1-6 私達の故郷

 ぽつりぽつり、と。乃衣は胸の奥にある想いを零し始めた。


 乃衣には二人の姉がいる。

 姉達の影響でアニメオタクになって、中学一年生の時に聖地巡礼の魅力を知って……。やがて『未来聖地巡礼案内所』の存在を知った時、乃衣はまるで息をするのと同じように「将来はこの仕事に就きたい」と思った。実際にその夢を掴み取れたのだから、本当はもっと胸を張るべきなのだろう。


 だけど、乃衣の心には小さな罪悪感が眠っている。

 上の姉は小学教師で、下の姉は大学生。誇らしい姉達とは違い、自分だけ趣味の延長線のような道に進んでいる。考えすぎなのはわかっているけれど、どうしてもマイナスな気持ちがぐるぐると回ってしまうのだ。

 だからこそ、乃衣は思ってしまう。


「せめて、恩返しのために地元をアニメの聖地にできたらって……。私、ずっと思ってて」


 本音を漏らしながら、乃衣はぎこちなく笑った。

 いったい何を言っているのだろう、と自分でも思う。だって、自分がプロジェクトに参加するのはこれが初めてなのだ。地元をアニメの聖地にできたら、なんて一生を賭けて叶える願いだろう。少なくとも、入社して一ヶ月のペーペーが言えることではない。


 でも、どうしても頭をよぎってしまうのだ。『花束とアンドロイド』にとって大事な場所になる「喫茶店」と「花畑」。花畑の方は花のテーマパークであるものの、条件に合った場所を乃衣は知っている。


 薄木原すすきはらまち

 それが、乃衣と遣都の故郷の名前だ。


「そうかぁ……」

「そ、そんな微妙な顔しないでよ。私だって変なこと言ってるってことはわかってる。恩返しって言っても、そんなに焦らなくてもって話だよね」

「乃衣」


 反射的に苦笑を浮かべてしまう乃衣に対して、遣都は何故か至って真面目な視線を向けてくる。「えっ?」と聞き返す前に、遣都は口を開いた。


「お前、天才やな」

「…………真面目な顔で何言ってるの?」

「いやだって条件ピッタリやろ、俺らの地元。まったく思い付けへんかったわ……。喫茶店は多分、あそこのことを言うてるんやろ?」

「うん、まぁ……遣都の想像してるところで合ってると思うけど」


 遣都の反応があまりにも予想外で、乃衣は瞬き多めに遣都を見つめてしまう。

 初っ端から地元をアニメの聖地にしようとするってお前アホちゃうか? なんて言われるとばかり思っていたのだから、仕方のない話だろう。


「もっとこう、笑われるかと思ってた」

「笑うかいな。あのな、乃衣。大事なのは作品に合う場所かどうかだけや。タイミングとかしょうもないこと、気にしてる場合じゃあらへんで」

「…………そっ、か」


 ほんの微かな声が滑り落ちる。

 幼馴染なのに。同期なのに。遣都はまるで先輩気取りの言葉を放ってくる。

 ちょっとだけ悔しい気持ちに包まれてしまうのは、遣都の言葉がどうしようもなく正論だからなのだろう。ぎゅっと両手を握り締め、乃衣はまっすぐ遣都を見る。


「ごめん、遣都。私……そんな単純なことにも気付けなかった」

「うーん、俺的にはありがとうって言ってもらった方が気分ええんやけどなぁ」

「……あ、ありが、とう」


 思い切り震えた声を出しながらも、乃衣は遣都と視線を合わせたままお礼の言葉を告げる。遣都が優しく微笑むのを確認してから、乃衣は静かに視線を逸らした。


「でもまぁ、あれやな。一応、今のは聞かなかったことにしておくな」

「え? あ、あぁ……そういうことか。結局のところ、遣都はライバルだもんね。私、敵に情報漏らしちゃったんだ」

「そういうことや。まぁ、言うて俺のペアは夕桐部長やからな。部長は各チームの情報を握ることになる訳やし、そんなに気にすんなや」

「夕桐部長、か……」


 ついつい、羨望の眼差しを遣都に向けてしまう。

 確かに梨那にも頼れる部分はあるのかも知れない。でも、渚と比べてしまうとどうしても羨ましいという気持ちが襲ってしまうものだ。


「乃衣、あかん。このままじゃ話がループするで。ペアが夕桐部長で羨ましいって気持ちはわからんでもないけどな、相手に頼りすぎるのも悩みの種なんやって」

「あ、うん、ごめん。でも、そっちの悩みも解決したんでしょ?」

「まぁな」


 言って、遣都はニヤリと笑う。

 得意げなその姿は、幼馴染からするとイラッとしてしまう部分もある。しかし、今はそれ以上に安心感の方が強かった。


「遣都。何て言うか、その……助かった。私のやりたいこと、猫塚先輩にちゃんと伝えてくるから」

「おう。俺も俺なりに頑張ってくるわ。まっ、勝つのは俺らやろうけどな」


 尚も憎たらしい笑みを浮かべ続ける遣都に対して、乃衣は一瞬だけ力強い視線を向ける。睨み付けるというよりも、心の奥が燃えている――と言った方が良いだろうか。

 これは勝ち負けなんかじゃなくて、『花束とアンドロイド』に相応しい聖地を決める仕事だ。だけど、乃衣の脳裏には確かに「負けたくない」という言葉が浮かんでいて。


「ホント、遣都と話せて良かった。やっと私にも『花束とアンドロイド』の聖地を勝ち取る覚悟ができたから」


 自然と、乃衣の口から挑発的な言葉が零れ落ちる。

 きっと自分は笑っているのだろうと思った。そしてその笑顔は、遣都のように得意げで憎たらしい笑みなのかも知れない。


「ええ顔するやん。流石は俺の幼馴染やで」

「いやいや、誰目線だよ。……って、そろそろ休憩時間終わりか。戻らなきゃ」

「ん、ほんまや。のんびりしすぎてしもたな」


 あっという間に休憩時間が終わってしまい、乃衣は慌てて弁当箱を片付ける。思えば、柄にもない本音トークをしてしまった。しかも幼馴染の遣都と二人きりで。


(でもまぁ、有意義な時間ではあったけど)


 一人で渋い顔になりながら、乃衣はまた密かに幼馴染へと感謝の念を向ける。


 幼馴染の次は、パートナーだ。

 梨那に自分の故郷を候補に入れたいと伝えること。

 それが、乃衣にとっての次なるハードルだった。

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