エピローグ

エピローグ

 アニメと聖地を繋ぐプロジェクトとして『花束とアンドロイド』が本格的に動き出してからというもの、乃衣達の日々は忙しなく過ぎていく。

 特に問題だったのは浪木島の『展望のキンセンカ畑』だ。

 キンセンカは冬~春にかけて花を咲かせる植物のため、アニメ班とのロケハンをすぐにしなければならなかった。


 ちなみにロケハンとは「ロケーションハンティング」の略で、アニメで実際に使用する場所を探し、カメラアングルなどの確認をすることである。

 プレゼンをした乃衣と梨那も同行し、ロケハンを円滑に行うためのサポートをするのが主な役割だ。浪木島の区長はもちろんのこと、『猫とわたしの居間』の栗原さんとも早速再会することになった。

 良い報告をしに戻ってこられるというのはやはり嬉しいものだ。栗原さんと三人で「ありがとうございます」を連呼してしまい、アニメ班の人達に微笑ましい目で見られてしまったのは流石に恥ずかしい瞬間だったが。



 こうして、乃衣と梨那は慌ただしい毎日を過ごしている。

 季節が巡り夏になると、熊岡良一郎と『スタジオプリムラ』が手掛けるオリジナルTVアニメーションとして正式に『花束とアンドロイド』が発表された。


 第一弾キービジュアルには、奈岐村の『珈琲喫茶まごころ』をモデルにした喫茶店でバイトをする綴とミオリの姿が描かれている。

 キャッチコピーは「恋と青春の熊岡良一郎がおくる、旅と心を繋ぐ物語」。綴もミオリも憂いを帯びた表情で窓の外を眺めている。


「あー、良いなぁ……。キービジュに使われるっていう意味ではやっぱり奈岐村が優遇されるよね。最終話の浪木島じゃキービジュとかには絶対にならないしなぁ……羨ましい……」


 スマートフォンで何度もキービジュアルを見つめながら、梨那は一人唸り声を上げる。

 ピンクアッシュのツインテールに愛嬌のある猫目。推しの男性声優のコラボTシャツに白いショートパンツというラフな恰好の彼女は、まるで我が家のようにソファーの上でゴロゴロしていた。


「あの、ちょっとくつろぎすぎじゃないですか……?」


 呆れ気味に乃衣が呟く。

 ベージュのエプロンに身を包む乃衣は、スパイシーな香りを漂わせながら自室へと足を踏み入れた。


「おっ、乃衣ちゃんおかえりー。え、すっごい良い匂いじゃん。もしかしなくてもカレー?」

「その通りです。お待たせしました」

「嘘、凄いじゃん。ランチだからパスタとかオムライスとかかなーって勝手に思ってた。朝から仕込んでくれた感じ?」

「まぁ、そうですけど」


 想像以上にウキウキした様子の梨那に、乃衣は小っ恥ずかしくなり視線を逸らす。


 ――私達の選んだ場所が『花束とアンドロイド』の聖地を勝ち取ったら、今度こそ梨那先輩にご飯を作ってあげますよ。


 梨那が悔しさを爆発させ、『蒼色を駆ける僕らの歌』を一緒に観たあの日。失敗フラグだと思いながらも口にした約束を果たすため、乃衣は初めて梨那を自宅に招いていた。


「あれ、ってゆーかこのカレー……もしかして」


 テーブルの上に置かれたカレーライスを見つめてから、梨那は丸々とした瞳をこちらに向ける。梨那が驚くのも無理はないだろう。

 乃衣の作ったカレーは、喫茶『猫ノ街』の名物メニューである「ねこまちカレー」のような黒いカレーだったのだから。


「その……ねこまちカレーが好きすぎて、自分でもイカ墨カレーを作っているんですよ。って言っても、流石に猫の形にご飯をよそうのはできないですが」

「…………」

「梨那先輩?」


 無言でイカ墨カレーを見つめる梨那の意図がわからず、乃衣は首を捻る。ややあって「食べても良い?」と小声で訊ねられ、戸惑いながらも頷いた。


「せ、先輩。一応言っときますけど、ねこまちカレーと比べないでくださいね。本家に敵わないのは当然のことなんですから」

「いやいや、何言ってんの」

「え……?」


 一口一口を噛み締めるようにスプーンを運んでいる――かと思いきや、不意に真面目な視線を向けられる。ついさっきまで人のソファーの上でゴロゴロしていたとは思えないほど、今の彼女は先輩オーラに溢れていた。


「すっごく美味しいよ。それはもう、大好きなんだなっていうのが伝わってくるくらいに」

「……っ」

「ねこまちカレーも、喫茶『猫ノ街』も、薄木原町も、全部。乃衣ちゃんにとっては大切なんだもんね」

「…………はい」


 何故だろう。

 乃衣の部屋でだらだらと過ごしていたはずなのに、今ばかりは梨那から目を逸らしてはいけないような気がした。

 小さく息を吸ってから、乃衣は自分の気持ちを吐露する。


「私、まだ故郷を聖地にするのを諦めた訳じゃないです。家族への恩返しももちろんしたいですけど、大好きな薄木原町の魅力を目一杯伝えられるような作品に出会いたい。……これが私の一生の夢なんです」


