2-2 喫茶『猫ノ街』

 メインゲートの撮影を終えた乃衣と梨那は、予定通り各アトラクションを写真に収め、土産ショップとハンバーガーショップの外観を撮り、最後は観覧車に乗って『ススキハラテルメランド』の全体的な写真も撮った。

 ちなみに、何度かツーショットの自撮りもしている。いちいち顔が赤くなったのは内緒の話だ。まぁ、梨那にはバレバレなのだろうが。


 観覧車から降りる頃には正午を回っていて、二人は『ススキハラテルメランド』の隣にあるアウトレットモールへと向かった。

 昼食にパスタを食べてから、少しだけショップ巡りをする。アウトレットモールは『花束とアンドロイド』の聖地に欲しい場所の候補にはなかったが、デート映えする場所ではある。

 念のため写真を撮りながら歩いていると、不意に梨那が「あっ」と声を上げた。


「ね、見て見てサクラちゃん。この雑貨屋さん、桜フェアってやつやってるよ」

「それは『花束とアンドロイド』と関係ないじゃないですか。……私、ちょっとお手洗いに行ってくるのでここで待っててください」

「ん、りょーかい。この次はお待ちかねの喫茶店だね」

「はい、期待しててください」


 謎の捨てゼリフを吐いてから、乃衣はそそくさとトイレへ向かう。

 自分の苗字が「桜羽」だからか、桜がモチーフのアクセサリーやお菓子をプレゼントされることは少なくない。乃衣自身も意識しない訳ではないし、少しだけ雑貨屋の桜フェアには興味があった。

 しかし今は仕事中だし先輩に気を遣わせるのも何か違う。

 だから雑貨屋から意識を逸らそうとしたのだが、


(だからって「期待しててください」はないでしょ、私)


 ついつい零してしまった捨てゼリフに、乃衣は一人渋い顔になる。

 でも、確かに喫茶店には自信があるのだ。『ススキハラテルメランド』も魅力的な遊園地ではあると思う。でも、『スタジオプリムラ』側が特に求めているのは喫茶店と花畑だ。中でも喫茶店はこれだ! と思っている場所があって、とある理由で梨那も気に入ってくれるのではないかと思っていた。



 ***



 アウトレットモールをあとにした乃衣と梨那は、さっきまでの賑やかな雰囲気とはガラリと変わって落ち着いた温泉街へとやってきた。

 石畳が続くレトロな街並みは、乃衣にとっても幼い頃からほっとできる空間だ。街中に並べられた竹灯籠たけとうろうは、夜になると幻想的な景色を作り出す。これから喫茶店と花のテーマパークに行き、ホテルへと向かう頃には懐かしいあの光景が広がることだろう。楽しみで仕方がなくて、ついつい乃衣の足取りは軽くなってしまった。

 それに、心が妙にウキウキしてしまう理由はもう一つある。


「良いね」


 温泉街の風景を撮りながら、梨那がぼそりと呟く。

 その声があまりにも素のテンションで、まるで無意識で漏らしてしまったかのようで、謎に乃衣の鼻が高くなってしまった。


「サクラちゃん、何か嬉しそうだね?」

「そんなこと…………いや、そうかも知れません。私、ここが好きなので」


 反射的に否定しそうになってから、乃衣は諦めて本音を零す。『花束とアンドロイド』に相応しい場所だと胸を張って言えるから、自分はここを選んだのだ。

 今だけは遠慮する気持ちを捨てるべきだと、乃衣は梨那の瞳を見つめながら思う。


「うん、わかるよ」


 梨那が微笑む。まるで猫のような愛嬌のある笑顔だった。

 彼女の笑顔に安堵感を覚えるのは悔しいけれど、こればっかりは仕方がない。

 だって、どうしたって嬉しいと感じてしまうのだから。


「もうすぐですよ、先輩」


 自然と優しい声を漏らしながら、乃衣は小さな微笑みを返していた。



 ――喫茶『猫ノ街ねこのまち』。


 それが、乃衣が学生時代に通っていた喫茶店の名前だった。

 決して薄木原町の人気スポットという訳ではなくて、むしろ温泉街から離れた場所にひっそりと佇んでいるような喫茶店だ。


 ここは乃衣の思い出の場所であり、薄木原町の穴場スポットでもあると思う。

 こぢんまりとしたレンガ造りの喫茶店はどこか懐かしい雰囲気があって、一見すると「普通の喫茶店」というイメージは拭い切れないかも知れない。しかし、喫茶『猫ノ街』の唯一無二のポイントは外観ではなく内観にあった。


