第四章 やっと見つけた私達の答え

4-1 清々しい笑顔

 瀬戸内海に浮かぶ浪木島には飛行機とフェリーで行くことになっている。

 羽田空港から高松空港へ向かい、それからリムジンバスで高松駅、徒歩五分で高松港……という流れだ。


(フェリーか……。楽しみだなぁ)


 乃衣にとっては初めてのフェリーで、おのずと胸が高鳴ってしまう。きっと、遠慮がいらなくなった梨那が隣にいるから安心してわくわくできるのかも知れない。


 と、言いたいところなのだが。

 謎の安心感の正体はもう一つある。


「いやぁ。しっかしこんな偶然もあるもんなんやなぁ」


 ――隣に、見慣れすぎた男が立っているのだ。


 羽田空港で集合してから高松港に辿り着くまで、彼はずっとエセ関西弁でぺちゃくちゃと喋っている。話し相手は乃衣ではなく梨那だ。

 想像通りというか何というか、二人は相性が良いらしい。「マジで?」だの「ほんまほんま」だの、テンポの良い会話が繰り広げられている。


「緊張感どこ行った……」


 思わず、乃衣はぼそりと呟いた。

 最後の聖地候補を見に行く大切な日だというのに、変に気が抜けてしまう。

 シックなネイビーのスプリングコートに身を包んだエセ関西弁の彼――遣都が零したように、本当にこんな偶然があるのかと思った。


「桜羽さん、大丈夫? もしかして乗り物酔いしちゃった?」


 そして、遣都の隣には渚の姿もある。

 服装は黒いTシャツとジーンズで、意外にもシンプルな恰好をしていた。それでも様になっているのだから驚きで、改めてクールな魅力を持った人だと感じる。


「いえ、酔ってはいないので大丈夫です。ただちょっと、不思議な感覚で」

「ふふっ、そうよねぇ。私達も偶然、瀬戸内海の島を候補に入れてたから。せっかくだから同じ日にしちゃったって訳なのよ」

「あ、やっぱり夕桐部長の差し金だったんですね……なるほど」


 口元に手を当てながら楽しげに笑う渚を見て、乃衣はようやくこの状況の意味を理解することができた。

 乃衣と、梨那と、遣都と、渚。

 四人が高松港まで一緒に行動した訳は、両組とも瀬戸内海の島が候補の中にあったからだった。それはまだ納得できる偶然だったのだが、わざわざ同じ日になったのは何故だろうと不思議に思っていたのだ。


