5-4 嬉しい瞬間
「私は熊岡監督の作品が大好きです。キラキラとした青春だけじゃなくて、悲しみや苦しみもあって……。信頼できる監督さんだからこそ期待をしてしまったんです。自分達が見つけた景色の答えを、熊岡監督はどうやって導き出してくれるんだろうって。そう思った時、私はここしかないって思いました」
堂々と言い放ってから、梨那はちょっとだけ気が緩んでしまったのか「……で、質問の答えになってますかね?」と弱々しく訊ねる。
「…………」
熊岡監督は何も言わなかった。
いや、何も言えない様子だと言った方が良いだろうか? うっすらと口を開きこちらを見つめる姿は、ポカーンという擬音が似合ってしまうほどに呆けた表情をしていた。
「あ、あの……」
梨那が不安に満ちた声を漏らす。
すると熊岡監督はようやくはっとしたように目を見開いた。
「す、すみません。あまりにもビックリしてしまいまして」
ははは、と笑いながら熊岡監督は頭を掻く。いつもの柔和な笑顔が突然現れるものだから、思わず乃衣は梨那と顔を見合わせてしまった。
「お二人に『展望のキンセンカ畑』とキンセンカの花言葉を紹介していただいた時、僕は確かに衝撃を覚えました。ですが、僕にはこの気持ちを上手く具現化することができなかったんです。高鳴る気持ちの正体は何なのだろうと疑問に思っていたのですが……えぇっとですね……」
穏やかな表情で語りながら、熊岡監督は一瞬だけ手元の資料に視線を移す。「あぁ、そうでした」と小さく独り言を漏らし、やがて気恥ずかしそうに微笑みを浮かべた。
「猫塚さんでしたね。いやぁ、すみません。先ほども猫の島だからピッタリという話をしたばかりなのに」
「い、いえっ、それは全然……」
熊岡監督に名前を呼ばれるや否や、梨那は再び緊張が戻ってきたように声のトーンを上げる。乃衣はつい、「良かったですね、先輩」という微笑ましい気持ちに包まれる。
しかし、その感情になるのは少しばかり早かったようだ。
「猫塚さん。僕が……あぁいや、僕達が気付けなかった気持ちを言葉にしてくださり、本当にありがとうございます」
言って、熊岡監督はわざわざ立ち上がってお辞儀をする。
乃衣と梨那も慌てて頭を下げた。
だから梨那の表情がどうなっているかはわからない。わからないが、気持ちを察することはできた。自分の人生を変えてくれた憧れの監督に感謝の言葉を告げられる。こんなにも嬉しい瞬間はないのだろうと思う。
「先輩。ほら、そろそろ締めますよ」
お辞儀をしたまま、梨那はなかなか顔を上げようとしない。
やはり涙でぐちゃぐちゃになってしまっているのだろうか。実際に乃衣自身も瞳が潤みつつある。目が赤くなっていないか不安なくらいだ。
「……乃衣ちゃん、どうしよう。あたし……」
「気持ちはわかりますが、最後がぐだぐだになったらもったいないですから」
「でも、熊岡監督の作品が大好きっていう個人的な話はプレゼン中にするべきじゃなかったから……」
「えっ、そこなんですか」
だいたい、プレゼン中にひそひそ話をするのもだいぶ問題ではある。だからなるべく早く「気を取り直して」と言いながら本題に戻りたかった。
なのに、まさか梨那が脳内反省会を繰り広げていたとは。予想外すぎて、乃衣は素直に驚いてしまう。
「だって、反省点を思い浮かべないと嬉しさでいっぱいになっちゃうから」
「……そういうことですか」
理由を聞いて納得する。
しかし今はそれどころではないのだ。ここは心を鬼にするしかない。先輩に向かってこんな行動をするのはいかがなものかと思ったが、ええいままよと背中をバシンと叩いた。
「わっ。ご、ごめん乃衣ちゃん」
ようやく我に返ったらしい梨那は両手を合わせて謝罪のポーズをする。相変わらず、先輩らしいのかそうじゃないのかよくわからない人だ。
でも乃衣は知っている。こういう時は自分が頑張ってみれば良いのだと。
「最後の最後に感極まってしまい、申し訳ありません。『展望のキンセンカ畑』はそれくらい私達にとって特別だと感じた場所でした。熊岡監督を始め、『花束とアンドロイド』を制作される皆様にも私達の気持ちが少しでも伝われば嬉しいです」
言いながら、乃衣は『スタジオプリムラ』側の席を見渡す。今しがたのひそひそ話が新人らしく感じたのか、こちらを見つめる瞳は温かさを感じる。だけど、誰一人として退屈そうな表情をしていないのだ。
それに、
(夕桐部長……)
乃衣と梨那の出番が訪れるまで、渚はずっと冷静な顔つきをしていた。
だけど自分達の出番になり『展望のキンセンカ畑』の紹介になった途端、彼女はどこか驚いたような顔をしていたのだ。まぁ、常に渚の様子を気にしていた訳ではないし、ただの気にしすぎかも知れないが。
「以上で私達が提案する浪木島の発表を終わります。ご清聴いただきありがとうございました」
ほんのりと滲む嬉しい気持ちと、次は渚と遣都の番という緊張感。
二つの思いが混ざり合うのを感じながら、乃衣と梨那のプレゼンは幕を閉じた。
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