデートシーンに使えそうな場所もたくさんあってさ、『花束とアンドロイド』に相応しい場所だと思う」

「……はい」


 頷く声が震える。

 自分は今、どんな表情をしているのだろう?

 真剣な顔で想いを語る梨那の姿は正直格好良いと思ってしまうし、やっぱり先輩なのだと感じる。ペアを組む前はただのギャルだと思っていたのに。むしろ今は申し訳なく感じるくらいに梨那の印象は変わっていた。


「でも、必ずしも薄木原町を選べる訳じゃないよ。あと二つ、風ノ瀬市と浪木島を巡って、本当に相応しい場所を決めたい。それが、あたしにできるくまお監督への恩返しだと思うから」

「大丈夫ですよ、先輩。気持ちは伝わりましたから」

「とか言って、声は震えてるけどね?」


 ――バレていたか。


 乃衣は口元を隠し、小さく「すみません」と零す。

 でも、だって、仕方がないではないか。

 この仕事を選ばせてくれた家族に恩返しがしたくて、薄木原町を聖地にできたらと思っていた。それが早くも叶いそうになって、遣都や梨那に「良いじゃん」と言われ、胸が高鳴って――。


 本当はわかっていたのだ。

 心のどこかに浮かれた気持ちがあって、確かな自信もある。このまま上手くいってしまうのではないか? という期待は当然のように芽生えてしまうもので、気付かないうちにその期待は膨らんでしまっていた。


「ね、サクラちゃん。あたしらって、似た者同士だよね」

「……どこが、ですか」

「えー。だって、サクラちゃんは地元に対する恩返しで、あたしは監督に対する恩返しがしたい訳じゃん。一つのプロジェクトにすっごい大きな想いを抱えてるんだよ? それって奇跡じゃない?」


 言って、梨那は自信満々に笑う。

 真面目で固められた梨那の姿はもうなかった。

 そんな簡単に「奇跡」なんて言わないで欲しい。……と、思っているはずなのに。奇跡だと笑う梨那の姿はあまりにも眩しい光に感じられて。


「確かに、奇跡かも知れないですね」


 気付けば、乃衣は素直な言葉を零していた。

 梨那としては意外な反応だったのか、ポカンと口を開けながらこちらを見つめている。彼女もそんな間抜け面を晒すこともあるんだ、と乃衣は何故か嬉しい気持ちに包まれた。


「すみません、猫塚先輩。私……奇跡に心が躍ってしまいました。だって……だってですよ。薄木原町が聖地に選ばれたら私と先輩の夢が叶う訳じゃないですか。そんなの、わくわくしない訳がないですよね?」


 馬鹿だ、と思った。

 自分は今、梨那に向かって馬鹿みたいな発言をしようとしている。


 でも、今しかないと思った。

 ここで吐き出さないと、きっと自分は『花束とアンドロイド』のためにも、自分の心のためにも、ちゃんとした行動ができなくなってしまう。

 だから乃衣は、恥ずかしくて逃げ出したい気持ちを必死に抑えて言葉を放った。


「私は地元に誇りを持っています。今日、先輩と回ってみて改めて思いました。薄木原町は『花束とアンドロイド』の聖地になれるって。……先輩の選んだ風ノ瀬市と浪木島も魅力的な場所なんですよね? 負ける気はありませんけど、でも……もし負けたらその奇跡を先輩に譲ります。だから、かかってきてくださいよ」


 言いながら、乃衣はぎこちなくニヤリと笑ってみせる。

 胸が熱いのはきっと、温泉のせいではなくて心の奥に火が灯っているからだろう。


 これは仕事だ。

 仕事だから、一番に考えなくてはいけないことは作品に相応しい場所かどうかである。でも、だからと言って自分の気持ちを隠したくはないのだ。地元が好きで、アニメが好きで、熊岡監督の作品が好きで。


 だから、絶対に負けたくはない。


「ありがと、サクラちゃん」


 梨那の黒紅色の瞳がまっすぐこちらを向く。

 乃衣の真似をするようにニヤリと笑う彼女の姿は、やっぱりどこまでも眩しかった。

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