「宇江原くんは、夕桐部長とペアで緊張しているんですか?」


 お喋りに夢中な梨那と遣都を横目に、乃衣は小声で問いかける。渚もまた遣都の様子を気にしてから、口元に手を添えて囁く。


「そうね。基本的には明るいんだけど、時折ね。彼、今は凄くリラックスしてるみたいで安心したわ」

「…………そう、ですか」


 渚の言葉を聞いて乃衣は咄嗟に、


 ――俺さぁ、夕桐部長の言う通りにしか動けてないんだよなぁ……。


 という遣都の愚痴を思い出す。

 あれは確か、渚とペアを組んだばかりの頃だったか。プレッシャーに悩んでいた彼だったが、やはりどうしても緊張してしまう部分はあるようだ。


「あの、夕桐部長。フェリーの時間はまだ大丈夫ですか?」

「私達は三十分後だから大丈夫よ」

「あ、そうなんですね。私達も同じくらいの時間なので、ちょっと話してきます」

「ええ、よろしくね」


 まるですべてを察していたかのように、渚は得意げな表情で頷く。そんなにも「遣都と話がしたい」オーラが出ていたのだろうか、と思うと少し恥ずかしい。

 でも、仕方がないではないかと乃衣は言い訳を浮かべる。

 乃衣だって薄木原町を候補に入れたいと思った時、遣都に背中を押してもらったのだ。だから今度は自分の番だ、と乃衣は思った。



「ほいでほいで? 話って何なんや?」


 待合室のベンチに並んで腰かけると、遣都はいつもの調子で問いかけてくる。空元気なのか何なのか、まだ判断は難しいところだ。


「もしや愛の告白か? すまん乃衣。俺は確かに『未来聖地巡礼案内所』を教えてくれた乃衣には感謝してるんやで? でもなぁ、恋とは少し違ってだなぁ」

「何言ってるの馬鹿なの全然告白なんてしてないしする気もないしだいたい私が振られたみたいな空気になってるのも本気で意味がわからないんだけど」

「おぉ、いつも通りの乃衣やな。安心したわ」


 いつもの調子どころか絶好調な遣都がいて、乃衣は思い切り睨み付ける。

 少しでも心配した自分が馬鹿だったと思った。やがて諦めたように視線を逸らし、仰々しくため息を吐いてみせる。


「いつも通りで安心したのはこっちのセリフだよ。……で、そっちはどんな感じなの?」

「そんなんライバルに言えるかいな」

「いやいやどこに行ったとかそういう話じゃなくて。後悔せずにできてるのかなーって。ちょっと気になっただけだよ」

「あぁ、その話な」


 ようやく話が本題に入ると、遣都は目を伏せる。

 やはり悩みは尽きないのだろうか? と一瞬思ってしまった。しかし、遣都は想像以上に早く顔を上げる。



「実はこれから行くところな、俺が選んだ場所なんだよ」



 言って、遣都はニッと歯を見せて笑う。

 何て清々しい笑顔をするのだろうと思った。普段は冗談交じりの笑みを見ることが多いからこそ、乃衣ははっきりと感じ取ることができる。

 これは、心の底から嬉しいと思って浮かべている笑みなのだと。


「そっか。良かったじゃん」

「まぁな。……夕桐部長が完璧すぎて落ち込むこともあるんやけどな。でも、俺は俺なりにやりたいことにチャレンジできてるんやで?」


 頷きながら遣都は口の端をつり上げる。

 こちらを見つめる視線は、まるでこちらを煽るような挑発的なものだった。「どうだ参ったか」とでも言いたいようで、乃衣は思わず笑ってしまう。


「私も方も色々あるけど、でも……猫塚先輩とも打ち解けられた気がするから。私達なら聖地を勝ち取れるって思ってる」

「あー、その話なら猫塚先輩から散々聞かされたで? 実は情熱的なところもあるって、楽しそうに話してたわ」

「何言ってるのあの先輩……」


 まさかの事実に、乃衣の瞳は一瞬にして色をなくしてしまう。

 何を楽しそうに話しているのだろうと思っていたが、まさか乃衣のことだとは思わなかった。しかも「情熱的」だなんて、かなり深い部分まで話さないと出てこないワードだ。


「そっちも上手くいってるみたいやな」

「まぁ、ね。最初は不安もあったけど、今は猫塚先輩がペアの相手で良かったって思ってるよ」

「おぉ、めっちゃデレるやん。今日は雨が降るんとちゃうか?」


 冗談めかした発言をしながら、遣都はへらへらと笑う。

 反射的に「まったくもう」と思ってしまうような遣都の態度。しかし、最後の聖地巡りと考えるとどうしても緊張してしまうものだ。遣都と話していると謎の安心感があって、自然とリラックスできている自分がいた。


「せっかく良い天気なんだからやめてよ。遣都だって雨が降ったら困るでしょ」

「おうふ。正論で返されてしもた……。でもまぁ、確かにその通りやな。雨は雨で資料になるかも知れへんけど、全部が雨はちょっとな」

「でしょ? だからさっきの冗談は取り消してね。新入社員が何言ってるんだって話だけど、私……このプロジェクトに色んなものを抱えてるから。だからつい真剣になっちゃうし、デレることだってある。ただそれだけなんだよ」


 照れる気持ちを誤魔化すように、乃衣は馬鹿正直な言葉を零す。遣都は「そうか」と返すだけで、特にからかってくることはなかった。


「んじゃ、そろそろ夕桐部長のところに戻るわ」

「ん、そうだね。私も行ってくる」

「おう、後悔のないようにな」

「そっちもね」


 ベンチから立ち上がり、お互いに片手を上げる。

 それからそれぞれのパートナーの場所へと戻る……と思ったら、不意に遣都がこちらを振り返った。


「あ、ちょっと待ちぃ。そのヘアピン、似合ってると思うぞ」

「へ、はっ?」

「いや驚きすぎやん? そういや言い忘れとったと思ってな。それだけや」


 得意げに微笑んでから、遣都は今度こそ渚の元へと戻っていった。


(いや、何でこのタイミング……)


 思わず桜のヘアピンに触れながら、乃衣は何とも言えない気持ちに包まれる。

 一週間前から付けるようになった桜のヘアピン。梨那や遣都の派手な髪色が許されている通り、『未来聖地巡礼案内所』の服装規定は緩めである。派手な髪飾りも問題はなく、長い前髪を晒しているよりはマシだろうと職場でも付けるようになったのだ。何人か先輩から「そっちの方が良いよ」とかけられたものの、遣都からは特に何も言われなかったのを覚えている。


(はー、これがモテる男のテクニックってやつか。知らんけど)


 確かに悔しい気持ちには包まれる。だけど不思議と溢れ出るのは温かな微笑みだった。


 だって、遣都と腰を据えて話をするのは随分と久しぶりな感覚だったから。

 きっと梨那と過ごした時間がそれくらい濃厚だったということだろう。梨那しかり、遣都然り、ついつい遠慮のない言葉をぶつけてしまう瞬間がある。でも、違った言い方をすればそれだけ心を開くことができているということだ。


 自分にとって特別だと思える人が同じ職場に二人もいる。その上頼れる部長もいて、目の前には憧れの世界が広がっていて――。


 あとはもう全力で駆け抜けるだけだ、と思った。

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