5-8 ちゃんと届いていた

「あぁ、やはりバレてしまいますか」

「はい。テッポウユリ畑にまったく触れないところもそうですが、だいたい根本こんぽんから不思議に思っていたんです。旅をテーマにした作品であるはずなのに、どうして一つの聖地に色んな観光スポットを詰め込んでいるのだろうと」


 渚の言葉に乃衣ははっと息を呑む。

 確かに渚の疑問は乃衣自身も抱いていたものだった。『花束とアンドロイド』は旅をきっかけに二人の距離が縮まる物語だ。なのに『スタジオプリムラ』から依頼のあった聖地は綴とミオリの故郷だけ。乃衣と梨那だって「どういう意図があるのだろう」と疑問に思わなかった訳ではなかった。


「夕桐さんの疑問はごもっともです。最初にどこまで説明をさせていただこうか、我々の間でも悩んだところでした」


 言いながら、熊岡監督は『スタジオプリムラ』側の席に目を向ける。

 頷いていたり、苦笑を浮かべていたり。乃衣達にはわからないような空気感があって、乃衣は何故か隣の梨那と目を合わせてしまう。


(…………っ!)


 熊岡監督の口から「奈岐村」の名前が出てから、初めてまじまじと梨那の顔を見つめてしまった。梨那の中にある悔しい気持ちが形になったように、頬には涙が伝っている。

 なのに――悲しみが存在していないのだ。

 むしろ希望の光を見つめているかのように、彼女の瞳は輝いている。

 梨那の表情はまるで、「諦めるのはまだ早いでしょ?」と言っているようで。

 乃衣は迷いなく頷き、熊岡監督の言葉に耳を傾けた。


「先ほども説明させていただいた通り、『花束とアンドロイド』は恋と青春の物語です。しかし夕桐さんのおっしゃる通り、旅も大きなテーマの一つです。……というよりも、ですね」


 熊岡監督は再び『スタジオプリムラ』の面々に視線を向けてから、コホンと小さく咳払いをする。

 それから、いつも通りのにこやかな笑顔で言い放つのだ。



「僕達は『花束とアンドロイド』をアニメと聖地巡礼を繋ぐ大きなプロジェクトにしたいと考えているんです」



 ――と。


 アニメと聖地巡礼を繋ぐプロジェクト。

 一瞬だけ、『未来聖地巡礼案内所』にとっては当たり前のことなのでは? と思ってしまった。自分達の役目は未来の聖地を見つけることだけではない。『案内所』と銘打っている通りまちづくりにも精力的に参加し、聖地巡礼のためのツアーも多く主催している。


 だけど、きっとそういうことではないのだろう。

 熊岡監督の熱のこもった瞳はもっとスケールの大きなものを見つめているように思えてたまらなかった。


「綴とミオリの故郷を見つけるのも大きなポイントの一つでした。実際に奈岐村という素晴らしい場所と巡り会うことができて幸せに思っています」

「ありがとうございます。私も少しは部長らしいところを見せられたでしょうか?」

「ええ、それはもう。部長が夕桐さんだからですかね。皆さんが紹介してくださった聖地はとれも素晴らしかったですよ」


 温かい熊岡監督の言葉に、渚はもう一度「ありがとうございます」と囁く。

 ほんの微かな声で、耳を澄まさなければ聞こえないレベルだ。頬を染めて。俯いて。いつだって完璧なイメージがあった渚の姿が今ばかりは可愛らしく映っていた。


「わ、私のことはもう大丈夫ですので。そろそろ本題に入っていただけますか? 後輩達のそわそわしている空気がこちらにまで伝わってくるので」

「嬉しさでそわそわしてるのは夕桐部長なんじゃないですか?」

「宇江原くん……?」

「なんでもないっす」


 遣都がわかりやすく身体を縮こませると、少しだけ会議室の空気が和やかになったような気がした。しかし、乃衣はそんな空気とは裏腹に自分の胸が高鳴るのを感じる。


 熊岡監督は確かに宣言していた。

 アニメと聖地巡礼を繋ぐ大きなプロジェクトにしたい、と。

 大きなプロジェクトなのに綴とミオリの故郷だけで終わるとは思えないし、「まだ採用してくれる聖地があるのではないか」という思考にはどうしたってなってしまうものだ。


 だから乃衣はそっと梨那の手を力強く握り締めた。

 再び希望の光が現れたなら、その光に入り込むことができるのは自分達なのだと。当たり前のように信じることができてしまって、自分のことなのに「不思議だなぁ」なんて思ってしまう。だけど梨那はじっと熊岡監督を見つめたまま握り返してきてくれた。