 また恥ずかしいことを言っているな、とは思った。

 だけどそれは相手が猫塚梨那だから打ち明けられることなのだろう。梨那が遠慮なく情熱をぶつけてきてくれるからこそ、自分だって熱く燃え上がることができる。


 きっと……いや、絶対に。

 桜羽乃衣は最初から、猫塚梨那のような人間が必要だったのだと思うのだ。


「はぁーあ、羨ましいなぁ」

「……そのキービジュアルのことですか?」

「じゃなくて、乃衣ちゃんのことだよ。追い求める夢があって羨ましいなーって。あたしはほら、もう叶っちゃったようなものだし」


 言いながら、梨那は苦笑を浮かべる。

 なのにどうしてか、瞳の奥は輝きを放っているかのように見えた。


「それ、本気で言ってる訳じゃないですよね」


 そして――さも当然のような顔で断言してしまう自分も大概だなと思う。

 本気で言ってるんですか? と訊ねることすら無駄なことだと思ってしまうのだ。梨那の表情はどこからどう見ても生き生きとしていて、ため息も「羨ましい」も「もう叶っちゃった」も、すべてがわざとらしく感じてしまう。


「なーんでわかっちゃうのかなぁ」

「ずっと一緒にいたからじゃないですか」

「お、何々? 妙にデレてくれるじゃん」

「……うるさいですよ」


 思い切り視線を逸らしながら乃衣はぼそりと呟く。

 今は真面目なトーンで梨那と接したいのに、照れる気持ちが前に出てしまった。このままではいけないと乃衣は下唇を噛む。

 すると、「ね、乃衣ちゃん」という梨那の優しい声が降り注いだ。



「確かに熊岡監督への恩返しはできたのかも知れない。でもさ、あたし……もっとたくさん聖地巡礼のことが知りたいんだよね。世の中には魅力的な場所がいっぱいあって、アニメもいっぱい生まれていく訳じゃん? その中には色んな想いがあって、あたし達はそれを繋げることができる。……それって、すっごい幸せなことだなーって」



 言ってから、梨那は照れたように「えへへ」と微笑む。


 ――あぁ、と心が震えた。


 嫌なのだ。嫌で嫌でたまらないことに気付いてしまった。

 ギャルっぽい。いつもへらへらしている。口調が軽い。どうしてあんなにもアニメオタク感のない人が『アニメ部門』に所属しているのだろう。旅行ができるっていうだけでこの仕事を選んだのではないか。


 梨那とペアだと決まったばかりの時、乃衣は梨那に対してたくさんの偏見を向けてしまった。実際の彼女がどれほど素敵な人かも知らないくせに。

 本当にあの頃の自分は馬鹿だったと思う。


「ごめんなさい」

「えっ、全然謝る流れじゃなくない?」

「でも、初めは梨那先輩のことを苦手だと思ってしまったので。…………今は死ぬほど後悔してますけど」


 小さく本音を零すと、梨那が「ふぅん?」と楽しげに笑う。

 顔が熱い。鼓動も速い。また「うるさいですよ」と言いながら目を逸らしたい。

 だけど今は。今だけは。

 照れ臭さを理由に逃げてはいけないと思った。


「後悔してくれてるんだ?」

「仕方ないじゃないですか。もう、とっくに真逆の感情になっているんですから」

「……真逆って?」


 爛々と輝く梨那の瞳にははっきりと「期待」の文字が浮かび上がっている。どうやら梨那的には「真逆の感情」では満足してくれないらしい。

 やれやれと思いながら、乃衣は彼女の期待に応えるように視線を合わせる。



「大好きってことですよ」



 恥ずかしい。照れ臭い。今すぐに誤魔化しの言葉を付け足したい。

 だけど乃衣は必死に堪えた。

 ここまで素直な想いを告げられるとは思っていなかったのだろう。梨那はあからさまに頬を赤らめ、「ふぇ」と声にならない声を漏らしている。


 どうだ参ったか、と乃衣は思った。

 からかわれてばかりの自分ではないのだ。たまには優位に立たなければ、猫塚梨那のパートナーなどやっていられない。それに、たまには素直になってみるのも乃衣にとっては大きな一歩だと思った。


 アニメもそう。未来の聖地になる場所もそう。ふとした人間関係もそう。

 好きなものが増える度に嬉しくなって、それらを繋げることができる今の仕事が大好きで、大切で、胸を張れる居場所だから。



 ――私はこれからも、大好きな世界のために未来の聖地を追い求めていく。



                                         了

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こちら、未来聖地巡礼案内所。 傘木咲華 @kasakki_

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