4-4 重なる感情

 乃衣と梨那が立ち寄った『猫とわたしの居間』は無料の休憩所だった。

 外観はおしゃれなログハウスだが、中は和室で島猫の写真とイラストが部屋中に貼られている。浪木島名物のイカ飯を始めとした軽食もあり、島猫グッズも売れられているようだ。

 猫と同じく開放されている時間も気まぐれのようだが、二人が訪れた時間はちょうど管理人の姿があった。


「おや、こんにちは。休憩していきますか?」

「あ、はい。お邪魔しますー。可愛らしい看板に釣られて来ちゃいました」

「ああ、そうなんですね。ぜひともゆっくりしていってください」


 優しそうなたれ目が印象的な男性に案内され、乃衣と梨那は和室の座布団の上に座る。和室には二匹の猫がすやすやと昼寝をしていて、つい微笑ましい視線を向けてしまった。


「お名前はなんていうんですか?」

「私ですか? 栗原くりはら直寿なおずみと言います」

「あ、いや……そこにいる猫ちゃんの……」

「えっ、あぁ、これは失礼しました。いやはやお恥ずかしい。白い方がハルマキで、黒くて丸まっている方がこしあんですよ。どっちも男の子で仲良しなんです」


 寄り添って眠るハルマキとこしあんを見つめながら、管理人の栗原さんはくしゃりと微笑む。本当に猫が好きなのだと心からわかるような温かな笑顔だった。


「一匹一匹の島猫を大切にしているんですね」

「えぇ、そうですね。……まぁ、私達も悩みながらではあるのですが」


 率直な感想を漏らす乃衣に、栗原さんは一瞬だけ苦笑を覗かせる。

 その理由は浪木島についての資料をまとめた乃衣と梨那にとっても少しはわかることだった。


 浪木島は猫の島としても有名で、全国から島猫を求めてたくさんの観光客がやってくる。しかし、一時期は島猫が増えすぎて畑などに被害が遭ったのだという。

 そこで行われたのが島猫の殺処分ゼロを目指す『さくら猫』である。『さくら猫』とは不妊手術済みの印に、耳の先端を桜の花びらのようにカットされた猫のことだ。今では全頭が『さくら猫』になっていて、猫による被害は激減しているらしい。


「とはいえ、何が正解かはわからないんですけどね。島民にとっての幸せや島猫にとっての幸せを日々考えてしまうのです」


 真剣な顔付きで語る栗原さんの言葉を、乃衣と梨那はただ黙って聞いていた。

 すると栗原さんはこれを戸惑いの沈黙と受け取ってしまったのか、申し訳なさそうに眉根を寄せる。


「すみません、つい熱が入ってしまいまして」

「いえそんな。私達もネットの情報だけだったので、実際に活動をされている方から言葉を聞くことができて嬉しかったです」


 栗原さんをしっかりと見つめながら、乃衣は純粋な本音を零す。それから自然と梨那とアイコンタクトを交わした。

 浪木島には島猫という守っていきたい存在があって、栗原さんのように模索しながら活動を続けている人もいる。その事実にじわりと心が温かくなった。


 だって、重なるのだ。

 アンドロイドのヒロインと戸惑いながらも心を通わせていく主人公の姿と。模索していく中で芽生えていく確かな愛情と。


 ――『花束とアンドロイド』の世界観に相応しい場所だと、はっきりと思った。


「乃衣ちゃん、何かさ……ここ、居心地が良いね」

「……はい」


 不意に零れ落ちた梨那の言葉に、乃衣はほとんど無意識のうちに頷く。「そうですか? いやはや、照れますね」と優しく笑う栗原さんの姿もまた温かくて、ずっとこの空間に留まっていたいと思ってしまうほどだった。


「お二人とも、今日は最終便で帰られるのですか?」

「あ、はいそうですー。高松で泊まる予定なんですよ」

「そうなんですね。ここは一組限定で泊まることもできますから、また機会がありましたらお越しくださいね」

「えっ、そうなんですか……! うわー、ちゃんと調べておくべきだったなぁ」


 栗原さんの言葉に梨那が頭を抱える。

 梨那の言う通り今日は高松で一泊する予定だ。高松港からそう遠くない場所に梨那の親戚の家があるらしく、今回はそこに泊まらせてもらうことになっている。


「猫塚先輩、そろそろ動かないと時間が」

「うぅ、わかってるけどめっちゃ名残惜しい……。栗原さん、島猫グッズたくさん買います! ハルマキくんとこしあんくんのグッズはありますかっ?」

「ええ、もちろんありますよ。ポストカードと缶バッジと、あとは島猫写真集なんていうのもありまして……」


 名残惜しさで謎のテンションになっている梨那に、相変わらずニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべる栗原さん。初対面とは思えないほどに和気あいあいとした空間があって、乃衣も自然と微笑みを浮かべていた。



 ***



 どうやら、自分達は思った以上に長く『猫とわたしの居間』で過ごしてしまったらしい。バタバタしてしまうことは察していたが、まだ肝心の喫茶店と花畑にも行けていないのだ。フェリーの時間もあるためのんびりしている訳にもいかず、二人は駆け足で浪木島を巡っていった。


 一つ目は喫茶店で、その名も島カフェ『キンセンカ』。薄木原町の喫茶『猫ノ街』以上にシンプルで素朴な喫茶店だった。しかし隠れ家的な場所にあるというだけで心がわくわくして、特別感を演出している。


 そうか、と乃衣は気付く。

 乃衣はずっと、『花束とアンドロイド』の世界観に合うような特別な喫茶店を探さなければいけないと思っていた。


 でも、違う。

 別に喫茶店自体は普通で良いのだ。周りの景色とかけ合わさることによって、喫茶店も特別な場所へと変化することもあるのだと。たった今、乃衣は知ってしまった。


「ふう」


 小さく息を吐く。

 木造を基調とした落ち着く雰囲気のある店内に、おしゃれな花柄のコーヒーカップ。先ほどの『猫とわたしの居間』とはまた違った意味で居心地が良く、ついつい長居しそうになってしまう。


「乃衣ちゃん。気持ちはわかるけど急いで!」

「は、はい……あちっ」

「えっ、もしかして乃衣ちゃん猫舌? その属性あたしが欲しいくらいなんだけど」

「猫舌を属性扱いしないでくださいよ。とにかく急ぎますから……熱っ」

「…………」


 梨那の視線はまるで微笑ましいものでも見ているかのようだった。

 必死に彼女の視線から逃げつつ、乃衣はおのれの猫舌と戦う。じっくりとコーヒーを味わう時間もないし、だいたいコーヒーに詳しい訳でもない。だけど落ち着いた店内を包み込むような爽やかで優しい味わいだな、と思った。



 でも、乃衣はまだ気付いていない。

 浪木島の本当の魅力にまだ触れられていないということに。

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