5-10 また一緒に

 こうして『花束とアンドロイド』の聖地を決めるプレゼンは幕を閉じた。

 蓋を開けてみれば複数の聖地が採用されたものの、半数は選ばれなかったことになる。悔し涙と嬉し涙が混ざり合う中、乃衣はしばらく身動きが取れずにいた。


「よぉ、乃衣。随分とぼーっとしとるやないか」

「……遣都」


 そんな乃衣にいち早く声をかけてきたのは幼馴染の彼だった。

 宇江原遣都。

 幼い頃からずっと一緒で、趣味も同じで、同じものを見つめて切磋琢磨する仕事仲間でもある。妹を亡くしてから家族をますます大切にするようになり、ポジティブな性格になった。

 気になることは迷わずやるし、『後悔』という言葉をなるべく減らしていけるような人生を送りたい……というのが彼のモットーだ。


「良かったよ」

「ん、何が良かったんや?」

「後悔はないって顔してるからさ」

「……まぁな」


 呟きながら、遣都は照れ臭そうに頬を掻く。

 彼にしては珍しい表情だな、と思った。だけど今はからかう場面ではないだろう。乃衣はじっと遣都の糸目から覗く栗色の瞳を見つめ続ける。


「『珈琲喫茶まごころ』に足を踏み入れた瞬間から、俺のやりたいことは奈岐村を聖地にすることだって思ったんだよ。だってあんなにも綴とミオリの故郷に相応しい場所なんてないだろ?」


 エセ関西弁を封印しながら遣都は訊ねてくる。

 彼にだって悔しいと感じる瞬間はあったのだろう。だけど乃衣は知っている。悔しさを覆い隠してしまうほどの風景に出会った時の感覚を。

 だから乃衣は得意げな笑みを浮かべるのだ。


「わかるよ。私もそうだったから」

「……ふっ」

「な、何故笑う」

「いや、俺らペーペーの新人のくせして何を偉そうに語ってるんやろうなって思ってな」

「…………た、確かに」


 思わず乃衣は渋い顔になる。

 さっきから「良かったよ」だの「わかるよ」だの、妙に格好付けた話し方をしていた。そのことに気付いた乃衣は急激に恥ずかしくなってきてしまう。


「あら、そんなことないわよ」


 しかし、二人の肩にポンと手を乗せる女性がいた。

 夕桐渚。

 胡桃色のストレートロングヘアーに青碧色のつり上がった瞳。クールな印象とは裏腹に優しい雰囲気に溢れた彼女は、今も二人に温かな視線を向けていた。


「その情熱があるからあなた達はここにいるのよ。むしろもっと胸を張っても良いくらいなんだから」


 言いながら、渚は「ね?」とウインクを放ってみせる。

 渚は三児の母で三十代後半のはずだ。なのにウインクには愛らしさが詰まっていて、思わず乃衣は「可愛い……」と呟きそうになる。


「夕桐部長は色々と反則だよね」

「せやな。綺麗で頼れる部長ってだけやなくて可愛らしさもあるなんてな」

「ふ、二人とも何を言ってるの……? あまり年上をからかうんじゃないのよ……?」


 瞳をぱちくりとさせながら戸惑う渚はやはり可愛らしい。

 遣都と二人で謝りながらも、乃衣はひっそりと微笑ましい気持ちに包まれていた。ウインクしたり、戸惑ったり。渚が自然体な姿を見せているのは、きっと単純に嬉しい気持ちがあるからなのだと思った。

 というよりも、ウキウキしているように見える。五年前は熊岡監督に不甲斐ない姿を見せてしまったと言っていたし、渚も渚なりに色んな覚悟があったのだろう。先輩だろうが部長だろうが、一つのプロジェクトに賭ける思いは変わらないのかも知れない。



「ところで、猫塚さんは大丈夫?」

「……へっ?」


 さっきから梨那が静かだ。

 というのはずっと気付いていたことだった。遣都に声をかけられる前は乃衣も身動きが取れなかったし、梨那の頭の中は様々な感情が駆け巡っているのだろうと思う。

 だから今はそっとしておこう、と乃衣は思っていたのだが。


「ど、どうしたんですか、先輩」


 そわそわと落ち着かない様子の梨那は、何故か乃衣のスーツの袖を必死の形相で引っ張ってくる。いったい何があったのかとこちらが狼狽えてしまうレベルだ。


「ええと……トイレなら会議室を出てすぐのところにありましたけど」

「そうじゃ、なくて……っ」

「あぁ」


 梨那の視線の先には、今にも会議室を出ていきそうな熊岡監督の姿があった。瞬間、乃衣はなるほどと納得する。

 梨那にとって熊岡監督はとても大きな存在だ。『蒼色を駆ける僕らの歌』をきっかけに前向きな性格になって、ヒロインの髪型であるツインテールは彼女にとっての勇気の証になっている。


