4-6 次は別の形で

「乃衣ちゃん……」

「もう、何ですかその顔は。今は笑っていてくださいよ。嬉しいんですよね? わかりますよ。だって私も凄く嬉しいんですから」

「…………ありがとう」


 囁くように梨那が呟く。

 状況が状況だから仕方ないが、しおらしい彼女の姿には調子がくるってしまう。

 つい気恥ずかしくて頬を掻きながら視線を逸らしてしまうが、これではいけないと必死に梨那の瞳を見つめる。


「私、思うんです。地元を聖地にするって夢が叶わなくて良かったって。初めてプロジェクトに参加して、『展望のキンセンカ畑』に辿り着いて、私はやっとスタートラインに立てたって思いました。この仕事に明確な正解なんてなくて、試行錯誤を繰り返すからこそ嬉しい瞬間があって。地元が聖地になるなんて、相当の奇跡が起こらなきゃ無理だって思うんですよ」


 鼓動が速い。

 キンセンカ畑も、夕陽も、海も、梨那の瞳も、すべてが眩しい。


 悔しいという気持ちがこんなにも自分の胸を熱くさせるなんて知らなかった。掴みかけた夢が遠ざかって、本当は辛くて悲しい気持ちもあるはずなのに。

 心の真ん中にはネガティブな思考を覆い隠すほどの希望が灯っている。


「薄木原町をアニメの聖地にするのは、たくさんある夢のうちの一つで良いんだって。私、ようやく気付くことができました」


 乃衣の心にはずっと小さな罪悪感が眠っていた。

 上の姉は小学教師、下の姉は大学生。自分だけ趣味の延長線のような道に進んでいて、地元を聖地にすることで家族への恩返しができたらと思っていた。


 だけど違う。『未来聖地巡礼案内所』は決して趣味の延長線上にあるものではない。

 今はそう、胸を張って言える自分の姿がある。


「乃衣ちゃん」

「な、何ですか。小っ恥ずかしいことを言ってるって思ってるんですか」

「別にいーじゃん? 恥ずかしくったって。今はそういうのが必要な時間なんだよ」

「……いや、違いますよ」


 夕陽のせいなのか何なのか、梨那の頬は茜色に染まっているかのように見える。

 気持ちが高ぶっているのは自分だけではないとだと感じると嬉しくてたまらないが、乃衣は不意にはっとした。慌ててタブレット端末を取り出し、くわっとした瞳で梨那に訴える。


「今は写真を撮らなきゃいけない時間です!」

「んえぁっ」


 様々な感情が駆け巡ってついぼーっと景色を眺めてしまうが、この素晴らしい光景をまだ写真に収めてすらいないのだ。乃衣に言われてようやく気付いたらしい梨那は珍しくよくわからない擬音を漏らす。


「やばいじゃん。写真も撮らなきゃだし、だいたい高松で泊めてもらう予定だった叔母さんにも連絡しなきゃだし……! 全然余韻に浸ってる場合じゃなかったねっ?」

「そうですよ。この場所の魅力をちゃんとプレゼンで伝えなくちゃいけないんですから。仕事モードに戻りましょう!」

「今までも仕事モードだけどね?」

「それは……まぁ、そうかも知れませんけど。ほら、良いから撮りますよ」

「はぁーい」


 やりたいこと。やらなくてはいけないこと。

 どちらも一気に押し寄せてきて目が回りそうだ。

 なのに梨那の先輩らしくない姿が変に心地良くて、気を抜くとへらへらとした笑みが零れ落ちてしまう。


「乃衣ちゃん、楽しそうだね」

「それは先輩もですよね?」

「まぁね」


 カメラを構えたまま、梨那は温かな本音を漏らす。

 その横顔はどこまでも眩しくて。乃衣はそっと、梨那に気付かれぬようにスマートフォンのシャッターを切る。


 今この時、この瞬間。

 自分にとって一生の思い出になるのだろうと乃衣は笑っていた。



 思う存分キンセンカ畑の撮影をした二人は、予定通り『猫とわたしの居間』へと向かう。フェリーの最終便の時間はとっくに過ぎていて、最初は栗原さんも驚いた様子で出迎えてくれた。しかし、栗原さんは二人がここに来た意図を察してくれたようだ。


「やっぱり泊っていきますか?」


 と優しい笑顔で提案してくれて、乃衣は梨那とともに照れ笑いをしながら頷く。

 じわりと胸が温かくなるのは、きっと栗原さんの優しさだけが理由ではないのだろう。まだ浪木島に滞在できるのが嬉しくて、つい心が弾んでしまっていた。



 自分達は浪木島で挑みたい。



 オリジナルTVアニメーション『花束とアンドロイド』聖地巡礼プロジェクト。

 乃衣にとって初めてのプロジェクトへの参加で、薄木原町を聖地にできるかもという浮かれた気持ちもあって。


 そんな様々な想いが、たった今一つになった。

 梨那と改めて巡ってきた写真を見返して、自然とアイコンタクトを交わす。梨那が「ここが良いんだって本能が騒ぎ出すの」と言ったのも、乃衣が「浪木島にしましょうか」と宣言したのも。決して感情に流された訳ではなく、心から『花束とアンドロイド』の聖地にしたいと思える場所だと思ったから放たれた言葉だ。


 だから、自分達がプレゼンで発表するのは浪木島だ。

 そうと決まれば浪木島側にもプロジェクトの説明、取材をする必要がある。本来であれば取材はリモートで行うことが多いのだが、せっかく顔を合わせて話ができるチャンスなのだ。ここは直接取材をしてしまうべきだろう。


「あたし、取材しちゃって良いかナギ部長に聞いてみるね」

「はい。私は写真を整理しておきます」

「ん、よろしく」


 バタバタと慌ただしく時間が動き始める。

 二人で銭湯に行ったり、和室に仲良く並んだ布団を見て「ラブコメみたい!」と騒いでみたり。栗原さんに「泊っていきますか?」と言われてからの時間は、旅行ならではのわくわく感もあったはずだ。

 なのに『花束とアンドロイド』のプロジェクトのために動き出すや否や、旅行の楽しさを上回る高揚感が湧くのだから不思議だった。



 翌日。

 渚の了承を得た二人は浪木島の区長にプロジェクトの説明、取材を行う。

 浪木島の歴史や文化はもちろんのこと、『展望のキンセンカ畑』や島カフェ『キンセンカ』、島猫についても栗原さんから改めて話を聞くことができた。


「いやぁ、お二人は『未来聖地巡礼案内所』の方だったんですね。娘がアニメ好きなので、浪木島が聖地になれば喜びますよ」

「あー、そうなんですね。でもまだ候補に挙がったというだけなので……」

「それでも、少なくともお二人は浪木島に魅力を感じてくださったということですよね。それはとても嬉しいことです」

「……ありがとうございます」


 帰り際、フェリー乗り場まで見送りにきてくれた栗原さんにお辞儀をする。

 栗原さんを始め、浪木島の人達は心優しい人ばかりだ。その優しさに通じる何かが『花束とアンドロイド』にもあると良いなと願いつつ、乃衣は浪木島を見渡す。



 ――次は別の形で会おう。



 アニメの風景として描かれる浪木島を想像しながら、乃衣は大きな決意を胸に抱いていた。

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