4-2 今の私がいる理由

 本当に雨が降らなくて良かったと思う。


 眩しいくらいの太陽に、雲一つない青空。

 心地良い潮風が頬を撫でる度に、浪木島へと近付いているのだというわくわく感が募っていく。波もそこまで高くはなく、フェリーが揺れることはほとんどなかった。

 絶好の観光日和だ。乃衣にとって初めてのフェリーということもあり、一瞬だけ仕事だというのを忘れそうになってしまう。


「ねね、乃衣ちゃん」

「何ですか。初めてのフェリーで私がはしゃいでいるのをからかいたいんですか」

「そうじゃないよー。宇江原くんとはどんな感じなのかなって」

「またそれですか」


 はあぁ、と乃衣はわざとらしく大袈裟なめ息を吐いてみせる。

 しかし梨那は特に気にする素振りも見せず、テンション高めに言い放った。


「だってぇ、見てて楽しいんだもん。まず幼馴染っていう設定からしてずるいじゃん?」

「設定って言わないでくださいただの幼馴染です」

「とか言って、実は好きだったりするんじゃないの? それか宇江原くんの片思いとか、もしかしたら両片思いっていう可能性も……!」

「本人を目の前にして何言ってるんですか? 馬鹿なんですか?」

「だってこういうの大好きなんだもん」


 仕方ないじゃん、と満面の笑みを浮かべる梨那。

 正直、一人のオタクとして彼女の気持ちはわかってしまう自分がいた。アニメを観ている時も好きなキャラクター同士が結ばれたら嬉しいし、応援している声優同士の結婚報告もめちゃくちゃテンションが上がってしまう。

 だけど、自分がターゲットにされるのは話が別だ。


「ごめんって。冗談だから。ねっ?」


 乃衣の不機嫌オーラが伝わったのか、梨那は両手を合わせながらウインクを放ってきた。誠意よりも可愛さが際立ってしまっていて、乃衣は透かさずジト目を向ける。


「そんな可愛いポーズで謝ったって無駄です」

「え、可愛い? やった」


 今度は照れたようにガッツポーズをする。

 そんな梨那の今日の服装はデニムワンピースで、これでもかというほどに生足を晒していた。春らしい陽気ではあるものの、寒くないのだろうかと心配になってしまう。


「めっちゃあたしの脚見てくるじゃん。生足先輩って呼ぶ?」

「呼びませんよ。それならツインテ先輩の方がマシです」

「えー。もう乃衣ちゃんは梨那先輩って呼んでくれるようになったんでしょ?」

「それは……あの時だけですから」


 思わず目を逸らしながら、乃衣は小さく呟く。


 ――私達の選んだ場所が『花束とアンドロイド』の聖地を勝ち取ったら、今度こそ梨那先輩にご飯を作ってあげますよ。


 恥ずかしくもあり、やっぱりどう考えても失敗フラグにしか思えない発言だった。でも今は、梨那がくれた桜のヘアピンがある。

 梨那にとってのツインテールのように、自分を支えてくれる勇気の形だから。


「かわいーなー、もう」

「な、何がですか」

「形から変わってみるのも悪くないでしょって話」


 言って、梨那は優しく微笑む。

 桜のヘアピンに、薄紅色のチェック柄のチュニックに、白いパンツ。

 いつもはもっとボーイッシュな恰好をしているが、今日は我ながら明るい服装をしているなと思った。自分は地味だから服装も地味で良い。それが自分の中での当たり前だったのが、少しずつ変わっているような気がした。


「あの」

「ん、どしたの? もしかして、まだ怒ってる?」

「いえ、そうではなくて。……遣都のことなんですけど、あいつは確かに幼馴染でオタク仲間です。それ以上でも以下でもないんです。でも、彼が仕事仲間として傍にいてくれているのはとても助かってる……って思ってます」


 きっと自分は人に恵まれている。

 姉達の影響で聖地巡礼が好きになったことも。

 やがて『未来聖地巡礼案内所』を知った時に家族が背中を押してくれたことも。

 幼馴染の遣都が今でも切磋琢磨できる相手でいてくれることも。

 パートナーの梨那が心を晒しながら隣を歩いてくれることも。


 皆がいてくれたから、今の自分はここにいる。


「じゃあ、宇江原くんはライバルって感じでもあるんだ」

「はい」

「そっか。そういう関係って良いよね。あたしにはそういうのがなかったからさ」


 乃衣が力強く頷くと、梨那はまた温かい笑みを零した。


 ――あたしにはそういうのがなかった。


 過去形で囁かれた言葉に、乃衣の鼓動がドキリと跳ねる。

 もしかして梨那は、仕事仲間として傍にいてくれて助かってる……と、乃衣に対して思ってくれているのだろうか。

 だとしたら、やっぱり自分は恵まれているなと思った。



「先輩、あれ……見えてきたんじゃないですか」

「あ、ホントだ。そろそろ仕事モードに入らなきゃね」


 船に揺られること二十分。

 手元の資料と見比べながら、乃衣は浪木島を指差す。梨那もそそくさと一眼レフカメラを取り出し、乃衣にアイコンタクトを向けてきた。


 浪木島には今までとは違った撮影ポイントがある。

 それは、島の全景だ。

 もしも浪木島が『花束とアンドロイド』の聖地に選ばれたとしたら、主人公達が暮らす街=島ということになる。島が作品の顔になる訳で、フェリーから撮る島の写真も重要になってくるのだ。


「乃衣ちゃん、どんな感じ?」

「ちょっとまだ遠いですかね。あと小型船が写り込んじゃいます」

「ね。それも味かも知れないけど、もうちょっと良いタイミング狙ってみよっか」

「はい。……何か先輩、楽しそうですね」

「あ、バレた? ほら、浪木島って猫の島でもあるからさぁ。うずうずしちゃうんだよねー」

「あー、なるほど」


 仕事モードと言いながら声を弾ませる梨那だったが、理由を聞いて納得してしまった。というよりも、『花束とアンドロイド』のことばかりを考えすぎていて猫がたくさんいる島だということを忘れていたのだ。


「先輩、仕事そっちのけで猫と戯れちゃ駄目ですからね」


 思わず突っ込みを入れると、梨那は「わかってるよー」と言いながら思い切り目を泳がせた。こういう部分はやっぱり等身大の女の子で、乃衣はそっと微笑ましい視線を向けるのであった。

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