5-2 私達の寄り添い方
午前十時。
ついに『花束とアンドロイド』の聖地を決めるプレゼンが始まった。
会議室にはプロデューサー、チーフマネージャー、美術監督、背景デザイナー、脚本家、アニメーターが勢揃いしていて、乃衣も知っている名前も人も多い。
ついつい「ひえぇ」と心の中で悲鳴を上げてしまいそうになるが、
「『未来聖地巡礼案内所』の皆様、この度はご足労いただき誠にありがとうございます。『花束とアンドロイド』の監督をさせていただいております、熊岡良一郎と申します」
深々とお辞儀をしてから、熊岡監督はにこやかな笑みを向ける。
黒髪の刈り上げソフトモヒカンに、大きくてガタイの良い身体付き。目尻が下がっていて優しい印象があり、「くまお監督」や「くまさん」と呼ばれているのも納得の穏やかさに溢れた人だと思った。
(猫塚先輩、嬉しそうだな)
熊岡監督を前にして梨那の緊張が復活したらどうしようという懸念はあった。しかし彼女の瞳はキラキラ、顔はテカテカと輝いていて、どこからどう見ても会えた喜びが前に出ているのが丸わかりだ。
思わず微笑ましい気持ちに包まれてから、乃衣はいけないいけないと気を引き締める。
プレゼンの順番はくじ引きで決まり、乃衣達は後ろから二番目だった。
乃衣としては序盤の方が気は楽だったのだが、まぁ大トリじゃないだけマシだろう。ちなみに大トリは渚と遣都ペアだ。くじを引いた途端は遣都が頭を抱えていたが、逆に渚は得意げな笑みを浮かべていた。ラストの方が記憶に残りやすいのかも知れないし、プレゼンの経験が豊富な渚にとってはむしろ望んでいた展開だったのだろう。
(そりゃあ、遣都も緊張していられないよね)
頼もしい先輩が隣にいてくれている。
自分もそう。遣都もそう。だったら自分達の条件は同じだ。だからこそ負けられないのだと、乃衣はそっと笑みを浮かべていた。
こうしてプレゼンの幕が上がる。
発表される聖地候補はどこも知名度が低くて魅力的な場所ばかりだった。ノスタルジックな古民家カフェに、おしゃれな紅茶専門店。一階部分が喫茶店になったアパートもあれば、実際にAIロボットが接客をする喫茶店なんていうのもあった。
(確かに今風なカフェでもアニメ映えはするのかも)
喫茶店と言えば、島カフェ『キンセンカ』や喫茶『猫ノ街』のような古き良きイメージが乃衣の中では強かった。しかし、アンティークな洋館スタイルだったり、昔懐かしい趣を感じる和喫茶だったり。単に乃衣が思い付かなかっただけで、考えれば考えるほどに無限の可能性があるのだと感じた。
そしてそれは、喫茶店だけではなく花畑でも同じだ。
ネモフィラ畑だったり、庭園の中に色とりどりの花畑があったり、まるでシャワーのような藤のトンネルだったり。喫茶店よりは有名なスポットが多い印象だが、花の種類も魅せ方も何もかもが違っていて見ているだけで楽しい。
加えて、視聴者が知っている場所だと「こんな重要なシーンにあの場所が……!」という感動もあるのだろう。聖地が地元の人でも改めて足を運ぶきっかけにもなるかも知れない。
(先輩達、凄いなぁ)
率直な感想が頭に浮かぶ。
誰かにとっては日常的な風景でも、アニメに寄り添うことでまったく別の光景に変えることだってできる。先輩達のプレゼンにはそんな想いが詰まっていた。
だから、今度は自分達の番だ。
八組目の発表が終わり、乃衣は拍手をしながら梨那と視線を合わせる。
高い位置で結ばれたピンクアッシュのツインテール。黒紅色の猫目に、白い肌。いつもよりメイクはナチュラルで、ネイルもしてなくて、スーツの胸元も開けていない。
だけど乃衣は知っている。
彼女に対してギャルっぽさをそれほど感じなくなったのは、プレゼンの緊張感だけが原因ではないことを。
「乃衣ちゃん、伝えに行こっか。あたし達の寄り添い方を」
「はい」