「わっ」


 扉を開けると、チリンチリンという古き良きドアチャイムの音が鳴る。――と同時に、梨那が驚いたような声を上げた。


 猫。……猫である。


 椅子やテーブルはもちろんのこと、店内を照らすペンダントライトまでもが猫をモチーフにした形をしている。

 テーブルの上のグラスやシュガーポット、メニュー立ても猫の形で、壁には猫の写真。他にもぬいぐるみやフィギュア、写真集など、ありとあらゆる猫グッズが店内に溢れていた。


「やばいじゃん……思った以上にパラダイスじゃん」


 猫目を大きくさせながら、梨那は辺りを見回す。

 気のせいかその目はキラキラと輝いているように見えて、乃衣はそっと胸を撫で下ろした。


「猫塚先輩、入り口で突っ立っていたら邪魔になりますから。とりあえず席に着きますよ」

「あぁごめん。あたしったら猫グッズに目がないからさ」

「…………」

「ん、何?」


 ついつい「想像通りだなぁ」と思ってしまった……なんて言えるはずもなく、乃衣はごにょごにょと誤魔化す。

 桜羽だから桜グッズが気になって、猫塚だから猫グッズが気になる。世の中とはなんて単純なのだろうと思ってしまった。


「あら、乃衣ちゃんじゃない。久しぶりねぇ、里帰り中?」

「あ、菅原すがわらさん。はい、そんなところです」


 席に座るなり、見慣れた猫のエプロンを身に着けた店員に声をかけられる。

 お互いにスッと名前が出てくるほど、菅原さんは乃衣にとって馴染み深い店員だった。


「もしかして、その子は東京のお友達?」

「あー…………はい、そうです」


 菅原さんに訊ねられ、乃衣は苦悶の表情で返事をする。

 本当はただの職場の先輩だと言いたかった。しかし先輩と一緒に里帰りだなんておかしな話、通用する訳がないだろう。正直にアニメの聖地が関わっていると言う訳にもいかず、乃衣は心の中でため息を吐いた。


「乃衣ちゃんの友達の猫塚梨那って言います。よろしくお願いしますー」

「あら、素敵な苗字ね」

「そうなんですよー、だからあたしも猫好きで! あっ、あとで店内の写真を撮らせてもらっても大丈夫ですか?」

「えぇえぇもちろんよ。名前に『猫』が付くお客様には割引サービスもやってるから、ゆっくりしていってね」


 菅原さんは早くも梨那のことが気に入ったようで、ルンルンとした様子で水とおしぼりの準備を始める。

 同時に、梨那は小さく「よっしゃ」と呟いていた。割引サービスがそんなにも嬉しいのだろうか? と、思っていたのだが。


「ふう、自然と写真撮る許可もらえたね。顔馴染みのサクラちゃんじゃなかなか言いづらかったでしょ? ふふん、あたし天才」


 どうやら乃衣の考えは甘かったようだ。

 自信満々に胸を張る梨那の姿を、乃衣はまじまじと見つめてしまう。梨那のことは遣都の同じくらいのコミュ力おばけだと思っているが、単なるコミュ力おばけな訳ではない。ちゃんと仕事のことも考えた上で明るく振舞っている。

 それが、乃衣にとっては凄いことに思えて仕方がなかった。


「……ありがとう、ございます」

「あれ、意外と素直じゃん」

「プロジェクトのことが漏れてしまったら元も子もありませんから。実際、私が今更珍しがって写真を撮りたいって言ったら、菅原さんに不思議がられてしまうかも知れません。だから、その……助かりました」


 言って、乃衣はすぐに目を伏せる。

 梨那がこちらを見てニヤニヤと笑っている……ような気配がした。ずっと目を逸らしているから実際の表情はわからない。この照れはただの自滅だ。だけど今は仕事中で、梨那に助けられたという事実がある。

 だからこれは仕方がないのだと、乃衣は頭の中で言い訳を重ねていた。

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