4-3 神秘的な場所

 浪木島に降り立つと、そこには確かなわくわく感があった。


 知らない場所に足を踏み入れたからか。乃衣にとって島自体が初めてだからか。

 高揚感の理由が不透明なまま、乃衣は挙動不審に辺りをきょろきょろと見渡す。浪木島はほとんど平地がないようで、斜面に民家が連なっていた。新しい場所のはずなのに、どこか懐かしいような田舎の風景も広がっている。


 不思議で、独特で、だけど心は自然とほっとする。

 浪木島は神秘的な雰囲気のある場所だな、と乃衣は思った。


「乃衣ちゃん、良い感じに撮れた?」

「撮れましたけど。……先輩、態度に出すぎですよ」

「うっ、やっぱりバレバレかぁ。ちょっとだけだから! ねっ?」


 両目を閉じながらパチンと手を合わせ、梨那はこちらの様子を窺うように片目を開ける。

 乃衣が「仕事そっちのけで猫と戯れちゃ駄目ですからね」と言ってからというもの、梨那があからさまにそわそわしているのはわかっていた。そして島の待合室の周りに何匹か猫がいることにも気付いている。乃衣がやれやれと言わんばかりに頷くと、梨那はへらりと笑って待合室へと吸い込まれていった。


「かわいー。ほら乃衣ちゃん、結構大人しいよ?」


 本当は自分も猫と戯れたくてうずうずしている。

 しかし乃衣はぐっと堪え、代わりにタブレット端末を構えた。パシャリパシャリとシャッターを切り、ついでに自分のスマートフォンでも写真を撮る。


「何ニヤニヤしてるんですか。もし浪木島が聖地になるとしたら島猫と戯れるシーンだってあるかも知れないじゃないですか。だからですよ」

「うん、だから嬉しいんだよ。そう思って自ら写真を撮ろうって思った訳でしょ? 単に旅行のテンションなだけじゃなくて、『花束とアンドロイド』のためにさ」


 猫を撫でる手を止めないまま、梨那はまっすぐな視線をこちらに向ける。

 先輩らしい顔をしているような、そうでもないような。乃衣としては何とも微妙な気持ちだ。


「主人公の綴もヒロインのミオリも、あまり感情を出さないキャラクターじゃないですか。だからこそ猫と触れ合うシーンも映えると思うんです。だから先輩、もうちょっと儚げな雰囲気で戯れてください」

「え、あたしにその演技プラン要求する? 無理くない……?」

「大丈夫です。猫塚先輩にならできますから」

「……言うようになったね、乃衣ちゃん……」


 一瞬だけ遠い目になってから、梨那は「よし、やるよ」と呟く。それから目を細めて微笑を浮かべながら猫を撫で始めた。の、だが。


「先輩、遠い目はもう良いですから。儚げな感じでお願いします」


 遠い目と何ら変わらない表情で猫を撫でる梨那の姿は非常にシュールだった。つい冷静な突っ込みを入れると、梨那は眉根を寄せるというレアな表情を見せる。


「いや、これ……あたしの全力の儚げなんだけど……」

「あー、やっぱり普通に撮りましょうか」

「…………あたし、珍しく乃衣ちゃんのおもちゃにされた気がする」


 梨那が不服そうに唇を尖らせる。

 いつもは乃衣がからかわれるパターンが多いため、何だか不思議な感覚だ。というよりも嬉しくて鼻が高くなってしまう。そのままルンルン気分で島猫の写真を撮り、梨那をリードする形で浪木島を巡っていく。


 まるで迷路のように入り組んだ路地に、住宅街に紛れたアート作品。そこに人懐っこい島猫が溶け込んでいて、歩けば歩くほどに浪木島の虜になっていきそうだった。

 隠れ家的な店が多いことは資料で知っていたが、本当に突如として現れるのだ。喫茶店だったり、図書館だったり、はたまた銭湯だったり。住宅街を歩いていたと思ったら「あ、ここお店だったんだ」と不意に気付くことが多いのだ。


「どこを撮っても絵になる……」


 思わず乃衣はぼそりと呟く。

 感嘆の声でもあるのだが、同時に困惑してしまう気持ちもあった。いちいち立ち止まって撮影を始めてしまうものだから、自分でも気付かぬうちに時間が過ぎてしまうのだ。


「先輩、とりあえずそろそろ喫茶店に行きますか」


 フェリーの最終便の問題もあるため、乃衣は予定を早めようと提案する。しかし、梨那は何かをじっと見つめたまま返事をしなかった。


「……あ、あのさ、乃衣ちゃん」


 やがて、梨那は好奇心に満ちた猫目をこちらに向けてくる。

 梨那が食い入るように見ていたのは休憩所の看板だった。その名も『ねことわたしの居間いま』。可愛い猫のイラストとともに「休憩所はこっちだにゃー」と矢印が書かれている。


「一期一会ってやつなんじゃないですか」

「へっ?」

「確かに予定にはなかったですけど、ここでスルーしたら後悔するかもっていう謎の直感もあるので。私は行ってみたいと思うんですけど」


 先輩はどうですか、と乃衣は小首を傾げる。

 すると面白いくらいにわかりやすく、梨那の笑顔がぱああぁっと輝いた。


「ありがと、乃衣ちゃん」

「別に、一度惹かれてしまったものを無視することなんてできないだけですから」

「そっか。でも予定が変わっちゃったし、またバタバタになっちゃうね」

「それは……もう、慣れてますから」


 きっぱりと言い放つと、梨那の苦笑の中に照れが紛れ込む。そんな梨那の姿が何故だか可愛らしく感じられて、乃衣は慌てて視線を逸らした。

 梨那に引っ張ってもらうだけじゃなくて、自分もパートナーらしい行動ができているだろうか? 自分自身のことを分析することはできないが、胸の高鳴りは確かな答えを告げているようで。

 乃衣は梨那にバレないようにそっと微笑みを浮かべていた。

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