第五章 私達を繋ぐ場所
5-1 大丈夫
プレゼンとは、プレゼンテーションの略である。
英語で「表現、提示、紹介」という意味で、売り込みたい企画やテーマを説明する情報伝達手段の一種だ。乃衣達はプロジェクターを用いてモニターに資料を映しながらプレゼンを行なうことになる。の、だが……。
(正直まったくプレゼンのこと考えてなかった……)
乃衣は元々引っ込み思案だった。
学生時代も何かを発表するという時間は酷く苦手で、早く終われという一心で早口になってしまうことが多い。当時はそれでも「頑張ったねー」と言われていたが、社会人となるとそうもいかないのが現実だ。
だって、これは自分の想いだけが懸かっている訳ではない。
自分と梨那に加えて、浪木島の人達の期待までもを背負っている。考えれば考えるほどに口から泡が出そうになるくらいのプレッシャーだ。
だけど決戦の日はあっという間に訪れてしまった。
――『花束とアンドロイド』。
監督・熊岡良一郎、制作・『スタジオプリムラ』による、TVシリーズとして放映予定のオリジナルアニメーション。
その聖地を決める大事なプレゼンが幕を開けようとしていた。
「乃衣ちゃん、大丈夫?」
「先輩こそ、いつもより瞬きが多いですよ」
「ありゃ、バレちゃったかー。そりゃあまぁ……ねぇ」
思い切り苦笑を浮かべながら、梨那は挙動不審に辺りをきょろきょろと見回す。
乃衣達が今いるのは『未来聖地巡礼案内所』ではなく『スタジオプリムラ』の会議室だ。『花束とアンドロイド』の未来の聖地を紹介するのはアニメ部門の十組。わかり切っていたことだったが、今回の案件はとてつもなく大きなものだと改めて感じてしまった。会議室もだだっ広いし、否が応でもピリピリとした緊張感が漂ってしまう。
自分達だって確かな自信はある。
だけど先輩に囲まれた中で選ばれるかどうかはわからない。
(って、結局弱気になってるじゃん私……)
乃衣は一人渋い表情になる。
改めて会議室に勢揃いした先輩達に視線を向けてみると、自分達が如何にペーペーの新人なのかを感じてしまった。
緊張する素振りも見せず、資料に目を通したり、穏やか談笑していたり。乃衣には全員が余裕の表情をしているように見えてしまう。
それに、ライバルは何も先輩達だけではないのだ。
「おう。えらい緊張してるやないか」
わざわざ乃衣と梨那が座る席に近寄り、遣都が声をかけてくる。
ミディアムシルバーの髪は相変わらずチャラチャラとした印象があるが、今日は流石に左耳のピアスは外しているようだ。いつもの調子でへらりと笑う彼に、乃衣は少しだけ安堵感を覚える。
「遣都はちょっと落ち着きすぎじゃない?」
「まっ、俺には夕桐部長がいるからな」
「……私にだって猫塚先輩がいるけど」
確かに渚は頼もしいことだろう。
しかし何故か張り合いたくなった乃衣はちらりと梨那を見つめる。しかし、梨那はモニターに映る「オリジナルTVアニメーション『花束とアンドロイド』聖地巡礼プロジェクト」の文字を見つめ続けたまま身動きを取らなかった。どうやら乃衣の視線にも気付いていないようだ。
「先輩? もしかして、梨那先輩って呼ばないと反応しないっていう面倒臭いあれですか?」
「……ん、ごめん。あたしのこと呼んでた? ちょっとぼーっとしてて」
「…………いや、何でもないです」
乃衣が冗談半分に放った『梨那先輩』にも気付いていない梨那を見て、乃衣は自分の頬が熱くなるのを感じる。
「ほぉー」
「ほぉーじゃないよ変な目でこっち見んな」
「いや、ほんまに仲良くなったんやなーと思うてな」
「その感想は心の中だけに留めておいて欲しいんだけど」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを向けてくる遣都を睨み付けてから、乃衣は小さくため息を吐く。もしかしたら遣都は乃衣の緊張を解しに来てくれたのかも知れない。それは素直にありがたいと思うし、だいたい『梨那先輩』と呼んで恥ずかしくなったのは単なる自業自得だ。
乃衣はわざとらしく咳払いをして無理矢理空気を変える。
「まぁ、その、ありが……とう。緊張は解れてきたと思うから」
「お、なんやなんや。俺の優しさに気付いてくれるなんて珍しいやん?」
「うっさいなぁもう。遣都といると気が抜け過ぎちゃうんだってば。ほら、夕桐部長のところに行った行った」
「あー、そやな。そろそろ気を引き締めないかんな」
緩んだ表情を一瞬で真面目なものへと変えてから、遣都は右手をひらりと振って自分の席へと戻っていく。
するとすぐにまた沈黙が訪れてしまった。
遣都のおかげで心は落ち着いてきたはずなのに、何かがおかしい。遣都が一瞬見せた真剣な表情が良い意味で空気を変えてしまったかのようだった。
「先輩」
さっきからずっと梨那は落ち着かない様子だった。
遣都と話していた時もどこか上の空で、どこからどう見ても緊張の文字が浮かび上がっている。
梨那が『未来聖地巡礼案内所』で働き始めて一年ちょっと。
もしかしたら、彼女の中で今日が一番特別な日なのかも知れない。
「私達なら大丈夫です」
はっきりと今の気持ちを伝えながら、乃衣はそっと彼女の手を取る。
「あ……」
大きく見開く黒紅色の猫目。
ぎゅっと握り返してくる力強い手。
「うん、そうだね。あたし達なら大丈夫だ」
始めはポカンとしていた口元も、やがて八重歯が覗くほどにつり上がる。
そうだ。そうだった。
乃衣はずっと彼女の笑顔に背中を押されてきたのだ。そして今は、梨那の背中を押せているのだと当たり前のように思える自分がいる。
――大丈夫。
その言葉は決して重いものではなく、自信となって二人の心に溶けていった。
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