第三章 不器用な私達

3-1 ずるい

 翌日。

 今日から二日間は、山梨県の風ノ瀬市を巡っていく。


 まずは名古屋まで高速バスで向かい、それからまた高速バスで山梨まで向かうことになっている。

 つまり、午前中はほぼほぼバス移動で費やしてしまうということだ。


「サクラちゃん、おはよ。よく眠れた?」

「おはようございます。……いえ、ベッドに入っても目が冴えてしまって、なかなか」

「そっかそっか。あたしも同じような感じだよー。眠かったら無理せずバスの中で寝ちゃえば良いからね」

「……はい、そうします」


 時刻は早朝六時。

 ホテルのロビーで落ち合うと、そこにはいつもよりローテンションな様子の梨那がいた。自分も人のことは言えないが、朝に弱いタイプなのだろうか?


 とはいえいつも通りメイクはばっちりだし、オフショルダーのギンガムチェックのワンピースも華麗に着こなしている。

 ツインテールを彩る白いリボンも相まって、まるでこれからデートの予定がある女子みたいだ。昨日も思ったことだが、黒Tシャツとカーゴパンツ姿の自分とは華やかさが大違いだった。


「何々? どうしたの、あたしに見惚れちゃった?」

「いや、その……私にはそんな女の子っぽい恰好はできないので、つい」


 小さく「すみません」と謝りながら、乃衣は視線を逸らす。

 いつも以上に梨那の目が見られないのは、きっと昨日の「かかってきてくださいよ」事件のせいなのだろう。仕事に対する熱の中に微かに混ざる恥ずかしい気持ちは、一晩明けてもまだ誤魔化し切れないようだ。


「えー、そう? ボーイッシュな恰好が似合うのも、サクラちゃんの魅力だと思うけどなぁ。スカートも絶対似合うと思うけど」

「やめてください絶対に似合いませんから」

「ごめんごめん、冗談だよ。って、バスの時間もあるしそろそろ行かないと」

「え。あ、はい、行きましょう」


 てっきり、「照れちゃってもー、かわいーんだからぁ」くらいのことは言われると思っていた。乃衣にとっては予想外の反応で、思わず呆気に取られてしまう。


(猫塚先輩も、それだけ気合いが入ってるってことなのかな)


 昨日の薄木原町とは違い、今日の風ノ瀬市は梨那が推している場所だ。

 予定表はあるものの、梨那の頭の中には様々な思惑が詰め込まれているのかも知れない。


 ――あたし、いつでも本気なつもりだけどさー。……今回ばかりは絶対に採用されたいって思ってる。


 昨日の梨那の言葉が脳裏に浮かぶ。

 もしかしたら、昨日の温泉での出来事がきっかけで梨那のスイッチも切り替わったのかも知れない。

 ピンクアッシュのツインテールを揺らしながら前を進む梨那を見つめながら、乃衣はひっそりと彼女の覚悟を受け取っていた。



 ***



「着いた、名古屋!」


 バスに揺られること四十五分。

 名古屋に到着するなり、梨那はテンション高めに両手を広げる。まるで小学生のようなウキウキ具合に、乃衣は呆れるどころか周りの目を気にしてしまった。


「ちょっと先輩、恥ずかしいのでやめてください」

「あー、ごめんごめん。やっと朝ご飯が食べられると思ったらテンション上がっちゃって」

「……やっぱりモーニングに行く感じですか?」

「そりゃそうだよ。せっかく名古屋に寄ってるんだもん。ってか予定表に書いてなかった? んーと……あっ、書き忘れてたわ」


 予定表をペラペラと揺らしながら、梨那はちろりと舌を覗かせる。

 これはドジっ子アピールなのか、無自覚にギャル感が前に出ているだけなのか。いったいどっちなのだろう。……いやまぁ、梨那にあざとさを感じたことはないため後者なのだろうが。


「朝はやっぱり小倉トーストとゆで卵を食べなきゃ始まんないっしょ」

「いや、私も三重なのでなんとなく気持ちはわかりますけど……。先輩って名古屋出身でしたっけ?」

「ん、東京だよー。でも名古屋はこれで三回目だから。一回目が家族旅行で、二回目が仕事で、三回目が今!」


 言って、梨那はいぇいとピースサインを向ける。

 まるで「すごいでしょー」とでも言いたげだが、名古屋は乃衣の方が馴染み深い場所だった。アニメの聖地になっている場所も多く、乃衣も気軽に聖地巡礼できる場所としてよく来たものだ。


「何か凄いマウント取られてる気がするんだけど……。サクラちゃんの顔にマウントって書いてあるもん」

「はあ。変なこと言ってないで早く行きますよ」

「サクラちゃん、随分と涼しい顔するね? まぁ、わりといつも通りだけど」

「……私、何かディスられてます?」


 思わずジト目で梨那を見つめると、梨那はまったく吹けていない口笛を披露しながら視線を逸らす。

 真面目だったりテンションが高かったり、相変わらずこの先輩はよくわからない。だけど一つだけ、はっきりと言えることがあった。


(本当にちゃんとバスの中で寝てたな、先輩……)


 バスに乗る前は珍しくローテンションだったはずのに、今はいつにも増してノリノリな梨那の姿がある。「眠かったら無理せずバスの中で寝ちゃえば良いからね」と先ほど梨那は言っていたが、まるで見本を見せるようにぐっすりと眠っていたのだ。


「次のバスでは私もちゃんと寝なきゃな……」


 喫茶店へと向かう道すがら、乃衣はぼそりと心の声を漏らす。

 すると、透かさず梨那に「そうしなよー」と言われてしまった。喧騒にかき消されるほどの微かな呟きだったはずなのに、梨那は目ざとく乃衣を気にかけてくれたのだ。


(……はあ。ずるいなぁ)


 悔しい、ではなく、ずるい。

 乃衣の心には、そっと新たな感情が芽生え始めるのであった。

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