 あぁ、やっぱり大丈夫だ。と乃衣は自然と微笑みを浮かべる。



「僕達が一つの聖地に複数の観光スポットを求めたのには訳があるんです。実は綴とミオリの故郷以外にも、二人が旅をする場所をいくつか採用させていただけたらと思っていたんですよ」


 やがて説明を始める熊岡監督に、『未来聖地巡礼案内所』の面々は早速ざわつき始める。元々は主人公とヒロインの故郷としての依頼だったのだ。先輩達もこういった経験は今までなかったのか戸惑いを隠せない様子だった。


「すみません、これには理由がありまして……。喫茶店や花畑など、場所をいくつか指定させていただいたと思います。喫茶店と花畑を必須としていたのは喫茶店を二人の故郷に、花畑を最終話に使わせていただきたいと思っていたからです」


 喫茶店は綴とミオリの暮らす故郷で、花畑は最終話のラストシーン。それは資料にも書かれていたことで乃衣達も把握していたことだ。確か、遊園地や水族館などは二人が仲を深めるデートシーンで使いたいと書かれていた覚えがある。


「では必須ではなかった遊園地などはどうなるのか、という話ですが……。旅先のデートシーンで使わせていただきたいと思っていました」


 デートシーン。やはり乃衣の記憶は間違っていなかった。

 しかし頭に「旅先の」と付くだけで一気に印象が変わるものだ。てっきり地元でのデートシーンで使われると思っていたがやはりその認識は間違っていたらしい。


「旅先の……ですか?」

「はい」


 乃衣の気持ちを代弁するように渚が聞き返す。

 熊岡監督はすぐさま頷き、さっきから頭の中をぐるぐると回っていた違和感の答えを説明してくれた。


「先ほども言いましたが、僕達は『花束とアンドロイド』をアニメと聖地巡礼を繋ぐ大きなプロジェクトにしたいと思っています。綴とミオリにとっての旅は、二人が心を通わせる大切なものです。ですので、二人が巡る一つひとつの場所をまるで物語のメインを飾る舞台であるように描きたいと思っていました」


(メインの……舞台……)


 乃衣は小さく息を吞む。

 さっきからずっと、鼓動が速いのは何故なのだろうと思っていた。

 でも、今はその理由がようやく掴めそうな気がしている。もちろん「まだ浪木島が選ばれる可能性があるから」というのも理由の一つなのだろう。


 でもそれだけじゃないのだ。

 聖地巡礼に対して大きな愛で寄り添おうとする熊岡監督の姿を見て嬉しいと感じている。

 ペーペーの新人のくせに何を、と思うかも知れない。自分でも何を偉そうにと笑ってしまうくらいだ。

 だけど、どうしたって心が躍ってしまうのもまた事実だった。


「『未来聖地巡礼案内所』の皆様は、自分達の選んだ場所こそが作品の顔になるのだとイメージして、全力を注いでくださったのだと思います。我々も皆様の想いを受け取りました。それぞれ異なる風景があって、だけど共通する部分として綴とミオリを包み込むような温かい空気感がある。その中に遊園地や水族館などのデートらしい部分に入れ込みたい。……というのが、我々の考えでした」


 心が震える。

 嬉しいという言葉そのものがふわふわと宙を浮く。


 あぁそうか、と思った。

 期待してしまう気持ちだって当然のように頭の片隅にはある。だけどそうじゃないのだ。もっと根本的な想いが乃衣の中には芽生えている。

 だって、熊岡監督が伝えてくれたのだ。「自分達の選んだ場所こそが作品の顔になるのだとイメージして、全力を注いでくださった」、と。


 自分の情熱はしっかりと届いていた。自分はちゃんと大好きなアニメのために全力を注ぐことができた。

 そう思うだけで、今までの頑張りがすべて報われたような気持ちになる。

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