ひそひそ声で宣言する梨那に、乃衣はじっと目を合わせながら頷く。
ただそれだけで力が湧いてくるのは、気付けば乃衣にとっての当たり前になっていた。
「続いてご紹介させていただくのは桜羽乃衣と」
「猫塚梨那です。私は入社二年目で、桜羽さんは一年目。まだまだ新人ではあるのですが、私達らしい観点で作品に寄り添わせていただきました。よろしくお願いいたします」
スクリーン横に立ち、ゆっくりと深く一礼する。
顔を上げると熊岡監督を始めとした『スタジオプリムラ』の人達と、『未来聖地巡礼案内所』の戦友達の視線が一斉に突き刺さる――ような錯覚に陥ってしまった。
きっと、今が緊張のピークなのだろう。ここで言葉を詰まらせてしまったら今までの努力が水の泡だ。
(ごめん、遣都)
申し訳ないし恥ずかしくもあるが、ここは幼馴染を頼らせてもらうことにしよう。乃衣は恐る恐る遣都と視線を合わせる。するとすぐに乃衣の状態を察したのか、じっと乃衣を見つめながら力強く頷いてくれた。
(ありがとう……本当に助かる)
幼馴染だけどライバルで、だけど同じ夢を見つめる仲間でもある。
そんな彼の存在に感謝しつつ、乃衣は梨那とアイコンタクトを交わした。
「それではスクリーンをご覧ください。私達がご紹介させていただくのは浪木島になります。瀬戸内海中部に浮かぶ島で、猫の島としても有名です」
浪木島の大きな魅力の一つとして、まずは島猫の紹介から始める。『花束とアンドロイド』とは直接関係のない部分だが、第一印象としては譲れないところだろう。
「先ほども名乗りましたが、私の名前は猫塚梨那なんですよ。私にピッタリな島ですよね!」
スクリーンいっぱいに映し出された島猫の写真と、何故か得意げに胸を張る梨那。猫の癒し効果もあってか、ピリリとしていたはずの会議室の空気が和やかになったような気がした。
「『花束とアンドロイド』は人間とアンドロイドの恋模様を描いた作品だと思います。ですが、人間でもアンドロイドでもない存在が物語の一部にあっても良いと思うんです。アクセントと言いますか、綴とミオリが心を開くきっかけの一つになればと思いまして」
マイクを握り締めながら、乃衣は密かに熊岡監督の表情を窺う。
猫は浪木島の魅力であるものの、不安要素の一つでもあった。依頼の中に『猫』の文字はまったくなくて、「物語のアクセントにして欲しい」というのは完全なる乃衣達の独断だ。ここで熊岡監督に解釈の違いを感じられてしまったらと思うと心が震える。
(…………っ!)
しかし乃衣は気付くことができた。熊岡監督がどこか驚いたような視線をこちらに向けているということに。
(感心してくれて……る?)
確証はない。
だけど、いつも柔和な雰囲気のある熊岡監督の表情が変わったのだ。少なくとも不満の色も感じられないし、監督の心に響いた可能性もある。
(って、それは楽観的すぎるか)
乃衣は心の中で苦笑を浮かべる。
だいたい、まだ喫茶店も花畑も紹介していないのだ。むしろここからが本番だといっても過言ではない。
「でも、浪木島の魅力は島猫だけではないんです」
スクリーンは次のスライドに移る。
斜面に民家が連なる浪木島の外観。どこか懐かしいような田舎の風景。迷路のように入り組んだ路地。住宅街に紛れたアート作品。不思議で、独特で、神秘的な雰囲気のある浪木島の風景を一つ一つ丁寧に伝えていく。
図書館や銭湯、『猫とわたしの居間』など、隠れ家的なスポットが連なる中で島カフェ『キンセンカ』の紹介をする。
島自体が心惹かれる空間だからこそ、シンプルで素朴な喫茶店が映えるのだと。乃衣が感じた気持ちをそのまま説明すると、納得したように頷いてくれる人もいて乃衣は小さく口角を上げていた。
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