2-6 もう一つの私
恥ずかしい。恥ずかしいったらありゃしない。
ホテルの部屋に入ってようやく一人きりになると、乃衣はすぐさまベッドにダイブする。
(何であんなにも熱くなっちゃったんだ、私……っ)
うつ伏せになって足をバタバタさせながら、心の中で叫ぶ。
何度もフラッシュバックされるのは、やはり先ほどの温泉での出来事である。
梨那が過去の自分のことを告白してくれたのはもちろん嬉しいことだ。乃衣よりもずっと熊岡監督作品への特別な想いがあることがわかったし、彼女がどれだけ本気かということもわかった。
だからこそ自分の心にも火が付いてしまって、それで……。
(何が「かかってきてくださいよ」だよ、私の馬鹿……!)
格好付けた自分のセリフが、何度も頭の中をループする。
でも、それだけ強い言葉を使わないと梨那には伝わらないと思ったのだ。確かに薄木原町には自信があるが、最終的にはちゃんと作品のことを考えた選択をしたい。そんな気持ちを梨那に伝えたくて、ついつい熱くなってしまった。
「あーあーあー」
呻き声を上げながらベッドの上をごろごろする。
その姿はさながら、意中の男子にスマホで告白してしまった中高生のようだ。自分はもう社会人なのだからもっとしっかりしたいのだが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだから仕方がない。
「さっさと寝ちゃった方が良いんだろうけど……。うーん」
乃衣はむくりと起き上がり、ベッドサイドの時計に目を向ける。
時刻は午後九時すぎ。まだ寝るような時間ではない気もするが、明日も朝早くから移動しなければいけない。食事と温泉も済ませているし、あとは着替えて歯を磨いて寝るだけだ。
しかし、
「…………ちょっとくらい、気分転換しても良いよね」
まるで言い訳をするように乃衣は呟き、スマートフォンを手に取る。
今日撮った写真を整理するほどの心の余裕はない。だからこれは本当にただの気分転換だ。旅行中はずっと仕事モードでいるつもりでいたが、今ばかりは許して欲しい。……YouTubeを観ることを。
「あ、コメント結構来てる」
遠征中も動画チェックをすることなど、普通の話だとは思う。でも、乃衣はただの視聴者ではない。
というよりも、投稿者側の人間なのだ。
主にゲーム配信をしているYouTuberで、チャンネル登録者数は五千人を超えている。
――これが、誰にも打ち明けたことがない桜羽乃衣のもう一つの姿だった。
「あー、タイムスタンプ助かる……。ん、おすすめゲーム挙げてくれてる人がいる。メモっておかなきゃ」
生配信のアーカイブのコメント欄を眺めながら、乃衣はぶつくさと独り言を零す。ここが面白い。ここの場面の反応が好き。はねちゃんの実況きっかけでゲーム買っちゃいました。
一つひとつのコメントに「いいね」を付けながら、自分の表情がだんだんととろけていくのを感じる。
YouTuberとしての活動を始めたのは今から約一年前、高校三年生の時のこと。その頃の乃衣は、ちょうど『未来聖地巡礼案内所』の面接を前にして悩んでいた時期だった。
乃衣は昔からネガティブで、自分に自信がなくて、コミュ力もなくて……。いくら聖地巡礼が好きでも、このままではその想いを面接で伝えられる訳がないと思っていた。
だから、始めは荒療治としてYouTuberを始めたのだ。
アニメや聖地巡礼と同じように、乃衣はゲームも好きだった。自分の好きなものを通じてなら、もしかしたらコミュ力が上がるかも知れない。そんな淡い期待を胸に始めたのだが、視聴者の皆とわいわいしながらゲームをするのが楽しくて、いつの間にかのめり込んでしまっていた。
ちなみに、ファンが言うには「可愛い声と時々毒を吐くスタイルが魅力」らしい。可愛い声も毒を吐くこともまったく自覚がなくて、最初は衝撃を受けたのを覚えている。
「でもねぇ……はねちゃん。『朔野はね』と『桜羽乃衣』はまったくの別人格なんだよ」
やがて乃衣は自虐的な呟きを漏らす。
単に梨那や遣都のコミュ力が異常なだけなのかも知れない。
しかし、それにしたって自分のコミュニケーション能力が変わらなすぎるのだ。強いて言えば『未来聖地巡礼案内所』の面接が上手くいったくらいだろうか。緊張しながらも聖地巡礼への想いを告げられたから今の自分が存在しているが、根本的な部分は何も変わっていない。
「…………」
そう、何も変わっていないのだ。
アニメの世界に憧れていることも。
アニメと現実を繋ぐ聖地巡礼が特別な存在であることも。
ゲームで皆と「楽しい」を共有することも。
全部、自分の中にある好きが形になったものだ。
アニメもそう。聖地巡礼もそう。ゲーム配信もそう。
どれも現実世界とは少し外れたわくわくがあって、その中に入り込むのが自分にとっての生きる意味といっても過言ではない。
「私……。恥ずかしいけど、でも……すっごくわくわくしてるんだ」
服の胸元をぎゅっと掴みながら、乃衣はぽつりと心の奥底に隠れていた本音を零す。
たくさんの夢を乗せたプロジェクトが目の前にあって、全力で立ち向かうことができる。自信があるから怖さもあって、だけど隣には同じくらいに強い想いを抱えたパートナーもいて、それで……。
恥ずかしいと何度も思ってしまうほどに、二人で突っ走ることができている。
「気分転換はそろそろ良いかな。明日も移動多いし、早く寝なきゃ」
自分自身に言い聞かせるように独り言を吐いてから、乃衣は伸びをする。
気のせいかも知れないが、自分の顔が赤らんでいるような感覚があった。どうやら乃衣は自分でも呆れてしまうくらいに照れやすい性格のようだ。
きっと、この場に梨那がいたら「サクラちゃん顔真っ赤」とからかわれてしまうことだろう。
(もっとクールになれると良いんだけどな)
なかなかに無謀な願望を頭に浮かべながら、一人苦笑を零す。やがて自虐するようにため息を吐いてから、乃衣はようやく寝支度を始めるのであった。
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