 熊岡監督の作品に最終話の聖地で関わることができた。――きっと、それだけでも満足すべきことなのだろう。

 でも、熊岡監督に個人的な想いを伝えるのが今しかないのだとしたら。

 動くしかない、と乃衣は思った。


「熊岡監督!」


 何の躊躇いもなく乃衣は熊岡監督を呼び止める。

 自分でも驚きだった。だって相手はあの熊岡監督だ。乃衣にとってもたくさんの作品を観てきた憧れの人だし、意識すると口から心臓が飛び出そうになる。


 なのに何故だろう。

 梨那のためだと思ったら自然と頑張りたいという気持ちになって、気付けば熊岡監督の名前を口に出していた……なんて。本当に不思議なこともあったものだ。


「ああ、浪木島の……。桜羽さんと猫塚さんでしたか。先ほどはありがとうございました」


 和やかな笑みを浮かべながら、熊岡監督はわざわざ二人に向かってお辞儀をしてくれた。乃衣も梨那と一緒になってペコペコと頭を下げる。


「そんなにかしこまらないでください。むしろ僕らが『未来聖地巡礼案内所』の皆さんに力をお借りしたのですから」

「は、はい! その……『花束とアンドロイド』、私も楽しみにしています」

「ええ、一緒に盛り上げていきましょう」


 言いながら、熊岡監督は手を差し伸べてくる。もう一度「はい」と頷き握手をすると、彼の熱い思いが伝わってくるようだった。


「梨那先輩」


 次は彼女の番だと言わんばかりにそっと肩を小突く。

 猫塚梨那。

 乃衣は最初、彼女のことが苦手だと思っていた。

 派手な容姿に軽い口調。ただそれだけで不安な気持ちが押し寄せて、梨那とペアになって聖地を勝ち取るなんて無謀なのだと決め付けていた。


「あ、の……。く、熊岡監督……っ!」


 だけど今ならはっきりと言える。

 そんな風にイメージだけで決め付けていた自分の方が馬鹿だったのだと。



「あたし、熊岡監督の『蒼色を駆ける僕らの歌』が大好きなんです。たくさんの元気をもらって、この髪型も勇気が欲しくて真似するようになりました」



 黒紅色の猫目に希望が灯っている。

 元々は物静かな性格だったのが信じられないくらい、今の梨那は眩しいほどに輝いていた。アニメに救われて、ヒロインの髪型を自分の勇気に変えて……。そんな自分を誇りに思っているのがわかるから、こんなにも眩しく感じるのかも知れない。



「『蒼色を駆ける僕らの歌』のおかげで、今のあたしがここにいるんです。だから、本当に……素敵な作品をありがとうございます……っ!」



 梨那が勢い良く頭を下げる。

 プレゼンの時は一人称を「あたし」ではなく「私」にしようと意識していたのに、今ではすっかり崩れてしまっていた。

 仕事としての梨那とファンとしての梨那。二つの姿が混ざり合っているのに決して不恰好ではなくて、むしろ大きな一歩を踏み出しているように見える。


「そうだったんですか。いやぁ、そうだったら良いなとは思っていたのですが。ツインテール、お似合いですよ」

「えっ、あ……ありがとうございます」

「本当に素敵なことだと思うんですよ。僕の作品に触れてくれた人とこうして新しい作品を造っていけることが。その上、あんなにもまっすぐな情熱を向けてくださって。……なのでお礼を言うのは僕の方なんですよ。猫塚さん、ありがとうございます。それと、これからよろしくお願いします」


 熊岡監督に手を差し伸べられ、ほとんど泣きそうな表情で梨那が握り締める。

 梨那は言っていた。『花束とアンドロイド』に相応しい聖地を見つけることで、熊岡監督への恩返しにしたいと。


 それが今叶ったのだ。

 こんなにもキラキラと眩しくて優しい瞬間はないな、と乃衣は思う。


(良かったですね、先輩)


 乃衣もまた優しい視線を梨那に向ける。


 ――家族への恩返しのために、地元をアニメの聖地にしたい。


 そんな乃衣の夢が叶うのはきっとまだまだ先の話だろう。

 だけどたった今、ここまで一緒に歩んできた梨那への恩返しはできたような気がした。普段から自信に満ち溢れていて、引っ張っていく力があって。だからこそ落ち込んだ時は思い切り悔しいと叫んで、それでも好きなものに対して真摯に向き合って。追い求めていた景色に辿り着いた時は泣いて喜んで。


 彼女がパートナーとして隣にいてくれたから、乃衣はここにいる。……なんて言葉は、絶対に小っ恥ずかしくて伝えられないだろう。

 だから、これが梨那への恩返しであることは永遠に内緒の話だ。

 内緒――のはずなのに。


「ありがとうね、乃衣ちゃん」


 熊岡監督との話を終えた彼女はすべてを察しているかのように微笑みを浮かべている。


 そうだ。そうだった。

 この人は一筋縄ではいかない人なのだった。


 平気で乃衣のことをからかうし、時々距離感がバグっているし、梨那と一緒にいると呆れてしまう瞬間が多すぎる。

 だけど。



「何のことかわかりませんけど、まぁ……どういたしまして」



 自分はまた、この人と未来の聖地を追い求めていきたい。

 当たり前のようにそんなことを思いながら、乃衣は微笑を浮かべていた。

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