1-5 後悔だけはしたくない
「遣都も好きなんだっけ。『スタジオプリムラ』」
「もちろんプリムラも好きだけど、どっちかっつーと……くまお監督にテンションが上がってる感じだな」
「あー、うん。私もそんな感じ。アニメ監督と言えばって印象あるもん」
遣都の言う『くまお監督』とは監督・熊岡良一郎の愛称だ。
親しい関係者からは「くまさん」とも呼ばれているらしいのだが、流石に監督をくまさん呼ばわりはできないな、と思っている。
「ねぇ、遣都って馬鹿じゃん」
「あ?」
「やめて開眼しないで突然の強キャラ感出さないでエセ関西弁に戻って」
「ほいでほいで? 馬鹿じゃんの続きは何なんや?」
「本当に戻るじゃん相変わらず目は怖いけど。……あー、ええっとぉ、つまりその」
珍しく強キャラ感漂う遣都の視線から逃げながらも、乃衣は必死に言葉を紡ぐ。
遣都は馬鹿だ。
馬鹿が付くほど底抜けに明るくて、何ごとも楽しんでトライすることができる人だと思っている。古い付き合いの幼馴染を褒めるのは小っ恥ずかしさがあるが、そこが遣都の魅力だと思うのだ。
「だから、思い切り馬鹿になっちゃえば良いと思う。そうすることで開かれる道があるのがこの仕事だって思うから」
言いながら、乃衣はそっと苦笑を浮かべる。
まるで自分自身にも言い聞かせているようだな、と思った。乃衣だって「難しいぃ」と頭を抱えていたのだ。こんな自分のアドバイスが、果たして遣都のためになるのか――なんて。
(あ……)
どうやら、考えるまでもなかったようだ。
「はー。やっぱり持つべきものは幼馴染やな」
大きく伸びをしながら、遣都は満面の笑みを零す。
思わず乃衣は「もう吹っ切れたのか、単純だな」なんて思ってしまう。それくらい、遣都の表情はいつも通りの輝きを取り戻しているように見えた。
「何それ、どういう意味?」
小っ恥ずかしい気持ちが止まらなくて、乃衣は大袈裟に肩をすくめてみせる。
すると膝上の弁当箱がバランスを崩してしまい、危うく半分ほど残ったおかずをぶちまけそうになってしまった。
「相変わらずドジやな」
と笑う遣都の姿は、やはり普段通りに見える。
「まぁその、あれや。俺にとっても初めての大きな仕事やし、ペアの相手が夕桐部長っていうのもあって妙なプレッシャーを感じてたんやろな。馬鹿になれば良いって発想が出てこないくらいには参ってたみたいやわ」
「そっか。……ま、まあ? 遣都に対して馬鹿なんて言えるのは私くらいなものだし? もっと褒めてくれても良いんだよー……なんて」
どうやら乃衣のアドバイスは成功したようだ。
内心ほっとしながらも、乃衣は更に空気を明るくしようとおどけてみせる。しかし、
「おう。ありがとうな、乃衣」
「へっ? あ、う、うん。……こちら、こそ」
まさか遣都が素直にお礼を言ってくるとは思わなかった。乃衣は不意打ちを食らったように動揺を露わにし、視線をあっちこっちに動かす。
「こういう反応は可愛いよなぁ。普段からもっとデレを増やせばええのに」
「うっさい馬鹿」
「えーよえーよ、馬鹿は俺にとっちゃあ褒め言葉でしかないからな」
言いながら、遣都は心の底から楽しそうな笑みを零す。
確かに「馬鹿が付くほどに明るい」は褒め言葉かも知れないが、「馬鹿」単体に喜び始めているのは果たして大丈夫なのだろうか。
若干引きながら、乃衣はジト目を向ける。
「まぁまぁ、そんな顔すんなや。本当に乃衣には感謝してるんやから。……後悔だけはしたくないっていうのが、俺もモットーやからな」
「…………っ」
はっと息を呑む。
ジト目だった視線は地面へと向かい、きゅっと唇を結ぶ。
――後悔だけはしたくない。
その言葉が遣都にとってどれだけ大きなものなのか。幼馴染である乃衣は知っている。
あれは確か、乃衣と遣都が小学五年生の時だったか。
遣都には
それ以来だったのだ。
遣都が底抜けに明るくなったのは。
チャラチャラとしているように見えて家族を何よりも大切にしているし、やりたいと思ったことは迷わずやるし、気になった人には声をかける。
彼がコテコテのエセ関西弁で話すようになったのも、ポジティブな人間になりたいという延長線なのだという。
後悔という言葉をなるべく減らしていけるような人生を送りたい。
それが宇江原遣都の座右の銘だった。
「で、乃衣の後悔は何なんや?」
「えっ、いやまだ後悔にはなってないけど」
「でもこのままだと後悔になりそうなことはあるんやろ?」
「それは……まぁ、うん」
一瞬だけ反射的に否定しそうになりながらも、乃衣は諦めて頷く。
何でこんなにも察しが良いのだろうという疑問は、きっとブーメランになるのだろう。乃衣だってついさっき、後悔になりかけた遣都の想いに触れたばかりなのだから。
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